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前夜


「何年も歳月をかけて想いを込めたのに、一瞬で散ってしまうものってなあんだ?」

私は夏の帰り道にはすこしだけ不釣り合いな声で空気を揺らした。
夏の夜は静かな方が風流だという、私の勝手な思い込みでもある。
キョトンとした斗真の顔を見ると、やっぱり空気を読めてなかったな、と反省する。

「急にどしたんだよ」
「なぞなぞじゃん、なぞなぞ」

なぞなぞ、なのか、クイズ、なのかはわからない。でも小学校の頃から幼馴染の斗真とは、よく帰り道にこうやってなぞなぞを出し合っていたのを覚えている。学校の図書室で片っ端からなぞなぞの本を借りて、交互に出し合いながら家路を歩いた。

「なぞなぞ?おれはそんな子供じみたことしてる場合じゃないの」
「何言ってんの。子供じゃん、あんた」

いつもの帰り道。
中学、高校も同じ学校の斗真とは背丈の差だけがついて、見た目はすっかり大人になった。
高校最後の夏、部活やら受験勉強やらで忙しない私たちにとって、もう青春めいたものが残されていないような気がした。
誰が大学に進んで、誰が進まなくて、専門学校に行って、東京に出て、地元に残って。
いろんな現実が急に押し寄せて、私たちの青春はどこかに追いやられてしまったようだ。

「やっと地獄が終わったんだから、頭休ませてくれ。もう脳みそ一生分使った」
「たった三週間じゃん。しかもこれで勉強終わったわけじゃないし」
「わかってるよ、そんなん。ああ、もう今日やったこと全部忘れたわ」
「ばーか、ほんと記憶力弱いよね」

夏期講習が終わり、自転車を押して歩く。
行きは漕いで、帰りは歩く。
斗真との別れ道までは。
こうやって帰り道を並んで歩くのは何回目だろう。どう計算しても解けない天文学的な数字じゃないのか、そんな気がしてしまう。もちろんそんなわけないのに。
とにかく、何十回何百回と一緒に帰った事実が私と斗真との間にはある。
そして、その事実が私にとってはどこか、かけがえのないもののように思えてくる。


何を話したかなんて覚えてない。
と、斗真は言うだろう。
というか、普通は覚えてないだろう。
こんな変哲もない会話をいちいち覚えてる人なんていないだろう。


私も、何を話してたかなんて覚えてない。
でも、私の頭の中には勝手に再生される。


遠足のおやつ何持ってく?
今日の席替え、最悪だったね。
理科のテスト範囲めっちゃ広くねえ?
日曜日のバスケ部の試合、応援行くんだから、がんばってよね。
文化祭さ、お前んとこダンスやるんだよね?楓ちゃんも出るのかな。
斗真のクラスっていつもうるさいよね?特にあんた達四人組の声めっちゃ響いてるよ。
やばい、明日の英単語テスト何もやってない。
あ、今日私のクラス終わったから何出たか教えてあげよっか?
ねえ、楓ちゃんってどんな人が好きなんかな?
斗真は将来のこととかちゃんと考えてんの?


「明日さ、楓ちゃんどんな浴衣着てくるかな」


また、夏の夜には不釣り合いな声が夜を駆ける。明るいトーンの音符が暗闇に浮かぶ。
鈴虫の静かなBGMと車輪の回る音が混ざり、沈黙の時間を繋いでくれる。
私はずっと向こうを見た。斗真の顔は見ていない。でもきっと、あの馬鹿みたいな笑顔で妄想しているんだろう。

「そんなの知らないよ。かわいいんじゃない?」

明日は一年に一度の花火大会。
小さな町ではあるものの、町内では多くの人が参加する夏のビッグイベントだ。
私たちも子供の頃から毎年参加して、毎年二人で花火を見てきた。

でも、今年は違う。

「そうだよな。おれ、めっちゃ緊張してきた。二人で花火見れるなんて、やばいよな」

何がやばいのかはわからない。
二人で見ることだったら、今までいくらだってしてきた。
毎年同じ花火を見て、毎年同じ空を眺めて、毎年同じ感想で、毎年同じ帰り道を辿って。


まあ、こんなもんだよな、って二人で話しながら帰ってたはずだ。
去年も、一昨年も、その前の年も。

何がやばいのかはわからない。
いや、ほんとはわかる。
わかるけど、わからないふりをしている。わかるけど、わかりたくない。
今年はきっと違って見えるんだろう。去年とは違った花火が宙にはあって、それを見上げて、隣を見て、微笑んで。
その思い出がずっと、むずかゆく残るんだろう。きっと、残り香のように。

「あ、答え、わかった。花火だ。打ち上げ花火」

斗真は言った。
なんだかんだでずっと考えてくれていたところが斗真らしい。
それが答えだと決めつけて、勝手に喜んでいるところも。そんなひっかけに引っかかる、単純なところも。素直で、純粋なところも。
そして、この世界で一番、鈍感なところも。

「ぶぶー、違うよ。花火じゃない」

私はこの夏を後悔したくない。
来年には全然違った顔をした夏がやってきて、天気を悪くするかもしれない。
何百年かに一度の冷夏で、半袖で外を出歩けないかもしれない。
宇宙人が襲来して、日本から夏を奪ってしまうかもしれない。
未知のウイルスが蔓延して、全部のお祭りが中止になってしまうかもしれない。


いつも隣にいる斗真が、いなくなってしまうかもしれない。


私はこの夏を、この帰り道を、この時間を、
大人になって忘れるような思い出にはしたくない。


「ねえ、斗真、話したいことがあるんだけど」


私は今日、一瞬で散る。
明日の夜空に咲く、打ち上げ花火のように。




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