見出し画像

浦安散歩(加筆修正しました!)

今日は休みだが、いつものごとく、大量の書類整理をしなければならない。
その数30件。正直、一件でかったるいのだが。心を殺して取り組まなければならない。

しかし、今日は千葉の浦安に用事があった。
なんでこんなとこに。わざわざ埼玉の西武から、東京を東に横断し、浦安まで。二時間だ。

用事は30分くらいで終わる。そこで、浦安の郷土資料館に行くことを決めた。

あらかじめ、浦安の歴史はYouTubeでちょこちょこ観ていた。
ディズニーで有名になったこの町の昔の様子を探り、どっぷり浸りたい。夢の国ディズニーより、数十年の時を感じるのは楽しいのではないかと、町歩きタイムトリップの夢を見たく、楽しみになってゆく。
(※ディズニーは一度も行ったことない貧相な田舎者ですが!)

用事はなかなか緊張する。
しかし、この後の自由を満喫するために、がんばる。

終わった。やっと今日の、いや今週の楽しみを迎えるのだ。
ただ、新浦安駅からけっこう歩く。徒歩25分くらいか。

僕はこの歴史館の「漁師町のころの浦安」にとても興味があった。
靴をふだんと別のものにしたため歩きにくい。
しかし、この苦痛の先に夢がある。

新浦安のまわりを撮影する。きっと漁師町のころの異世界のような昔の同じ町が見られるだろう。比較しながら、考え、歴史を感じるのだ。
それにより、僕は数十年から百年を駆け巡ることができるだろう。

あ、道を間違えた。大きな自動車道をわたれない。そうか、ここで大きな歩道橋をわたるのか。
ナビを使いながら、ひたすら歩く。

よし、この辺だ!
しかし、間違えて病院の入り口だ。ここと同じ敷地、回り道をしてさあ、入り口へ!

画像1

「本日は館内整理日につき閉館です」

いや、ホームページにそんなんあったか?



~完
てつをさんの加筆修正をお待ちください。









で、加筆修正しました。
浦安は、もとは面積は今の4分の1。江戸川と、江戸川から分かれた小さな「境川」に囲まれ、昔は漁師町。

画像2

画像3

川から運ばれる土砂の養分で大量のハマグリやアサリなどの貝やキス、うなぎ、イワシなどの魚介が育ち、特に海苔の養殖が基幹産業。境川には最盛期の昭和前期には数千もの船が止まり、住民のほとんどは漁師で、家を出てそのまま船に乗り、漁に出るようなイメージ。
昭和に東西線ができるまでは「陸の孤島」といわれ、山本周五郎の「青べか物語」(べか=べか船のことで海苔や貝をとる1人用の底が薄いベカベカ音が鳴る小舟)でも「町は孤立していた。北は田畑、東は海、西は根戸川(江戸川)、そして南には沖の百万坪と呼ばれる広大な荒地が広がり、その先も海になっていた」とある。船でしか移動するしかない町だったようだ。

画像4

(現在の境川)

画像5

画像6

(境橋にある写真。シンクロ感がたまりません!)

画像7

画像8

画像9

以下、歴史館の外展示で撮影した漁師町の浦安の復元

画像10

画像11

画像12

東西線の浦安駅や郷土歴史館と市役所の周辺は田畑が広がっていた猫実。
アニメの「浦安鉄筋家族」のOPで聞いたときに、変な名前だと思っていた。
もともとこの田畑地域は高潮や洪水など水害も起きやすく、鎌倉時代あたりに豊受神社あたりに堤防をつくり松の木を植えた。その松の根を越さないように、「根越さね」から猫実という名前に。漁師町で猫がたくさんいたからか、なぜか猫実という名前に。

画像13

画像14

画像15

(歌川広重による江戸時代の猫実)

京葉線の新浦安駅から歩いて行ったのだが、歴史館まで徒歩20分。そこから東西線浦安駅までさらに15分。3kmくらい?
よっぽどの強い意志がないと、もう行かないかもしれない。
京葉線で行くまでに当然、舞浜ことディズニーランドの最寄り駅がある。
たびたび仕事で行ったときに、混むんだわ。けど、舞浜でごっそり乗客が減る。嫌な仕事でいらついているときに、ディズニーで楽しむ人々に嫉妬で「軽く〇ねますね!」と「◇意」を向けるのは内緒の話で。
で、このディズニーを京急電鉄系列のオリエンタルランドがつくったのが昭和58年。塩田だった場所(江戸幕府が保護した行徳塩田!?)にできた関東屈指のアミューズメントパーク「谷津遊園(習志野市・今の谷津干潟)」がそのまま移ったような形になる。昭和30年代に工業化が進み、40年ごろ埋め立て事業がはじまる。

しかし、当然のことながら浦安漁民との対立が起きる。製紙工場などをつくっていたが、そこで浦安漁民が暴動を起こすなどの事件もおきたようだ。

新浦安駅の向こうには海が広がる。日の出海岸はまだ行ったことないな。
駅前に巨大なイオンが見える新浦安駅のまわりが、ともと海か、山本周五郎が「青べか物語」で語った「葦や雑草が広がる荒地」だったことを思うと感慨深いな。

うちの実家も、もともと山で、100年前は存在してなかった町だからな。
また100年後には町も更新されることだろう。歴史をタイムスリップすることできるが、未来はわからないものか。

画像16

(新浦安駅前)

画像17

(スタート地点ちゃんと撮っといたぞ!ディズニーも舞浜駅で撮っときゃよかった。)

画像18

浦安駅近くは、焼蛤屋がいくつかあった。
昔の佃煮作りを動画で見たが、この店舗のお姉さんたちが、この大量の蛤とアサリの串を作ってるのを見て、当時の職人とダブる。


~本当の、完。

この記事が参加している募集

#この街がすき

44,055件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?