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普通になれない人に読んで欲しい本

すごい本を読んだ。

知り合いが「すごい」と勧めていて、何となく心に引っかかって買った。
そしてあっという間に読んだ。
こどもの声が耳に入らなくなるほど没入してしまった。
2日で2周読んだ。

多分「普通になりたい」と一度でも願ったことがある人なら、恐らく序盤の小学校時代のくだりを読むだけでもうこの物語から離れられなくなる。

「別に友達が欲しいわけじゃない。ただ、変だと言われるのは嫌」

「ただ普通に話そうとしているだけなのに、自分が言葉を発すると一瞬の間とともに空気がおかしくなる」

「自分は宇宙人だから、地球で生きていくために地球人に擬態しないといけない」

漠然とそう感じて生きてきた、過去の記憶と今までの想いが見事に文章として可視化されていることに興奮すると同時に、文章を読みながら幼かった頃抑圧しつづけた感情のようなものも掘り起こされる感じがした。

「子どもが子どもらしく」振る舞おうとして失敗し、大人に真剣に怒られた後に自分で自分を責める描写は思い当たる記憶がありすぎて胸が苦しくなった。
物語に対してというより過去の自分を思って泣いていた。

必死なんだ、必死なんだよ。
なのに、それすら。

わたしも、小さな頃は好きなように話したいことを話し、遊びたい遊びを好きなように遊んでいたはずだ。

でも何かするたびに「変だよね」と言われる事を繰り返した。
どんどん自分を消そうとした。消えやしなかった。
いつまでたっても「変わってる」と言われる事実は残る。

自分はなんだかわからないけど、変なのだ。

変と言われたくない。
周りを真似しても上手くいかない。
だからやっぱり自分は変らしい。
でも何が変なのかわからない。

何が変なのかを自分で気づけない事が、自分が変である事の証明。

私もそうだ、この主人公『田井中広一』と同じだった。

私が前に書いたきぐるみの漫画と同じだ。

猫の世界で生きる為に、猫のキグルミを着るリスだ。

”ほら、私はみんなと同じなの”
”頑張って魚も食べるから”
”だから変だと言わないで”
”普通じゃないなんて言わないで”

私はずっとボロボロのきぐるみを着て猫を装っていた。
自分では猫に擬態しているつもりだったが、全然猫になれていないことに、若い頃の分自身は気づけていなかった。
滑稽だ。

別に友達が欲しかったわけじゃない。
ただ、何かに所属していれば普通でいられる気がしていたから、そこにいただけだ。

その心の痛みが、冒頭ではとても上手に描かれている。
当事者であれば確実に突き刺さると思う。

これ、当事者じゃない人が読んだらどう思うのかな。
え?こういう物語だよね?フィクションだよね?って思うのかな。

いいや、あれは限りなくリアルだ。
もし、そういう空気を自身が体験したことがないのなら、そういう空気の中で生きている人がいるのだと思って読んでほしい。
あの空気は、本当にしんどいのだ。

そしてそれは自らがなりたくてなったわけではない。
ただ、生まれつき、そう生まれてしまっただけなのに。
どうしてバカにされたり嫌悪される対象になってしまうのか。

文章でそれを描ききれているのが本当にすごい。
何よりデビュー作だということがすごすぎる。

そして広一と、もう一人の男。
美術教師の『二木良平』とのやり取りを中心に物語は進んでいく。

二木先生は、とても人当たりがいい。
人あしらいがうまく、言葉の返しもうまく、人に嫌われないための処世術を上手に身に着けている大人だ。

広一からしたら、対極にあるような「普通」の世界にいる人だ。

物語の冒頭では、そうなっている。

だがそれは違うのだ。
二木がは上手に上手に擬態する術を身に着けた大人だっただけで。

誰よりも隠さなければいけない、知られてしまえば社会的立場を失うようなものを持っていた。
それもやはり、自ら望んで手にしたものではない。
生まれつきのものだ。

それを持っている事が社会的に良くないことを知っている二木は、隠しながら上手に立ち回る術を身に着けて生きてきたのだ。

だがその秘密を広一が知る。

社会から弾かれる人間同士。

擬態する人生を長く生きた二木の立ち回りは見事で、優位なはずなのに手のひらで転がされるかのような広一はとても「若い」という印象を受ける。

スリリングな2人だけのやり取りから、クライマックスに向けてどんどん物語が展開し「普通」って何なんだという問い掛けがどんどん沸いてくる。

絶対的少数は悪ではない。でも、悪にされる。

だが多数派は、本当に多数派なのか?
声が大きい人間に流されている人間がもし逆側に転んだら、もしかしたら少数派は少数派じゃないのではないのか。

多数派が掲げる正義は本当に正しいのか。

社会的に悪癖と言われるものは、仮に、誰にも被害を与えなかったとしても悪なのか。

私も、この物語を読むまで二木先生が持つものに対する嫌悪感があった。
どうしても、子を持つ立場ならなおのことだ。

でも、本人が望んでそれを手にしたわけでもないのに、勝手に社会的に悪いものと決めつけてしまうのは暴力的で。
だからといって、その気持がわかったからといって簡単に認めてしまえるものでもない。

いや、でもやっぱり結論として「他者に直接的に迷惑をかけない」のであれば別にどんな物を持っていてもいいのではないだろうか?

間接的に迷惑をかけるならやっぱり駄目か?

でもそれを言い出したら、人なんて誰しもそういう誰かに影響を与えるような何かを持っているのではないか?

だって、多数派の筆頭にいた声の大きい人間が、この物語の中で美しい人格者であるなんて到底思えない。一番の正義を謳っているようでいて、物語の中では一番の悪にしかみえない。

何も悪いことをしていない相手を、世間一般の常識になぞらえながら『気持ち悪い、気に食わない』という理由だけで罵って、囲って、否定して、排除しようとするその行為がまるで絶対正義のようにふるまう様はとても滑稽だ。

広一が「アスペ」と言われて罵倒されるシーンは頭の奥がビリビリ痺れるような感情に襲われた。
本来脳の発達の違いにつけられたその名は、3文字に略された瞬間、主に人を否定するとき使われる。

その場に居たら、殴りかかりたいほど小説の中の登場人物への怒りを感じた。そう感じさせるほどのキャラが作れていることもすごい。

ラストの方は予想外すぎて読んでいて動悸が止まらなかった。
全く予想もしていないものが襲ってきた。
正直身体がふるえた。

***

二木先生が、広一に対して最後に告げた結論というか、アドバイスのようなものは「生きづらさ」を「生きやすさ」に変えることができた人誰もが得るものなのだろうか。

だって、私もそうだったから。

それが出来るようになってから、私の場合は、きぐるみを脱いで擬態をやめた。

変だと言われるなら、それでいいやと開き直る事。

でも二木先生のものはそういう類のものでもない。
寂しさを抱えて、仲間の中に身を置いて生きていく。

きっとこの世界には、それを知ってもなお二木先生のように生きている、生きなければならない人がいるのだと思いを馳せた。

見えないけれど、それは誰にも見えないように、こっそりと、本当の自分をどこかにしまっているから。体裁の良い人の仮面をつけているから。

それはとても、苦しいなと思った。
色んな生きづらさがある。

でも、ラスト、私は良かったと思っている。
多分、きっと。











…と、まぁ。できる限りネタバレにならないように色々オブラートに包んで書いた。だって興味を持って読みたいと思ってくれた人には、ある程度新鮮な思いを持って読んでほしいから。

予想外だった部分を書いてしまったら、読む時面白くなくなるもんな。

本当は中身にも触れて書きたいなー!!
有料記事にして書こうかなーーーー!完全に独白でーー!

ちなみに読んだ本はこちらです。

本当にとんでもねぇので、私の感想を読んで興味が沸いた方は是非読んでみてください。

そして、読んだらどう感じたか一緒に話そ!(友達か)


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