不登校当事者の知見を集めようとしたらとんでもない量が集まってしまった
最近娘が学校行きたくなくなっている
夏休み明けからあまり調子は良くなかった。
何だか疲れる、しんどい…と、早退したり、遅刻したりというのがずっと続いていて。
今年の夏は本当に暑かったし、暑いというだけで体力も精神力も削られてしまう中、始業直後の時間割には実力テストだとか校外学習みたいな結構濃いめのものが詰まっていた。
…なんで休み明け早々、そこまで頑張らせる必要があるんだろ…?と、私は時間割を見てげんなりしていた。
私は今年の夏の暑さにはかなりやられていたので、時間割を見ただけで疲れてしまったのだけど、それをこなす娘はきっともっと疲れたことでしょう。
娘は特別支援級なので、支援級でない子と比べれば負担はずっと軽かったとは思う。けど、それでも。
正直…休み明け速攻テストするとか、夏休み中ちゃんと勉強してたかチェックするぞ!みたいな圧がすごくて、正直なところ、怖いと思った。
最初のうちは、頑張って行っていたんだけど、ぽつりぽつりと。
6時間授業が長すぎてつらいとか、算数の勉強がわからなくてつらいとか、テストが疲れるとか漏らすようになってきた。
実際私も、連日6時間も勉強させる必要があるのかって思っていたし、その上、家に帰ったあとも家庭学習の時間をしっかり取れとか宿題もやれとかいう圧もあるし(我が家はこれはほぼ無視しているけれども)、今の子どもにとって楽しいものである家庭でのメディアとの関わり方までも学校が介入してくる(これも無視しているけれどもw)。
あれこれ管理されて、現代の子ども、しんどすぎん?って思っている。
だからつらいと子どもが漏らすなら「うん、たしかに辛いと思う」って言って、休ませたり、遅刻させたり、早退させたりしていた。
でももう、コップの水がね。
日々、着々と溜まってたんでしょうね。
ついに、学校っていうものを完全に拒絶するに至ったわけです。
何で読んだんだっけ、忘れてしまったけど。
心のコップに溜まる水が「辛さ」のバロメーターだとして。
その水を少しずつスプーンでかき出すぐらいじゃ本人は楽にならないんだよ、っていう話。
一度、溢れるところまで溜まってしまった「辛さ」があるのに、その場しのぎのちょっとした対策をしたぐらいで、コップの水は空にはならない。
むしろ少ししんどいことがあるだけでまたすぐ簡単に溢れてしまう。
一瞬水が減らせて、溢れるのが止まったことに安心して、何度も溢れさせてしまっているうちに本人の心は限界を迎えて、溢れるだけでなく、コップが割れてしまうんだよ…みたいな。
コップを空にするためにはどうすればいいかとか、コップをもっと大きくするにはどうしたらいいかとか、コップに入ってくる水の量を減らすにはどうしたらいいかっていう根っこの部分をどうにかしてあげないといけないのに、大人はついその場しのぎで見えやすい小さな原因だけを取り除く。
コップの水が溢れてしまった
私は、算数が嫌と言われたら、算数の授業はサボって遅刻して行こう、って言った。
テストが嫌と言われたら、テストは受けなくて良いように先生にお願いした。
6時間授業が長すぎると言われたら、遅刻と早退どちらか選べるようにした。
そうやって、しんどいことを少しずつ減らしてあげれば大丈夫って思っていたんだけど。多分、これは、コップの水をちょっとだけ減らすだけの対応だったんだ。
スプーン1杯のしんどさを外に出してる間に、スプーン3杯のしんどさが溜まるような生活だったんじゃないかと思う。
遅刻や早退を使えば登校出来ていた娘だったけど、ある朝、遅刻でも早退でも学校に行く時間になったら固まってしまうようになった。
多分、ついに水が溢れてしまったんだ。
私はそれでも、まだ減らせる原因があるなら減らして、学校に行ってほしいと思った。
家族ではない、家の外の人と触れ合う時間は最低限あってほしかった。
動画の中にいる一方通行の、半分バーチャルみたいな相手ではなく。
ちゃんと生身の、対話を交わせる相手との時間は持っていてほしかった。
別に勉強なんてしてくれなくていい。
勉強はおとなになってからでも出来るから。
無邪気な子ども時代は、子ども同士じゃないと過ごせない。
学校側としてはさすがにそんな登校の仕方は困るだろうけど、なんなら休み時間だけ行ってくれるんでも良かった。
中身があるような無いような話をして、下らなくて、一見有意義でも何でも無い、それでも楽しい時間を誰かと過ごすこと。
私は、そういう時間こそがとても大切な時間だと思っている。
テストや成績なんかより、ずっとずっと。
でも、もう、コップの水が溢れてしまったなら、無理はさせたくなかった。
学校はしばらく本人が行きたいと思えるまで休ませてあげることにした。
それでも何か、減らせる原因があるなら…なんて思ってぐるぐるしていた。
学校が嫌いな人の記憶
そんなことをぼやいていたら、友人が「私も学校嫌いだったから娘ちゃんの気持ちわかるよ」って言ってきた。
母である私自身は、学校が嫌いではなかった。
案外楽しく学校に通っていたような気がする。あんまり覚えてないけど。
小中皆勤賞取ったぐらいだし、好きだったんじゃないか、多分。
いや、ただ「休む」という概念すらないクソ真面目な子どもだっただけかもしんない。
うん。どっちかと言えばそっちかも。
夫も学校は何の迷いもなく行けていたタイプ。
両親ともに、学校に行きたくない子どもの心が全然わからない。
わらにもすがる思いで、友人に「学校が嫌いだった、っていうのは、どういう理由で嫌いだったのか」と聞いてみた。
そしたら友人は、集団の中にいると疲れちゃう、とか、刺激が多い場所にいると疲れちゃうとか、そんな理由を教えてくれた。
その理由は、色々過敏傾向が強い長女にもすごく当てはまるなぁと思った。
そしてそれは、多分、学校という環境から取り除くことはかなり困難なものだと思った。人が多いのはどうしても仕方のないことだし、人が多ければ刺激が多いのも当たり前だ。
きっとコップに水を溜めるものって、ものすごく沢山あるんだろうなと思った。その場しのぎで嫌いな算数の時間やテストの時間から逃げるぐらいじゃどうにもならないんだろう。
後は他にどんなものがあるのかなぁって、それを知りたくなった。
学校が嫌いではなかった私にとって、友人からの、実体験に基づく「学校が嫌だった記憶」を聞くのは純粋に興味深かった。
そんなわけで、X(旧Twitter)で、こんな投稿をしてみたのである。
SNSの良い使い方
子どもの頃の漠然とした「嫌」は、大人になって振り返ったとき言語化出来るものになっているのだろうか?という好奇心。
投稿してから数分でどんどん返信が増えていった。
返信に返信している間に次々と体験談が増えていく。
返信が追いつかない!こんな経験は初めてだった。
そんなとき、娘が「図工だけなら行ってみようかな」という意志を見せた。
本人がやる気になったときは逃しちゃならん。
私は図工の時間だけ学校に連れて行ってみた。
少人数で静かな空間を学校側も確保してくれたので娘は楽しそうに教室へ入っていった。数日ぶりにあった友達と、ゲームなんだかアニメなんだかしらんけど、謎のキャラクターが可愛いという会話を交わしている。
ちょっとホッとする。
子どもを学校に置いて、帰宅して投稿を見たらさらに返信が増えていた。
今度は下の子の就学相談があったので、その後で返信を返そうと思ったら、就学相談を終えて投稿を見たらさらに返信が増えていた。
やばい。これはもう、あれだ。
ドラえもんの栗まんじゅうである。
バイバインである。
食べても食べても増え続けてどうしようもないやつである。
返信することによってその投稿がまた伸びて、新たな返信が付く。
下の子の就学に関しても色々悩ましい部分があり、考える事がパンクした私は一旦その投稿を見ないことにした。
体験談教えてくださいと投げかけた当人がそれに集まる言葉を無視するなんて無責任極まりないが、一度勢いづいてしまった投稿への返信は止まること無く増え続けていく。
ドラえも~ん、ロケットで宇宙に飛ばしてぇ!!!
辛かった記憶を知りたい人と、語りたい人と
しかし、この「不登校のときの気持ちを教えて」という投稿。
この投稿に集まる、沢山の”辛かった子どもの頃の記憶”。
落ち着いてから読んでいったが、それぞれ全然違っていて、それぞれが各々しんどかった。
不登校の原因って探ってもわからないことが多いと聞く。
そりゃそうだ、こんなに多彩なんだものな。
今このnoteに文字を打っている段階で、返信数は260件。
でも栗まんじゅうは多分もっと増え続けるのだと思う。
返信を返し続ける余裕はないが、少しずつ読んでいる。
もはや学校という場所に向けた、呪詛に近いレベルの「しんどさ」を訴える沢山の返信。
それだけ、しんどさを抱えたまま幼少期を過ごして大人になった人がいるということなんだと思うし、そして何より、それを語っていい場が与えられてこなかったからこそ、こんなにもこの投稿に反応が集まったのではないか。
”本当はしんどかったよ”と、大人になっても誰かに吐き出したい記憶というのは誰しもがきっと持っている。
”しんどかったね、頑張ったね”と言って欲しい望みを持ってる人もたくさんいる。
でも、誰彼問わず語れる経験でもない。
学校が楽しかった人や、頑張って通い続けた人にそれを語っても「甘えだ」とか「ズルい」とか言われてしまうかもしれない。
相手がどんな生き方をしてきたかもわからない状況で、その辛かった記憶を安心して語れる場所は、なかなか無い。
そんなところに「あなたの記憶を教えてください」と望む場所が現れる。
どんな経験にも、私は序盤「教えてくれてありがとう」と返し続けた。
語っても安心できる場の土台が、そこで出来上がった。
ここなら、語ってもいいんだと思う人が集まってくる。
沢山の人が語っている場だからこそ、語れる人もきっといただろう。
同じ思いを抱えて学校に行かない選択をした人を見て、安心した人もいただろう。
自分の胸の奥にあった経験を書き込んで、それに「いいね」がついて、少しだけ救われるような思いをした人も、いたかもしれない。
そして現在進行形で、子どもが学校に行かず、どうして子どもが学校に行けないのか思い悩む大人たちにとって、この沢山の経験談がありがたいものになる事もあると思う。
つらい記憶を吐き出しても、相手は困らない。
むしろ、聞きたがる、喜ぶ。
吐き出した側も少し胸が軽くなる。
知った側も、知らなかった世界を見て、視野が広がる。
SNSって、こういう使い方をしていけば、こんなにも、誰にとってもありがたいものになれるんだな。
『待つ』という結論
沢山の経験談のなかに、ちらほらと「学校来ないの?」「いつなら行ける?」と聞かれる事が苦痛だったということばがあった。
薄々気付いていた。
前の日の夜に、明日の時間割を確認して「この授業なら行けるかな」と話し合う時間。
朝起きて「今日は何時間目からなら行けそう?」と聞く瞬間。
そのとき、娘の顔は明らかに曇っていた。
聞かれたくないんだろうな、と、思っていた。
それでもやっぱり、確認しないと気持ちはわからないからと毎日聞いていた。
何時間目から行けそう?って聞かれたら、どうしても「行ってほしいと思う相手の圧」みたいなものを感じさせちゃうじゃん。
わかってるよ。
でも聞かないとわかんないしさ。
でも、でも、でも。
そうやって聞いて、娘が返した答えはさ、本当の気持ちなのかな。
行かないって答えたらお母さんががっかりするかな、とか
先生も待ってるかな、とか
友達も待ってるかな、とか
そうやって、自分以外の誰かを思って、自分の気持ちを押し込めて「行く」って答えるしかない状況を作っていないかな。
そんな迷いを持ちながら、毎晩、毎朝、私は娘に確認していた。
でも「嫌だった」という記憶があったことを聞いて、薄々感じていたその違和感は、多分やっぱり無視しちゃいけない気がした。
それで今朝、娘に違う質問をした。
「お母さんは、どうしても娘に学校に行ってほしいと思ってはいないんだ。でも一応、行きたくなってるかどうかを確認しておきたいから”今日は何時間目なら行けそうとかある?”って聞いてたんだけど、聞かれたら、行かなきゃいけない気持ちになると思うんだよね。
もう、娘が行きたいと思えるまでは学校はお休みにすることにして、毎朝聞かないようにしようと思うんだけど、いい?」
娘は涙目になって頷いた。
「毎朝聞かれるの、嫌だった?」と聞いたら、もう一度頷いて、笑った。
ちゃんと話し合って、本人の意志を確認しているつもりだったけど、無理させちゃってたんだなと思った。難しいなぁ。
「行きたいなってなったら教えてね」と言ったら、娘は満面の笑みで元気に返事した。
きっと、しばらく娘は学校には行かないんだろう。
「行けない」でなく「行かない」なのだ。
たったひと文字の違い。
でも大きな違い。
本人の意志を尊重するからこその「行かない」選択。
それが「行きたい」に変わる日まで、私は私に出来ることをしよう。
たくさんの経験談が集まったからこその、私の今の結論。
人生の大切な一部を伝えてくださった皆様に、感謝を。
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