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[読書感想文] 『人が増えても速くならない ~変化を抱擁せよ~』

Gihyo Digital Publishingで電子版(PDF&Epub)を購入しました。
内容は実に素晴らしいのですが、内容とは別に思うところがあったので感想文としてnote投稿に残します。(注意:本稿では本書の内容をほぼ全く紹介しないので、内容は出版社サイトや別の感想・レビューでご覧ください。)

0.本稿の要旨

  • ソフトウェア開発の態度や考え方をビジネス(経営)の文脈で簡潔平易に説明してくれる良書。公称136ページだからすぐ読める。

  • 本書の内容は素晴らしいが、どんな影響がもたらされるかには懸念あり
    問われるべきは読者の態度と行動。

  • [本書を読んだ非開発職ビジネスパーソンへ]
    『納品をなくせばうまくいく』ほか著者の過去作品を読み、どのようにして本書の考えに至ったのか背景を理解してほしい。我田引水(レントシーキング)の言い訳にするくらいなら、いっそ本書を忘れてほしい。

  • [本書を読んだ非開発職ビジネスパーソン"の周囲にいる"ソフトウェア開発者へ] 
    仮に非開発職ビジネスパーソンが本書を曲解して「誤った期待」を抱いたとしても、粘り強く期待値マネジメントをし続けてほしい。


1.実に良い本なのだが、手放しで称賛できないのは何故だろう?

本書は僅か136ページ(まえがき、あとがき、目次を除くとさらに少ない分量)で、すぐれたソフトウェア開発者の考え方と態度をビジネス(経営)の文脈に合わせて簡潔かつ平易に説明してくれている。内容には文句無しだ。

だが、本書の立ち位置(非開発職ビジネスパーソン向けの啓蒙書)を鑑みると、私は本書を手放しで称賛できない。何故か? それは、本書の内容の良し悪しと、本書がもたらす影響の良し悪しは別だからだ。書物の内容が正しいことと、それを読者が正しく理解して正しく行動することはまた別の話だからだ。


2.問われているのは読者のほうだ

書物は著者を離れて独り歩きしてしまう。その影響は、著者から制御できない。書物が読者に読まれ、読者が行動する。その集積が書物の影響となる。

書物の本当の価値は読者との相互作用、そして読者たちの今後の行動で決まる。(とくに読者が多い場合には)著者がそこに介入するのは難しい。つまり問われているのは読者のほうだ。そんな当たり前のことに思い当たった。

私の本書に対する懸念とは「対象読者であるビジネス(経営)側の人々が、本書を中途半端にしか読まず、私利私欲に都合が良いように曲解し、良からぬ行動をとる危険性がある」というものだ。

繰り返すが、この懸念がたとえ的中したとしても、それは読者の責任だ。著者はすぐれた考え方(すぐれた車)を読者(ドライバー)に提供しただけだ。すぐれた車は、相応の運転技能を必要とする。ドライバーが運転技能の習得を怠って事故を起こしたとしても、すぐれた車を無くせとは言いたくない。ドライバーが習得の努力をすべきだ。

では、私が懸念する「曲解」「良からぬ行動」とは何か?


3.ビジネス(経営)が軽視しがちなもの

ビジネス(経営)は、とくに以下2点を軽視する傾向にある。

  1. ステークホルダー(特に関係が遠い人々)の都合や事情への関与・配慮

  2. 保守(メンテナンス)への投資

なぜこれらを軽視しがちなのか? 市場が成長しない環境では、どうしても思考が緊縮(投資抑制とコスト削減)に偏る。プラスサムゲームではなくゼロサムゲームを戦うからだ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」という利己的態度に陥る可能性は高いだろう。

「今だけ」でなく「今後もずっと」価値を出すために投資し続けているか? 「カネだけ」でなく(例えば)「人が疲弊しない・人が育つ」配慮と投資をしているか? 「自分だけ」でなく「別部署も、顧客も、社会も」幸せになる仕事(三方良し)に近づいているか? 私の実感からすると心許ない。

たとえば、こんな曲解と悪しき行動が生まれるのではと心配している。

「ソフトウェアはつくった後も価値を産み続けるべき」とは実に素晴らしい考えだ! 開発者には「リリース後も価値を出し続けること」という要件を飲ませよう。予算? 当然、最初の1回払いだけだよ。コスト減も価値のうちだからねぇ。変化に適応できるチームをつくるのも開発の責任だろ? チームの努力で原価低減してくれたまえ。「協働の関係」? そんなこと書いてあったっけ? 少なくともそこにカネがかかるなんて記憶はないなあ。ワンチームとして常駐し、不確実さを無くしてから持ってきてくれよ。

筆者の夢に出てきた「今だけ、カネだけ、自分だけ」ビジネスパーソンの言い草

……書いていて胸糞が悪くなってきた。

「完成してもおわりではない」(~P20)から「協働の関係」(90P)「納品のない受託開発」(P94)までページ数が空いているから、後の方の記述は読み飛ばされてしまうかもしれない。継続的な投資というニュアンスは「月額定額の」(P94)にあるのだが、これも読者の意識にのぼるかどうか……。

本書の限られた分量からして詳述出来ないのは仕方ないし、たった120ページなのだから読み飛ばすなというのも当然だし、仕事には対価を支払うべきという常識は誰もが持っているべきだというのも本当に正しい。何よりも、ビジネスパートナー同士は対等な関係でありたいものだ。

だが、世の中にはそういった正論が通用しない場合があるのだ。とくに「受発注」関係での有利な立場(不確実性を相手に押し付ける立場)で楽をすることを覚えてしまった人々なら尚更。自ら利権を手放すのは本当に難しい。


4.おわりに(これからやってほしいこと)

本書を読んだ非開発職ビジネスパーソンに頼みたいこと

本書を肯定的に受け止めた方々には、ぜひ、本書の背景にあるもの、本書で語られた考えに至る文脈を理解しようとしてほしい。『「納品」をなくせばうまくいく』『管理ゼロで成果はあがる』ほか、著者の過去作品をあたれば見つかるはずだ。そして、あなたと一緒に働いているソフトウェア開発者と共に、実践の試行錯誤と対話を始めてほしい。

摘んできて生けただけの花は、綺麗だがじきに枯れてしまう。あなたの組織という土壌に植えて根付かせてほしい

万が一、本書の言葉を身勝手な我田引水(レントシーキング)に利用してしまうぐらいなら、本書の内容を忘れてほしい。


本書を読んだ非開発職ビジネスパーソン「の周囲にいる」ソフトウェア開発者に頼みたいこと

あなたと一緒に仕事をする非開発職のビジネスパーソンが本書の考えを実践しようとしていたら、彼らの理解を助けてあげてほしい。

もしも、彼らが本書の内容を誤って理解していたり、現実の圧力に負けて「誤った期待」を持ってしまったとしても、粘り強く期待値マネジメントをして誤解を正し続けてほしい。(当事者としては「たまったものではない」というのは重々承知しているが、敢えてお願いする。)

書物から得た理解というのは不十分なものだ。まして、非開発職ビジネスパーソンは(一般に)ソフトウェア開発に対する理解を深める機会が少ない環境にいる。彼らの理解が本物になるように接することは、あなたの現場だけでなくこの社会、国、世界を変えることにつながる。("We can change the world.”)



すんなり進めるかもしれないし、たいへんな道のりになるかもしれない。私も、何度も何度も失望を味わってきた。だが、私は今後も努力する。あきらめずに歩きつづけよう。



付録:そもそも我々は皆、ソフトウェア開発者といえるのでは?

「ソフトウェア」とは何だろうか? 「ハードウェア」という形のある仕事(成果)と対照をなす概念だから、形のない仕事(成果)全般と理解してもよいだろう。一般にはIT技術を用いた狭義のソフトウェアがソフトウェアと呼ばれているが、形のない仕事全般という広義で捉えるなら、ほぼ全ての人がソフトウェアをつくっていると言えるのではないだろうか?

 もしこれが、田畑を耕して拡大するという話であれば、新しい土地があったとして、そこを追加で耕す時に、既存の田畑のことはそこまで気にする必要はないでしょう。新たに開拓して田畑を広げていけばいいはずです。
 それがプログラムの場合は、それまで動いていた既存のものと、これから追加するものに論理的な整合性が求められます。

本書P42「影響範囲に気をつけて、重複をなくすことも仕事」より

見事な比喩だが、もう少しくわしく思い浮かべてみたい。もし場所の制約で畑が一つのところに、時期をずらして別の作物をつくる(二毛作をする)としたら、前後の作物の生育環境が密接に影響し合うことになる。そうでなくても畑の外に目を向ければ、共同体(農協などの組合)や社会(近隣住民)との調整だって必要になることだろう。

このように、コトの都合を整合させる営為は形のない仕事であり、一種のソフトウェア開発だと見做せる。畑や作物は形があるモノ(ハードウェア)だが、その周囲には形がないコト(ソフトウェア)が絡みついているのだ。




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