カメラも文章も、千本ノックが必要であると理解した日。
始めて1週間のこのnote。いまだに右も左もわかりませんが、なぜnoteを始めたかと言えば、写真家・森山大道さんの言葉「中途半端なコンセプトは捨てて、とにかく撮れ」に触発されたからです。
最近の私と言えば仕事の文章しか書くことをせず、自分が書きたいことを書く場所をつくろうとずっと思ってきました。しかし、いざ書くとなると「どこで」「なにを」「どのように」と考え始めてしまって、全然着手しないんですね。ただ時間だけが過ぎていくので、「これはまずい」と思って、とりあえず実名でアカウントを作り、自分の写真フォルダを眺めながら、思いついたことを書いているわけです。
ということで写真です。フリーランスのライターというからにはカメラのひとつも操れなければと思い、今まで何度かカメラを購入して、チャレンジしてみては挫折しています。カメラの仕組みや撮影の仕方もピンときませんし、そもそも何を撮りたいのやらわかりません。つくづく絵の人ではないのだなぁ、と思いつつ、ちょっと前に最後のチャレンジのつもりで少し高価なカメラを買いました。デジカメなのに、マニュアル操作しかできないという特殊なカメラです。これを買って即日、とりあえず「オービィ横浜」に行ってみました。
「オービィ横浜」とは、横浜みなとみらいにあるショッピングモール「マークイズみなとみらい」の5階にあった屋内型テーマパークで、約50種類の動物たちと触れ合えるというコンセプトでした。残念ながら2020年12月31日で閉館となってしまいましたが、横浜のど真ん中で動物を見て、触って、さまざまな知識を得ることができるので、子供づれのファミリーはもちろん、カップルのお客も多かった施設です。ここで出会ったのが一匹のハルクインコンゴインコです。
彼は多くのお客が目の前で歩みを止め、好奇の視線を注いでいるのに、ずっと自分の足をついばんでいました。いや、自分の足ではありませんね。自分の足と止まり木を繋いでいる、冷たく光る金属製の鎖をほどこうとしていました。
彼の足にしっかり巻かれた鎖は、彼のクチバシよりもはるかに硬いわけです。いくらついばんでも咥えても、引っ張ってみてもほどけるはずがありません。彼の前で足を止めたお客も、彼があまりにその仕草に執着して顔をあげないので、呆れて立ち去ってしまいます。でも私はその姿から目が離せませんでした。いつ諦めるのか、それとも諦めないのかが知りたくなったからです。結局彼は私が見ている間中、ずっと左足に巻かれた鎖をカチャカチャとついばみ、諦めることはありませんでした。
このハルクインコンゴインコが、私がそのとき購入したカメラで撮影した、最初の被写体です。上手な写真ではありませんが、カメラが上手でないから目の前の光景に心が動かないというわけではありません。写真とは己の心が動いたときに、それを心に焼き付けたくてファインダーをのぞいてシャッターを切るものなのだと、初めて気づきました。それまではただ「カッコいい写真が撮りたい」と思っていましたが、それはあくまで結果であって、「何をカッコいいと思うのか」の方が先だったと思うのです。このインコは、私にはとてもカッコよく見えました。
そして次に出会ったのがこの二人、ケヅメリクガメとオニオオハシです。ケヅメリクガメはケージに入れられながら、ただ干し草を食べていました。そこにやってきたオニオオハシは、彼をケージから出そうとしてロープをほどこうと奮闘します。しかしケヅメリクガメは、それに見向きもせずに干し草と戯れていました。
オニオオハシはケヅメリクガメを逃してあげたかった。彼を自由にしたかった。でも、ケヅメリクガメはその場に留まることを選びました。自由よりも、管理されながらも危険がなく、食事にもことかかない生活を望んだのです。自由とは何にも制約を受けない、すべてが自己責任の世界。これを望む者とそうでない者がいるということを、この二人の行動に見た気がします。
さて、実はこの解釈には無理がありました。このケージの出入り口に張られたロープは、その高さを見ればケヅメリクガメの脱出を妨げるものではありません。実はこのロープはケヅメリクガメをケージに閉じ込めるためではなく、我々無責任な見物人の侵入を防ぐものでした。ケヅメリクガメの自由を制限するものではなく、彼を危険から守るためのものだったのです。それに気づいた私は、これは目の前で起きていることに対して、第三者の勘違いが介入する危険性を示唆しているように感じ、少し怖くなりました。私は自分が見たいように見ていたのです。メディアニュースやSNSで他人の情報が簡単に手に入る世の中では、その扱いに自分を含む第三者の勘違いや意図が含まれていないかをちゃんと考えて、その情報を扱うべきなのではないか、と思うできごとでした。
路上スナップで有名な写真家・森山大道さんの写真はとてもカッコいい。そこには森山さんが気になったもの、撮りたくなったものが写っていて、鑑賞者は撮影者が発見した感動を写真を通じて受け取ります。写真を撮るということは、目の前の光景に自分の心が動いたことを記録することで、それを見た鑑賞者が同じ気持ちになるものを「よい写真」というのではないでしょうか。まず機材やテクニックありきで考えると、人に見せること、撮影することすら尻込みしてしまいそうです。そんなことを考えながら、実はケヅメリクガメの写真はマニュアル操作のカメラが煩わしくなり、ついスマホで撮ってしまったことを告白しつつ、このnoteにしてもカメラにしても、自分の技術が未熟だからこそ、考えずにただ続けようと思うのです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?