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嫌な自分を見つめてみる - 秘密結社「喫煙所」(第6通)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないようなことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第6通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

ヒロさんへ

共有したいとは思いつつも、ひっそり影で自己完結させることが割と多くて、人にそこまで共有してない……。問いを受けて自分を振り返ってみたんだけど、うん(笑)。

タオさんは、どんなときに出来事や気持ちを共有したくなる?もしくは、その葛藤を聞いてみたい〜

どんなときに共有したくなるのか? - 秘密結社「喫煙所」(第5通目)

共有もある種の伝えるだもんね。強いていうなら"感情が動いた体験""この人ならわかってくれるかも"、この2つが揃ったとき共有しているかな。お悩み相談する人も、そんな感じで選んでる。

例えば、だれかと一緒にご飯食べているときは、同じものを分けて食べることが多いから、おいしさをわけあえて同じ気持ちになりやすい。それが予想つくから「おいしいね〜」って言う。(もちろん全然違うこともある)

逆に自分は食欲があるけど、相手がもし胃の調子が悪くて、全然食べられなかったら遠慮して「おいしい」っていう感想を共有しないかもしれない。(ふざけてするかも)

同じような気持ちを体験している人には共有しやすいし、そう思えなくて共有してもわかってもらえないかもって思っちゃうと口を閉じちゃう。「わかってもらえるか」または「そうでないか」。

正直わかってもらいたい欲が強くて、わかってくれないならいいや、みたいに投げやりな自分がいる。二極化してて極端なので反省します……。

誰に共有するか、そこに慎重になりすぎたり、奥手になりすぎたりしちゃうんけど、そんなこと考えずに思ったこと吐き出せる場がnoteだったりするんだよね。

ちなみに話して伝えるって、ゆっくり考えて話せないから、だいぶ高度なことだなと思ってる。言葉が足りなかったりすると意図したこととは違う形で伝わったり、「瞬発的にわかりやすく伝えないといけない」と思い込みすぎて焦って空回りしたり。わたしの場合は挙句の果てに伝えられる自信がないから「自分の話はいいや」ってすぐに諦めたりする。

でもそれも、"わかってもらいたい"に固執してしまっているんだよね。「もしかしたらわかってもらえないかも」、「わかってもらえなそう」って自分で勝手に決めつけて、「だから話すのやめとこう」ってなっている気がする。それプラス否定されるの怖い自分もいるから、もうがんじがらめよ(笑)

自分の弱い部分から目を逸らしてるんだよね。わかってもらうことへの執着が強すぎるから手放したい。

わかってもらえると嬉しいのも、なんでわかってくれないんだろうと思うのも、わかってもらうために何かするのも、「わかってもらう」って相手次第だし、わたしにはコントロールできないから固執しても苦しいだけなのが、今書いていてはっきりとわかった。

わたしのありたい姿のひとつに"身近な人の役に立ちたい"っていうのがあるんだけど、"わかってもらいたい" が邪魔してるような。人の話を聞くときに、自分がどう見られているか気にしてしまう原因に繋がっていると思う。

ヒロさんは逆に自分の価値観をさらけ出しすぎて、人との違いにショックを受けると言っていたよね。わたしはだいぶ人を選んで話しているから、話せるヒロさんは勇気あってすごいなって思う。

わかってもらう(承認の)ために伝えるんじゃなくて、伝えたいから伝える。周りの人の役に立つかもしれない。そういう思いで共有したり、伝えたりしたいな。それで何かが広がったらラッキーぐらいな気軽さを持ちたい。

わかりあえないかもしれないけど、それでも受け入れるスタンスでいたい。そのためにもっと人と対話しなきゃいかんのだな〜と思ったわ。

「前はわかってもらいたいと思っていたんだけど、今はそう思わなくなった。ただ自分のやりたいことに集中しているんだよね」

最近、年上の方からそういう話を聞いて、"わかってもらいたい"を手放せる可能性は全然あるんだなって思えたんだよね。

わたしのなかで人と対話する意義は、”わかってもらいたいを手放すため”になりそうです。

逆にヒロさんはどういう基準で人に共有したり、伝えようってなる? 聞いてみたい。

* * *

岡山行ったとき猫がついてきた

今回はだいぶ目を背けたい自分がでてきた。問いを渡されたとき、こんな結末になるとは思ってなかった。そして、ヒロさんが求めてた内容と逸れてる気がする(笑)。話の流れで気になったから問いも渡しちゃったし、よろしく頼んだヒロさん(笑)。

【前回の問い】


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