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会社を辞めた今日を、全部シュウマイの湯気のせいにした。


新卒で入社した会社を、今日辞めてきた。

今年で30歳、9年目に突入した矢先のことだった。
会社への不満が溜まったわけでも、折り合いが悪くなかったわけでもない。
むしろ、そろそろ役職に就いてもおかしくない頃合いだっただろう。
給料も不自由なく貰えていた。有難いことに、この不景気の中でもボーナスが支給された。


それなのに、僕は会社を辞めた。


変化のない日々のせいか、余裕と慢心が知らずのうちに自分を占拠して、言葉にできないモヤモヤに姿を変えて、最終的に「辞表届」に変わった。

なんで辞めたのか、正直僕にもわからない。

次の仕事も決まっていないし、何をするかも決めていない。
それでも衝動的に辞めたとは思っていない。性格上、計画的に事を進めてきた。
しっかりと退職の一ヶ月前に会社に伝え、引き継ぎも滞りなく済ませてきた。
上司や同僚には「新しいステージに上がりたい」と嘘をついた。
そんなステージなどどこにも用意されていない。
僕に用意されているのは、六畳一間の低賃金アパート一室だけだ。

中央線の西荻窪駅で電車を降り、夜の街を歩く。

くたびれたサラリーマンが、アロハシャツのおじさんが、大学生くらいのカップルが、それぞれの速度で歩みを進める。
それまでの人生の歩みは全く違うはずなのに、この街にいるとどこかで交錯する。
お客さんが居酒屋に入ったときの活気が、前を歩くだけで伝わってくる。

僕にとっての今日という日、どの店に行こうか悩みに悩む。
擦れた革靴を引きずって4分ほど歩くと、賑やかな灯りと声がだだ漏れる店がある。

「シュウマイルンバ」


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明るい色と字体で書かれた文字に惹かれ、店内を覗く。
そこには昭和の雰囲気を存分に纏った、いや雰囲気というより昭和そのものをブラウン管で映し出したような映像があった。
ガタガタと引き戸を開けると、あたたかい声と匂いが隙間から入ってきた。
昭和歌謡の流れるレコードが回り、針は揺れる。

カウンターに座り、メニューを眺める。
少しだけ悩み、店名にもなっている「シュウマイ」と紹興酒をサワーで割った「ルンバサワー」を頼む。
瓶に入ったサワーをジョッキに流し込むとシュワシュワの炭酸が弾けて、若かった日々を思い出す。
喉を通る感覚がどこか懐かしく、いつかの時代に戻った気分になる。

何も知らなかった僕に、名刺の渡し方からメールの文面、Excelのショートカットキーまで、多くのことを教えてくれた会社。
どれだけ残業しても、休日を返上しようと、有給をとれなくても、それが社会へ出ることだと教えてくれた会社。
僅かにあった夢や希望を、簡単に諦めさせてくれた会社。
「御社で叶えたいこと」を溌剌と語った最終面接の映像が、僕の脳内で浮かんで、すぐに消える。余韻も残らずに。

それでも、何かやりたいことがあるかと言われれば、何もない。
趣味や特技を聞かれても、いつもどもってしまうくらい、物事に関心がない。
結婚も子どもも、願望はあるが、遠いことのように思えてならない。
ルンバサワーを飲むペースが早まり、中のおかわりを頼む。
ジョッキが重く感じるのは、酔っているからだろうか。
それとも、歳を重ねたからだろうか。

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そんなことを考えていると、竹のせいろに入ったシュウマイが運ばれてくる。
蓋を開けると、蒸し器で蒸された熱々のシュウマイが、湯気の中から現れる。
湯気が目に染みて、手で擦る。

カラシの溶けた醤油につけて口に入れると、肉汁が溢れ出して皿に垂れてしまうのを必死に防ごうとする。
口の中を、濃厚な味わいがはしゃいでいる。
こんな疲れた身体だと、何もかもが染み渡る。
ルンバサワーで流し込むと、感情が溢れ出る。

会社に入ることが、僕のゴールだったのだろうか。
あの頃に鳴ったイントロを聴いただけで、満足だったのかもしれない。
名刺入れを胸に仕舞っただけで、偉くなったと思い込んでいたのかもしれない。
スーツを脱いだら「肩書き」も何もない、ただのひとりの人間なのに。


明日から僕は、何者でもない。

シュウマイを箸でつつく度に、涙が目にたまる。
悔しいわけでも、悲しいわけでもない。それでも何かに浸りたい気持ちが、僕を包む湯気のようにこもり立つ。
シャツにはシワが目立ち、そのシワを伸ばすように、猫背になった姿勢を正す。

それっぽい社会人を演じた日々、謝り続けた日々、泣きそうになりながらキーボードを叩いた日々。
フラッシュバックする映像は次々と駆け巡るが、全てシュウマイの湯気が隠していく。

次に映る映像は僕には思いつかない。
思い出したくもない、バッドエンドの結末のような映像かもしれない。
それでも、ここに来ればシュウマイの湯気で見えなくなる。
ルンバサワーの炭酸が、全てを流してくれる。

とりあえず、明日はクリーニング屋にでも行こうかと思いながら天井を仰ぐ。
木のぬくもりを感じつつも、こぼれ落ちそうな涙を堰き止める。


もう、全部、湯気にせいにしてしまいたい。


今日だけは、少し食べ過ぎてもいいか。
「シュウマイ」のおかわりをして、「ルンバサワー」を口にする。

蒸し器の前に座る僕の気だるそうな声を、このお店は全力で受け止めてくれる。

https://s.tabelog.com/tokyo/A1319/A131907/13246915/top_amp/

※この物語は、実際に存在する飲食店を舞台に描きました。物語に出てくるメニューは実在します。写真も実店舗の風景です。
お近くの方は、ぜひ足を運んでみてください。





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