キャラ時代の終焉が来るかもしれない
今回は溜まった思考を吐き出すために、雑談回。内容が完全にまとまっているわけでもなければ、検証ができているわけでもない。とりとめのないアイディアである。
キャラ時代の終焉かも?
一昔前まで必ず放送されていたアイドルアニメも、(男女問わず)最近では少なくなってしまった。その背景として「キャラ」時代の終焉が迫りつつあるのではないかと、自分なりに考察している。
「キャラ」はキャラクターの略称であるが、キャラクターとはまた異なったニュアンスを持っている。そこで、自分なりに「キャラ」を定義してみたい。
(1) 「キャラ」時代の振り返り
(1-1) アイドルについて
2020年以前は「キャラ」が求められていた時代だったと感じる。不完全なアイドルが努力をしながらパフォーマンスを磨いていく過程が求められ、いざ上達してしまうと見向きもされなくなる。人格としても、一種の幼児的な演技を「キャラ」として強いられていた。恋愛禁止もその延長線上にあったのではないかと感じる。「キャラ」が崩れてしまうからである。
(1-2) 歌い手について
これはアイドルだけでない。「歌い手」と呼ばれる存在もそうだった気がする。視聴者が求めていたのは歌い手の個性と素人感であり、ヘタに上達してしまうとファンが離れてしまうこともあり得た。彼ら・彼女らは少年少女の理解者としてあり続けねばならなかった。そんな状況において、抜け駆けして成長することは許されない。そうすると「キャラ」が崩れてしまう。
(1-3) 閑話休題~日常系アニメ
日常系アニメの流行も、「キャラ」の時代に関連しているように思う。『けいおん!』も『日常』も『ご注文はうさぎですか?』も前提にあるのはキャラであり、キャラの掛け合いによって展開を駆動していく。そこにあるのは、少々のトラブルはありつつも、永遠に変わらない穏やかな日常である。しかし、これも2020年代以降、下火になってしまったと感じる。
(2) キャラ時代の終焉はいつから始まったのか?
(2-1) 2020年代以降に何が起きたか?
最初に語らねばならないのはパンデミックだろう。ロックダウンや外出制限によって、アイドルの活動は大きく制限された。次いで、多くの人々の生活様式が変わってしまった。修学旅行といったイベントは中止され、クラスメイトと対面することもままならない状況が続いた。大学ではサークル活動も制限される。スクリーンの向こう側に映る”日常”は、我々にとって日常ではなくなってしまった。
(2-2) ”プーチン大統領”というキャラの崩壊
ともあれ、パンデミックは(1)で挙げた人々の活動に致命的な影響をおよぼしたことは間違いない。しかし「キャラ」とは関係がない。では「キャラ」時代の終焉を決定づけたものは何だろうか? 個人的には、ロシアのウクライナ侵攻だったのではないかと予想している。
特にあの開戦演説が「熊を乗り回す筋肉質でワイルドな大統領」というイメージを崩壊させたことは、間違いないだろう。以前から(チェチェンなどで)残虐行為を隠れて行っていたが、「ロシアを守るためなら手段を選ばない愛国者」として、日本ではそれなりに好印象だっただろう。しかし、2/24以降、プーチンは「冷酷無比で神経質な老人」となってしまった。世界最大の「キャラ」の崩壊が起きたのだ。
(2-3) 永久不変のキャラは、想像の世界にもいない。
キャラ崩壊は至るところで起きている。俳優や声優の不倫報道。政治的なスキャンダル。アイドルの炎上。そこに世界最大のキャラ崩壊が起きてしまった。
そして、我々は「永久不変の”キャラ”は存在しない」と刻み込まれてしまったのではないか。登場人物はどうしても変質していくものであり、「キャラ」は存在しない。そう気づいてしまったのではないか、と感じる。
2020年代以降は、反対に、キャラ崩壊(キャラの豹変/覚醒)によって物語を駆動していくようになるのかもしれない。あるいは、もう登場しているのかもしれない。
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