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LINEの部屋で、犬が死んだ日


忘れもしない、暑い夏の日だった。

クーラーをかけず寝苦しさで目が覚めたのか、LINEの通知で不意に起こされたのかはよく覚えていない。出勤には早すぎる、まだ寝ぼけが残る時間だった。


LINEの通知が入る。

お母さんからの、2通のLINE。
そのときはまだ、半分くらい夢の中にいるような感覚だった。
 

こんな時間になんだろうと、少しだけ現実に引き戻される。
 

LINEを開くと、僕と両親と兄の家族LINEのポストに2通届いている。
2通目はどうやら写真らしい。
家族LINEなんて珍しいと、ぐっと現実が近づいてくる。
 



おそるおそるLINEの部屋を開けると、ペットで飼っていた犬の亡骸があった。
死んだ時間、安らかに逝ったという無機質な文字だけが、ちょこんと添えられて。



見た瞬間、何が起きたのかわからなかった。
正直、こんなんLINEで送ってくんなよ、と怒りを通り越して呆れた。
不思議と、涙も出ない。
もう歳だったし、おばあちゃん犬だったし、脚も弱く、立つのもままならなかったし、


「しょうがない」

この6文字で正当化するしかなかった。

それしか、できなかった。

犬だって寿命がくることも、人間よりも生きる時間が短いことも、飼ってもらったときに強く言われた。

初めて家に来た頃を、思い出す。

 

名前は、ラヴィ。

僕が小学5年生のときに飼ってもらったメスのパピヨン犬。耳が蝶々みたいでフワフワしていて触り心地が良かった。
飼ったときは本当に小さく、弱々しく、でも生き生きとしていて、家が明るくなった。
 

エサの時間になると、物凄いスピードでシャトルランをする。
散歩をすると、メスなのになぜか足を上げておしっこをする。
僕とお母さんのスリッパを無理矢理剥ぎ取って、それを枕にして眠る。
 
当時はしつけるのに苦労して、トイレを教えるのもやっと、エサをあげるときでしか「おすわり」と「ふせ」の効果がない。
「まて」でもエサに鼻をつけるくらい食い意地が張っていた。
 

社会人になって一人暮らしをするまでの15年間、毎日一緒にいた。
「飼いたい」とせがんだのは僕だったが、大人になるにつれて世話をできる時間は減ってきた。
エサをあげたり散歩をしたりするのは、基本お母さん。
寝静まった時間も吠えるので、お母さんの部屋で寝ることも多かった。
お母さんが病気で倒れたとき、ラヴィの必死の鳴き声が命を救った。
 

そんなラヴィもだんだんとおばあちゃんになり、元気がなくなった。
足腰が弱くなった。視力も弱くなった。おしっこをトイレでできなくなった。
散歩に出ることも少なくなった。
あれだけ好きだったエサも、残すようになった。腫瘍ができた。病気で全身が蝕まれた。
 



もう「その時」が近づいていることを、実家に帰るたびに実感した。
「その時」の覚悟が、だんだんと強くなった。

 


そして、ラヴィはLINEの部屋で、その一生を終えた。
2019年7月30日5時7分。

 

あれからちょうど一年、今ならお母さんの送ったLINEも理解できる。
 
たくさんの思い出が溢れて、書き出すとキリがない。
元気すぎて、うるさくて、しつけができなくて、誰にでも愛される犬だった。
 
走馬灯にも噛み付いてくる。
フラッシュバックにも吠えて、スライドショーにも爪で傷付けてくる。
それくらい、手をかけて、厄介をかけて、迷惑をかけて、全てにおしっこをかける犬だった。
 

その全てが、本当に愛おしかった。


受験勉強でくたくたになったとき、仕事で人生が嫌になったとき、失恋したとき。
ラヴィだけは、寄り添ってくれた。ドアを開けると吠えて出迎えてくれた。冷たい肌を舐めてくれた。薄い皮を痛いくらい噛んでくれた。
 

あの頃のラヴィは、もういない。
噛まれて血が出た傷跡も、服についたべっとべとのよだれも、おしっこで黄ばんだ床も、全部消えてなくなってしまった。

 
ラヴィが死んだときは、絶対に泣くだろう、そう思っていた。
でも、亡骸を見たとき、涙は出なかった。
 
送ったお母さんも、泣かなかったのかもしれない。
ただ、単純にラヴィの一枚の写真として、僕らに見せたかったのかもしれない。
誰にでも、人間でも、犬にでもやってくる最期のやさしい時間を、僕らに教えたかったのかもしれない。


泣いてなんかないと、強がっていたのかもしれない。
 

そのとき見た写真は、いつものように気持ち良く眠っていて、いつものようにいびきが聞こえてきそうだった。
大好きだったエサと、ピンクの首輪と、「LAVIE」と書かれた服が、いつものラヴィの姿と何も変わらなかった。
今すぐにでも起きて、走り回りそうなくらい。





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ラヴィはLINEの部屋から抜け出した。
きっと、ラヴィのことだから、全力で天国に駆け上がって神様に吠えているだろう。
 

その遠吠えが地上に届かないのは、涙が出そうなほど、辛い。
ラヴィなら僕の涙も舐めとってくれるだろうが、もういない。
一年前はあんなに晴れていたのに、今年の雨は、まだ止みそうにない。
この一年で、なんだか涙脆くなった気がする。

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