作り方がわからないものは作れない

 決して、友人知人から心配されたい訳ではなく、生きるというイベントに対して何の不満もなく、別に死ぬ予定もない。というか楽しみ方具合で言えば人類平均よりよっぽど人生を刹那的に楽しんでいる(前置き

 人生に特に夢も希望もない。
長期的なビジョンを描いて計画的にやりたいことも欲しいものもない。
育ててくれたおばあちゃんはとっくに亡くなったし、暫定一位でこの世で一番俺を好きだった他人(他犬)のシロ子も亡くなって久しい。
俺と違って身体も小さくガキの頃はしょっちゅう泣いて帰ってきた妹も、お仕事的にも人格的にも当たり物件を見つけて嫁いで幸福に暮らしている(らしい。それなりに良いお家なので、下賤の身であまり近づかないようにしている)
心配するようなことも全て片付いてしまって、死ぬときに未練になるようなモノもコトも何一つないんだよな。
これ、もう俺の残りの人生はロスタイムであり、混じりっ気なしのポジティブな意味で、どうなろうとどうでもいいのだ。

 本当に心底から仕事もプライベートも楽しいし、自己肯定感もエベレスト並に高い。
友人知人にも恵まれている。
日々の暮らしに何の不満もない。
それでも、どれだけ想像しても、死ぬ間際に思うのは
「やっと終わるわ」
ということだけだと思うんだよな。
やるべきこと全てが片付いてからの、長い長い暇潰しがようやく終わるんだという安心感が、未練や後悔よりずっと強い気がしてならない。
これだとおばあちゃんが育ててくれたコストを考えたら割に合わねえよなあ。
損をさせちまったなと申し訳なくなる。

 政治やら国家の在り方云々みたいなお話にほぼ興味がなく、徹底的にノンポリなのは、そんなものがどうなっていようが、俺にとって重要な問題であるこの中身の空っぽさには何一つ関係がないからだというのも理由なんだろうな。
民主主義だろうが共産主義だろうが、憲法がどうなろうが軍隊がどうなろうが、自分の内側の問題には何の影響もない。
そんなものが変われば救われて満たされるような問題は羨ましいなと、厭味でも何でもなく思う。

 善人の振りをし続ければそのうち善人に近づけるし、知識を深めて少しでも知的な人間になろうと願えばそうなれるけれど(個人差で到達具合は違うだろうが)この薄っぺらさと空っぽさをどうにかするにはどうしたらいいのか、わりと長年のテーマにしているのに全く解らん。
タチが悪いのは、生きていること自体は何も辛くないし、周囲の人間からは俺なんかには見合わないレベルで良くして頂いているという自覚があるところなんだよな。
そんなに恵まれているくせに、そうした環境でやりたいコトも欲しいモノもなく、くたばる間際に未練も何も残らないとか、恩知らずだよな。
困った。
これが育成環境により培われた感性ならまだ諦めもつくけれど、妹がそうではない(中身はわからないが、多分)以上、どう考えても自分自身に由来するクソさだと自覚している。

 どうせ何をしてもくたばるときの感想が変わらないのなら、せめて少しでも善行を積み重ねたい。
おばあちゃんが払った分のありとあらゆるコストを世界に還元しないと、このままただ生きることだけが得意な木偶の棒として終わっても勿体無いからな。
クリスマスが近くなると毎年感じる。

 あとブッシュドノエルはケーキっぽくないから嫌だ。
普通の丸いクリスマス用のケーキがいい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?