八正道(はっしょうどう)
■八正道(はっしょうどう)とは
八正道とは四聖諦の
道諦(煩悩の振り回されず苦悩などを手放す方法)を
具体的に示したと解釈し学ぶと理解がしやすくなります。
八正道はお釈迦様が真理を会得する為に、
初めて説かれた修行法と言っても過言ではありません。
八正道は欲を手放す為に、
"正しい”行いを心掛けるものです。
この"正しい”とされる部分において重要なポイントは
いずれにしても感情的ではないという事です。
正しさを考える時に感情的になっていては
冷静な判断が出来ずに歪んだ価値観を押し付ける事になります。
感情:喜び、怒り、悲しみ、恨み、妬み等
こういった感情から物事を考えると、
自分が得をする方向性のものが正しさであり、
自分の価値観が納得するものが正しさであり、
自分が損をしたり自分に出来ていない事は、
正しくないと評価しがちになります。
これが難しい部分です。
それらの感情は欲望からきており、
その感覚を正しいとするなら救いようがありません。
煩悩、欲望を抑える為に冷静な視点がいるのです。
■幸せと苦悩の対比
お釈迦様の教えでは、
一切皆苦と言い、人生は苦であると説かれています。
しかし日常の中でも楽しい事もある!
そう言い張る方がいるのも事実です。
確かにその一瞬、楽しさを感じる事はあります。
しかし人生規模で言えば、
対比の問題があります。
例えば喜びの感情でも、
会社の重要なプロジェクトを任され成功を収めた。
社長や上司からも称えられ、
後輩からも尊敬された一件があった場合、
本人は凄く喜び、自分は凄いんだと自画自賛する心も芽生えます。
次に再び凄く難しいが、
失敗出来ない社運をかけたプロジェクトがあり、
責任者に抜擢された。
通常でもプレッシャーは凄いものですが、
前回の事で自画自賛し、
周りからも”凄いやつ”というレッテルを張られているので、
何が何でも失敗出来ないと感じます。
それは今回失敗するかもしれないという不安だけではなく、
前回に株を上げた自分の評価を落とさない事も自分の中で重要な案件になってきます。
喜びを得たからこそ、
苦悩が大きくのしかかってくるのです。
最初のプロジェクトで称賛を浴びた幸せと
次にその信用を落とさない等に与えられたプレッシャーという苦脳。
もっと言えば失敗した際に、
前回の称賛があったが故に周囲も期待し過ぎて
裏切られたように感じ、冷たい対応に変わってしまう。
周囲から見放された孤独感の苦悩。
成功の幸せと、見放された末路の苦悩。
実際に経験を思い返すと比較になりません。
喜びと苦は基本的に比較になりません。
こういった場合は同じ感覚の部分で比較します。
■舌による感覚の比較
①凄く美味しく、
味わう舌に幸せを感じる料理
②トゲトゲしく、
さらに猛烈に熱く舌が悲鳴を上げる料理
■皮膚・肌による感覚の比較
①愛する人と抱きしめ合い
肌と肌が触れ合う事で感じる幸せ
②焚火が衣服に燃え移り
皮膚がただれる程の火傷を全身に負った
■聴覚で感じる感情の比較
①大好きな人と電話で話して
心地よい声や口調を聴いている感覚
②耐え難いほど嫌いな相手と電話
嫌な声に嫌な口調で覚える嫌悪感
■心で感じる感情の比較
①大好きな人と交際出来た喜び
好きな人から愛され満足感が溢れている
②大好きな人が目の前で不慮の最後を遂げた
好きな人と永遠に会えない・触れあえない
声すら聴くことが出来ない苦しみ
この様に同じ感覚の部分で比較しても
幸せと感じるパターンと、
苦痛に感じるパターンを、
それぞれ極端なものを例に出してみましたが
幸せと苦悩は1対1の比較にはならないのです。
まったく釣り合わないものです。
こういった一切皆苦を脱する為に
必要な修行こそが八正道なのです。
①正見(しょうけん)
【正しい見方や理解を持つこと】
例え:正見は、霧がかかった森を進む際に、
霧が晴れて道が見える瞬間です。
自分の状況や人生の真実をはっきりと見極めることで、
迷わず進むことができるようになります。
八正道は必要な順番に並んでいると言えます。
最初にこの正見です。
自分の中の自己中心的な正しさではなく、
お釈迦様の説かれた真理をしっかり見る(理解する)事が重要なのです。
四法印・四聖諦の真理を理解せずに、
正見はあり得ないと考えられます。
②正思惟(しょうしゆい)
【正しい考え方や意図を持つこと】
例え:正思惟は船を正しい目的地に向けて舵を取ることに似ています。
感情に流されず、
他者への思いやりや、
争わない意志を持つことで、心の平和を保ちます。
怒りや嫉妬に囚われるのではなく、
相手の立場を理解しようとすることです。
正見(真理)が出来ていなければ、
正しい考え方や意図など持てません。
正見があり、正思惟が出来てきます。
③正語(しょうご)
【正しい言葉を使うこと】
例え:正語は、花に水をやることのようです。
花に油をかけたり、上から重石を乗せたりする事は花を慈しみ、育てる事と反しています。
綺麗な水を与える事で花を育てる精神。
優しい言葉や真実を語ることで、
他者の心を育みます。
逆に、批判的な言葉は心に刺さる棘のようで、
人間関係を壊してしまいます。
誠実で優しい言葉は、信頼を築く基本です。
正しい考え方や意図を持てたならば、
次に行動に移すわけですが、
その際にまず言葉に注意するわけです。
偉そうな立ち振る舞いから出される言葉。
誹謗中傷はもちろんですが、
相手への慈しみを持たない言葉は慎むべきとも言えるレベルです。
④正業(しょうごう)
【正しい行いをすること】
例え:正業は、土を耕して豊かな作物を育てるようなものです。
自分の行動が未来の結果を生むことを知り、
※因果関係・因縁
良い行いを積み重ねることで、
他者にも自分にも実りある結果をもたらします。
小さな善行も積み重ねれば大きな影響を与えることができます。
こうした正業を実践する際の心構えとしては、
見返りを求めないで行う布施(与える)をする事だと言えます。
⑤正命(しょうみょう)
【正しい生活を送ること】
例え:正命は、釣り人が自然を守りながら魚を獲るようなものです。
生き方が他人や環境に負担をかけず、
調和の中で生活を営むことを意味します。
たとえば、他者を騙したり不正を行わず、
誠実に仕事をし、
社会や家族とバランスを取る生き方です。
⑥正精進(しょうしょうじん)
【正しい努力を続けること】
例え:正精進は、山頂を目指して登り続ける登山家の姿です。
苦しい時でも目標を見失わず、
自己改善に努め、努力を積み重ねることが重要です。
新しいスキルを学ぶために日々の練習を怠らないことです。
これは①~⑤までを実践する事。
そのものを指していると言えます。
①~⑤で説かれたものを如何に日々の人生に取り入れ、
怠けずに、また諦めずに行ってく必要があるという事です。
⑦正念(しょうねん)
【正しい気づきを持つこと】
例え:正念は、静かな湖面に石を投げ込んだとき、
その波紋が広がる様子を観察することです。
自分の心や感情、思考に気づき、
常に今この瞬間に集中することで、
心が乱れずに落ち着きを保ちます。
例えば、ストレスを感じたときにその感情を観察し、
流されないようにすることです。
①~⑥までを日々取り入れ、
自分の人生の変化を感じ始めたなら、
それを邪魔するようなものも現れます。
それは自分が過去におかした過ち(種蒔き)が原因で発生した芽であります。
そうした際にも心を乱すことなく、
自分が蒔いた種に芽が出た。
自分で刈り取るしかないと決め、
一生懸命に向き合う(受け入れる)事が大切です。
澄んだ池の水でも、
手を入れバシャンと1回掻き混ぜただけで、
底の砂は浮き始め、
水面は波を立て、よどんだ色になってしまいます。
元の澄んだ水に戻るには時間がかかります。
そしてその時間というのは、
新たに水を乱すことをせずにただ観察する事が大切なのです。
人生も同じで、
その事に気付いた段階に入るのが正念(しょうねん)ですので、
心の安定を観察しながら崩さぬよう、
一瞬一瞬を守っていきましょう。
⑧正定(しょうじょう)
【正しい精神統一をすること】
例え:正定は、ろうそくの炎が静かに揺れずに燃えている様子です。
心が安定し、深い集中状態に入ることで、
外部の誘惑や内なる迷いに左右されなくなります。
たとえば、瞑想や深い集中によって、
心の雑念を取り払い、
内なる静寂を得ることです。
これは例えるなら⑦正念で澄んだ綺麗な池を作れたなら、
その池の中の細部まで観察が出来る状態にあります。
その池の中を"真理”を解釈し、
それらをさらに観察し、見つめる事を行います。
だから⑧正定は①~⑦、、、
特に①~⑥などが出来ていないのに⑧正定をしようとしても不可能だと言えます。
池を澄んだ水に出来ていて、
初めて行える状態になるのです。
①~⑦が出来ていない状態。
よどんで濁った水の中を観察しても、
真実の姿は見えてきません。
⑧正定は瞑想などを通じて行いますが、
あくまでも絶対的に①~⑦が完成している状態での瞑想に意味があるのです。
■八正道:まとめ
八正道は①を理解し、②へ。
②も理解し、次に③へ上っていく。
こうした順を意識して行わないと、極端に言えば⑧から始めたところで何時間瞑想をしても無意味であります。
むしろ逆効果で間違った方向へ走ります。
例えば正見(しょうけん)なら邪見(じゃけん)と言って、
正しく物事や真理を見る事の反対で、
間違った見方で理解し始めていきます。
そうならない為にも順番があるのです。
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