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清瀬から浦和まで歩く。(その①)


埼玉を半分くらい横断します!

今回は、埼玉ではありませんが、東京都清瀬市から出発します。
清瀬も知られていない町ですね。西武ライオンズで有名な埼玉県所沢と、鉄腕アトムで有名(? 手塚プロがあり駅の発車メロディがアトム)な新座、志村けんで有名な東村山に囲まれた「清瀬市」
通過する路線は西武池袋線、しかし気づけば練馬から所沢へ。清瀬の駅は1駅なのであっという間に通り過ぎる。
降りれば商業施設の外れに広がる住宅地と農地。関東ローム層が深く広がるこのあたりは近郊農業として野菜、特に根菜類の生産が多く、ニンジンジャムやニンジン焼酎も特産らしい。昭和には結核患者のための療養施設「東京市立療養所」が、雑木林広がるこの地につくられ、結核をはじめとする高度研究機関が集中する「医療の町」とも言われる。
アニメの聖地だと、ごちうさこと「ご注文はうさぎですか?」のラビットハウスのモデルとなる喫茶店(仮面ライダークウガの撮影も)、また映画監督の是枝裕和の出身地で「海よりもまだ深く」の舞台でもある。

清瀬と谷口ジロー

「次は、ひばりヶ丘。秋津、清瀬、東久留米には止まりません。」
僕はよく西武池袋線急行を使い、地元の秩父・飯能あたりの関東山地のふもとあたりから、都内に仕事へ向かう。

所沢から埼玉の県境を通り、東京に入る。所沢の次の駅で東京都東村山市となる秋津はたまに武蔵野線の新秋津を使うとき、周辺を歩く。居酒屋に本屋、カフェなど割と楽しめる町で秋津はよく通る場所だ。

で、ほとんど降りたことがなかった清瀬
最近、 #清瀬市郷土博物館 があるので、郷土資料館や博物館オタクの僕は2度ほど行った。そして先日、漫画家「谷口ジロー」先生の原画展が開催されるために見に行く。

今回は清瀬市を谷口先生をベースに、ささやかながら描写していく。
谷口先生は緻密な線による美しい背景画、そして繊細な人の心の機微を描く巨人であったが、残念ながら2017年2月11日に他界した。
代表作は、10シーズンも作られいまだに大ヒットしている名作「孤独のグルメ」。そして多くの登山家や山の愛好家に影響を与え映画化もされた「神々の山嶺」。他、「餓狼伝」や「犬を飼う」などの傑作がならぶが、僕は名は知っているが情けないことにまだ読んだことはない。

初主演の松重豊さんは、実は小食で、各地の店で食べまくる孤独のグルメのロケは本当に辛いということが先日記事で見かけました。そんな気合と、各地の何気ない美味しい食事(原作の久住昌之先生の持ち味)の描写で大ヒットしています。
登山漫画はいくつか読んでるが、「神々の山嶺」はまだ読んだことない…

そんな僕が、今回清瀬市郷土博物館の「歩く 描く 谷口ジローと清瀬」展を見学して、すぐさま購入した初の谷口作品が「歩くひと」だ。テーマを一言でいえば清瀬を散歩していく漫画だ。

線が、美しい…。
別に清瀬のタウン誌的な漫画ではない。どこにもありそうな町と景色と人とくらしを描いている。

感想を簡単に言うと、「子供の頃は、こういう作品、大っ嫌いだったろうな。とてもつまらなく、数ページで読むのをやめただろう」。
しかし「なんで、今、こういうのを読んで、せつなさに胸がつまり、目頭が熱くなってしまうのだろう。僕が町とその風景や歴史を好きになってnoteで記事を書くようになったからか、歳かな…。最近夕闇に包まれる町の景色とか本当に好きだ…。老いたなぁ。」と思うようになった。
ドラマティックな動きはない、こったストーリーも何もない。中年男性がひたすら近所を散歩するだけ。けどひたすら「この世界って美しいなあ…」て思える作品です。原画展を見て、この作品に触れ、僕は後日「清瀬を散歩する!」と決断し、今回の旅になりました。

この記事は、前日の清瀬郷土博物館の谷口ジロー展の様子と、後日の清瀬散歩の2つに分かれます。ここまで趣旨説明でした。ここから本題です。長くてすいません。

清瀬駅から清瀬郷土博物館まで(昔の写真と谷口ジロー作画の散歩)

ここから、僕が清瀬で撮った写真や、博物館の資料と谷口先生の作画など、いろんな写真が錯綜しますが、まあいろんな視点での清瀬をお楽しみください。
西武池袋線の清瀬駅に着き、徒歩20分ぐらいで郷土博物館。バスでも利用できます。

駅からSEIYUなどが入っているビルまで高架の通路を渡ります。

昔の清瀬駅です。昭和36年の撮影です。

谷口先生の作画です。

駅前の「けやき通り」を歩くとすぐに広がる畑のような土地。

昔はもっと広がる田園地帯のようで。

武蔵野に広がった田畑の時代。東京西部の多摩といわれる地域だ。

特に多摩の武蔵野台地、この辺りは関東ロームの火山灰が深いとかで、根菜類の生産が多かった。練馬や板橋は大根が名物でしたね。下はゴボウ掘りの写真です。先述のとおりニンジンが名物でニンジンジャムもニンジン焼酎も食べたことないので食欲そそります。

さて、道を俯瞰してみましょう。清瀬の位置関係を資料をもとに改めて描写します。次の画像ですね。
古代律令制のころの清瀬で、「下宿内山遺跡」が清瀬北部の遺跡です。
西に東村山と狭山湖と多摩湖がある狭山丘陵。さらに西は箱根ヶ崎駅がある東京都の瑞穂町、そして青梅。
南に武蔵国の国府(今の府中市と府中本町駅)国分寺(今の国分寺市と国分寺駅)、そこから西へ多摩川を超えると八王子で山を越えると山梨県。
清瀬は狭山湖から流れる柳瀬川に沿って人が住み、柳瀬川は今の新座市と志木市(市役所近く)にて川越から流れてきた新河岸川に合流します。新河岸川と、さらに東に並行して流れる荒川を超えると、与野と大宮に入っていきます。荒川低地とやや高い大宮台地。今の埼玉県の中央部ですね。

関東の西の関東山地。
東のふもとにある、北武蔵野台地(本庄台地や比企丘陵)と入間台地や加治丘陵につながる武蔵野台地。その間にある荒川と荒川低地を超えると、現在の埼玉県の中心部である大宮丘陵。
清瀬はこの両サイドを結ぶ交通の拠点と思われる。
ちなみに画像の氷川神社は門前町を形成し、埼玉県の中心地である大宮の語源となった。
調神社は今の川口市にあり、うさぎの神社で有名です。(狛犬がうさぎ)

清戸道は江戸時代に整備されました。西は、東村山とか立川とかそのあたりかな。甲州街道とあるので、府中や日野、八王子までつながるのか。
東は、荒川を抜け、与野を経て大宮を通過し、岩槻で日光御成道に合流し、日光街道(越谷や春日部)にもつながるのかな。
農村地域を結び、近隣の練馬などの野菜を江戸に出荷していた道のようだ。

今回は清戸道を歩きたかったが、どうやら不明な点も多いようで。とりあえず今の道で与野のあたりの浦和まで行こうかなと。

今の地図。ちなみに今日の旅の目的は、清瀬駅から北の柳瀬川に沿って歩き、新座を横断し、志木に入って柳瀬川と新河岸川に合流するポイントを見に行きます。
そして、荒川を横断し、大宮の手前の浦和で帰ります。徒歩20Kmくらいです。

さて、話は博物館までの道のりに戻ります。けやき通りをしばらく歩くと志木街道(県道40号さいたま東村山線)との交差点。
今回は志木街道の北にある柳瀬川をたどります。川が好きなもので!

清瀬市HPの志木街道。
僕が撮った交差点ですが、江戸時代からのいろんな街道が残っているものですね。

さあ、肥料が香る田園地帯の前に、清瀬市博物館がいらっしゃいませです!

谷口ジロー展から見える清瀬。

「歩くひと」の展示です。

この作品は何でしょうか。場所は清瀬かな、たぶん。

静寂のシーンが多いこの作品。絵と動きとしぐさと、そして町の景色や人々の背景。

ふたたび「歩くひと」。自然と町が共存している清瀬。

ふと、一気に高いビルを駆け上がり、そして屋上へ行ってみる。ただそれだけ。

近くにある「東村山ふるさと歴史館」でも、武蔵野の雑木林と人々のくらし、とくに「くずはき」(里山の落ち葉や小枝などを肥料にするために積む)が展示されていた。

村山貯水池(多摩湖)は、狭山湖と兄弟のように並んでいます。

「歩くひと」の中でも僕の好きな話の1つ、第15話「よしずを買って」。
ダイジェストに3Pご覧ください。

この水に打たれるシーンが大好き。
郷土資料館や昔の写真、歴史ものを読みながら、ささやかな昔の幸せのシーンが見つかると、ちょっと感動してしまいます。

雑木林は、かつては里山として、農業に必要なものでしたが、やがて憩いの地、子供の遊び場。「ドラえもん」にも描かれる町の裏山のようなものか、僕も子供のころ近所の裏山は探検する場所だった。

この郷土博物館周辺も緑豊かです。雑木林だったのかな。
僕も長崎の近所の裏山を登り、ちっちゃな自分の町の景色や、裏山の裏側の別の町の景色を見ると、また違った世界を見たような感覚が好きだったなぁ。

川。柳瀬川ですかね。

あとの「清瀬散歩」のくだりでまた載せますが、清瀬の柳瀬川。きれいです。

谷口先生の原画の下絵。

谷口先生による、清瀬のある風景。

それが谷口先生の作画に。

清瀬市郷土博物館から北、柳瀬川方面にある、中里の富士塚です。

僕の撮影です。谷口先生が来た場所と思うと胸熱でした。

谷口先生は犬好きだったのか、「犬を飼う」という作品もありますね。

メガネが割れた世界も楽しんでいます。

また、谷口先生による、とある風景。

ブレブレですいません。

清瀬から新座に向かう。

再度、駅前のけやき通りから博物館手前まで。

博物館裏の自販機。マスコットの「ひいらぎちゃん」は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)による東国征討のとき、ここの柊(ひいらぎ)の木の下で土をつかみ、「清き土なり」と言った。
この清き土が「清戸」となり、柳瀬川と合わさり「清瀬」となる。

博物館裏、植樹によるものだろうが、やはり雑木林を開拓したのかな、と思う。

「歩くひと」を読むと、改めて「散歩はいいなぁ」と思う。

博物館から10数分ほどで、先程の中里の冨士塚。冨士講の方々がつくったらしい。

昔は見晴らしもよかったのか。
志木市の北には「富士見市」「ふじみ野市」もあるから、富士山も見えていたのかな。

柳瀬川に向かいます。

博物館と冨士塚のある住宅と畑の区画を抜けると、ここが丘だったのに気づく。

わが地元、飯能ににてる。
というか同じ西武の丘陵地帯。川沿いの町でもあるし。
川はまわりの土砂を削るため、川のまわりは低地でもある。

坂を下り、柳瀬川に到着!

柳瀬川の上流は狭山丘陵の狭山湖から東村山を経て清瀬に来た。以前「ダムに沈んだ村(勝楽寺村と縄竹村)」にも書いた、わが地元の入間と所沢に横たう湖。狭山丘陵はトトロの森でも有名だが、原始の地殻変動ででき、今でも関東の北西部から臨む狭山丘陵は首都圏に浮かぶ「緑の島」と言われている。


(ちなみに、東京都心の西にある多摩を縦断する多摩モノレールで、いずれ東京南部の神奈川に接する町田市の北の「多摩センター駅」から立川より、さらに延長し埼玉の入間と東京の瑞穂町の境にある「箱根ヶ崎駅」まで結ばれ、狭山丘陵の南部を突っ切る形になる。アクセスがより増えるので、ぜひ、東京の左上に君臨しさらに都内に水を送る狭山湖を多くの人に見てもらいたい。)

うるるるる~。潤ってますなぁ…

狭山湖から流れる柳瀬川。最初に見た感想は「小っちゃ!」。
まあ上流だし。
今は地元民との憩いの場だろうが、当時は舟運もさかんだったのか。
柳瀬川はやがて新河岸川と合流するが、新河岸川は江戸時代には川越と江戸を結ぶ交通路として人や物の輸送の大動脈だった。
なので、そこから柳瀬川へ向かうのもあったのかな。
あくまで護岸整備でこんなに細くなったのかも。

やがて、新座と志木をわたり、川越から流れた新河岸川と合流。そして新河岸川は赤羽まで向かい、そこで荒川から分流した隅田川と合流。
「小っさ!」とは言ったものの、川は土砂などでやや白く濁っていても、とにかく景色がきれいで。
遠くに見える民家も良き。
鴨さんたちのけたたましい鳴き声が響きます。楽しそう。

柳瀬川下る、左岸は団地。川のまわりの広い堤防地帯の側に、公園やグラウンド、学校や団地が多いのは、いざとなると頑強な建物やその屋上に避難するためかな。

綺麗な梅が見れたあたりで。
続きは、清瀬を抜け(けっこう長かったが、景色だけをやや描き)、埼玉県の新座に入り、志木を目指します。途中に入間郡の三芳町と志木の郷土資料館・博物館は過去に撮った写真を今ここで載せようと思っています。

14時半ごろに清瀬駅に着き、最初のスポットである柳瀬川を楽しんだときはもうすでに16時。また浦和に着く頃は夜になるだろうなあ。




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