見出し画像

何故、「救えなかった」のか・・

電通の新入社員だった東京大学出身の女性が、「過労死」と言う事で亡くなっていたというニュースが、最近世間をにぎわせているとの事。一報を聞いた時、実は、バンコクの国立病院で入院していまして、時系列的に全部追えていたわけではないのですが・・。

私は、厳密に言えばこの女性は「鬱」だけと言う事では無かったと思っています。「鬱と躁の混合状態」で、躁が出た時に、自らの命を落としたのではなかろうか、と。。

例えば、双極性障害(躁鬱病)の場合、鬱のどん底の時に自殺をするという事は無く(鬱の時は、死ぬという気力すらないです)、鬱から躁に「相転移」する時が最も自殺の可能性が高いというのは、精神科の常識です。この時に自害・他害の危険性があるのであれば、「措置入院」(隔離病室などにて)と言う伝家の宝刀が有り得ると言う事です。

この女性が、「双極性障害だった」と言う事を言うつもりはないのですが、少なくとも、「クリスマス」と言うメッセージ性のある自殺の仕方をしたという事を、見逃してはならないのだとも感じるのです。過労死と言う名の「殉死」。このメッセージ性の残し方は、気持ちはわからなくもありません(無かった、と言うべき)。然し、実際に「commit suicide」してしまった、と言う、”誤った判断”そのものは、「過労によるもの」であるが故に、「過労死」と言う事なのだろうな、と。

この女性(後輩)は、東京大学にまで実力で行った”頑張る事の出来る”方です。もう見えなくなっていますが、ツイートを見ても、意志の強さはひしひしと伝わっていました。4当5落と言う言葉すらある、東京大学の入試に受かるほどに「頑張る事の出来る」子が、すぐに「音を上げる」と言う事でもない気がしています(勿論、音を上げる人もいます。・・が、ツイートの内容との整合性が取れない)。

NewsPicksで、とある教授の失言が騒ぎになっていて、テレビのニュースネタにまでなっていると知りました。目の前の同僚をも救えない連中が何「炎上騒ぎ」起こしてるんだ!?と正直言えば思いましたですかね。少なくとも、亡くなった女性のツイートを見ていた人間は、その当時でも千人くらいは居たのでしょうに(フォロー数と同じかそれ以上になるのが通常ですからね)ね。その”連中”は、ヘルプのツイートに対して何をしたというのでしょうか?何もできなかったという不作為それこそが、「情けない」なんじゃあ無いのかしら!?

残された私たちが、世に問うべきは、彼女が残した<メッセージ性>の真意を汲み取る事であって、過労死自体が情けないとか情けなくないとか、本当に些末な下らない事で盛り上がる事では決して無いのではないでしょうか?

「クリスマスに自害」と言う、若き「クリエイティブ」の<死>によって残そうとしたメッセージを、貴方はどう受け止めますか? -- 出来る事なら、”仕事で”クリエイティビティを発揮してほしかっただけに無念です....

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!