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怒りについて

前回記事に続いてAmazonKindleから出版した電子書籍の内容について解説します。

なお、以下は電子書籍の一節を一部改変したものです。

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「瞋」(じん)とは、

承認欲求が満たされないことによる衝動的な激情をともなう怒りのこと。

相手に絶対的価値があることを信じ、これを尊重(リスペクト)する姿勢がなく、自己の利益、プライド、評価、信条、地位といったものを維持または誇示するために、粗暴な言動によって相手を都合よくコントロール、操作、支配しようとすること。

怒りの波動によって相手を身動きできないように縛り上げようとすること。

つまり、私憤(しふん)のこと。

肉体をまとう動物性のある人間であるかぎり、反射的は反応として私憤にとらわれることは致し方ないことではあるが、

怒りでむしゃくしゃとしたら、

まず、

深呼吸をし、

怒りにとらわれている自分を客観視し、

怒りの炎から自分の意識を離脱させ、

平静な心になることである。

次に、

私憤を教導の怒りである公憤(こうふん)とすることである。

公憤としての怒りとは、

相手の絶対的価値を信じ、尊重しつつも、

相手のよりよい未来や幸せのために、

または自分を含めたすべての人々の公共の福祉のために、

冷静な理性によってなされる統制された怒りのことである。

あえてする意図的な怒りである。

まとめれば、

相手への絶対的価値を信じ、これを尊重しつつ、

相手のよりよい未来や幸せのために、

または自分を含めたすべての人々の公共の福祉のために、

冷静な理性によってコントロールされたもとでなされる意図的な怒り

が公憤だと言える。

日常の場面で、私憤を公憤に変えることのできる「心のちから」を養いたい。

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怒り。。。

これも難しいテーマですよね。

肉体をまとう動物性のある人間であるかぎり、自己防衛本能があり、自分を害すると思われる人やに対しては反射的に怒りを感じますよね。

これは自然なことで、何が悪いっ?て感じですよね(笑)

あっちが悪いだろうがー。ふざけんな。いいかげんにしろ。

て思いますよね。

ごもっとも~!!!

でも、

そのままこれを表出すれば、その場ではスッキリするかもしれないけれど、

人間関係は破綻し、怒りもさらに燃え上がり、むしゃくしゃした思いはさらに踏んだり蹴ったりの現象を引き寄せることになるでしょうね。。。

相手に非があることも少なくないのに、怒りにとらわれて自爆、自滅するようなことになります。まことに馬鹿らしい。。アホらしい。。。悔しい。。

だから、

私憤にとらわれてイライラしてむしゃくしゃして過ごすのは馬鹿らしい。

自分の心身に何の益もありませんからね。

怒りにとらわれたら、

まず、

スーハー、スーハーと丹田(へその下)を動かしながら深呼吸をしつつ、

自分が怒っていることを客観視しましょう。

「おー怒ってる。怒ってる(笑)。おーーかなり怒ってる。そうか。○○が許せないんだね。」

てな具合で。。

こうすることで、怒っている自分を客観視する別の冷静な認知(心理学においては「メタ認知」と言います)に自分の意識が移行します。

平静な心が戻ってきます。

そのうえで、

相手への絶対的価値への尊重と平静な心のもとで、

相手のよりよい未来や幸せのために、

または自分を含めたすべての人々の公共の福祉のために、

理性によってコントロールされたもとでなされる怒り

といった公憤ができるようになることも、

そうした「勇気」をもつことも、

大きな人格になるためにどうしても必要なことなのでしょう。

「アサーショントレーニング」(相手の意見も聞きつつ、自分の意見もしっかりと表明する姿勢=アサーションのトレーニング)とも共通するところがあるかもしれません。


今回はここまでです。お読みいただき、ありがとうございました。

みなさんの生き方の参考になれば、大変嬉しく思います。




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