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音楽家の人生物語は終っている

順に

バッハの時代は教会か宮廷に仕えるのが音楽家の仕事でした。モーツァルトが転職挫折して、ベートーヴェンが自主的にフリー・ミュージシャンをスタートしてくれたので、そこから音楽家それぞれの人生物語が始まりました。そして、ありとあらゆるレールを敷いてくれました。

その物語は今

その全ての大きな音楽家の人生物語は20世紀で終わりました。ベートーヴェンが没してたったの200年も経っていないのですが、すべてやり尽くされました。

前提がなくなった

音楽家の人生物語の理想像は、歴史が理性的に成長するというヘーゲルの前提があったり、結局はコケましたが、いずれは社会主義化するという進歩が前提になっていました。その前提が今の時代はもうないのです。

小さな物語

社会や歴史が作る大きな物語がなくなったので、小さな物語を作る・・・これが21世紀の音楽家の人生物語の在り方・・・スマホが出てきて、ネットで個人単位で音楽家が生きる・・・というのも、終わりました。もう21世紀も1/4が経過してます。

今の時期にこんな小さな物語を模索しても無駄です。つまり、ユーチューバーにしようか、TikTokで発信しようか、インスタやろうか、ブログやろうか、ココナラで仕事とろうか・・・など、どんなに模索しても無駄だということです。

大きな物語が終わっているから小さな物語を模索するという段階まではついて来られたのに、その小さな物語が「まだ存在する」と信じている音楽家が多いのです。だから、貧乏なんです。

物語なしで大丈夫

物語なんてなしで大丈夫なんです。つまり、日々流動的に音楽家として生きるのです。

だれかが「どんな活動してるんですか?」と、聞いて来た時に、「え? いろいろに決まってんじゃん」と、返せたらオーケーです。

「オーケストラに所属してます」なんてのは大きな物語の時代の生き方です。

「動画配信して、リアルでも時折ライブやってます」なんてのは小さな物語の生き方です。

「えっと昨日はAmazonアフィリで5万円稼いだなぁ・・・、お、米国株配当金入って来た、明日は友達のライブ手伝うんだった、来週のメタバース・ライブの企画しないとなぁ、楽器貸せば儲かるんだなぁ、去年は見向きもされてなかったこの手の音楽が流行り始めたから書いてコンペに出そっか」と、毎日ばらばらに流動的に生きるのが物語なしの音楽家です。

この方法を模索するのが間違いなの分かります? 入れ子構造が分かります?

まとめ

1998年に没したリオタールの予言は正しいと思います。ここに全て書かれています。

でも、そこから発展させないと、この21世紀中盤で私達音楽家は生きていけません。

知らぬが仏です。知っているつもりが一番危険です。考える大元を知らないといけません。私と一緒に考えましょう。

日本の音楽家を応援しています。

以下の書籍もお読み頂けると嬉しいです。

津本幸司

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