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鹿がつなぐ、文化遺産と老舗商店とサッカークラブ〜フットボールの白地図【第27回】奈良県

<奈良県>
・総面積
 約3690平方km
・総人口 約132万人
・都道府県庁所在地 奈良市
・隣接する都道府県 三重県、京都府、大阪府、和歌山県
・主なサッカークラブ 奈良クラブ、ディアブロッサ高田FC
・主な出身サッカー選手 楢崎正剛、矢部次郎、都築龍太、林丈統、北本久仁衛、前田俊介、古橋亨梧

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「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は「うどんしかない」という潔さが魅力の香川県を取り上げた。今回は「鹿さんがいっぱい!」奈良県にフォーカスする。奈良県といえば、奈良クラブ。しかしJFL所属ということもあり、奈良県を訪れたサッカーファンは、それほど多くはないと思われる。

 私にとって奈良県は、京都府と並ぶ「修学旅行」のコースとしてのイメージがまずあり、それ以上でもそれ以下でもない時代が長く続いた。長じてフットボールの取材をするようになってからも、奈良にはたびたび訪れることはあっても、奈良クラブの取材を終えたら観光することなくさっさと県外に出てしまった。今にして思うと、随分ともったいなく、失礼なことを繰り返してきたものだと思う。

 私が奈良の魅力になかなか気づかなかったのは、京都と大阪というインパクトのある2府に隣接していることと無縁ではあるまい。雅(みやび)の京都、コテコテの大阪に対し、奈良については明確なイメージを持ち得なかったのである。そんな奈良の隠れた魅力を知る、重要なきっかけを与えてくれたのが、やはり奈良クラブ。そして水先案内をしてくれたのが、現地に棲息する鹿たちであった。

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 近鉄奈良駅を下車すると、まず出迎えてくれるのが「せんとくん」である。もともとは「平城遷都1300年祭」の公式マスコットキャラクターとして2008年に誕生。すでにお忘れの方もいらっしゃるかもしれないが、童子に鹿の角をはやした斬新なデザインは、当初は全国レベルでの拒否反応を引き起こしたものだ。幸いにも白紙撤回とはならず、その後せんとくんは奈良県の観光マスコットに転身。今も旅人を温かく出迎えている。

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 奈良の観光スポットを効率的に回るのであれば、奈良公園に行くのが一番。近隣には、春日大社、東大寺、興福寺があるからだ。そして行く先々で出会うのが、鹿、鹿、そして鹿。それにしてもなぜ、奈良公園にこれほどの鹿がいるのか。これは春日大社の祭神、建御雷命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から白鹿に乗って、当地に遷ってきた伝説に由来する。かくして鹿は、神様の使いの神鹿(しんろく)として尊ばれるようになり、今も大事に保護されている。

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 観光客が与える鹿せんべいに、貪欲に突進してゆく鹿の群れを見ていると、とても神様の使いのようには感じられない。ところが歴史ある奈良の建造物を撮影していると、鹿は不可欠な風景要素に見えてくるから不思議である。興福寺の南円堂を撮影した、こちらの写真をご覧いただければ、私の言わんとしていることがご理解いただけよう。南円堂は江戸時代中期の1741年に再建され、1986年に国の重要文化財に指定されている。

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 その南円堂にて、対になった鹿の門帳を発見。オリジナルは正倉院の宝物「鹿草木夾纈屏風」(しかくさききょうけちのびょうぶ)」で、さらに源流をたどるとササン朝ペルシャにまで行き着くそうだ。野山に遊ぶ鹿の生態を活写した、このデザイン。奈良クラブのサポーターなら、おそらくピンと来るはずだ。そう、古くからクラブと関わりがある「中川政七商店」の商標である。

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 中川政七商店は、300年以上前の1716年(享保元年)に奈良で創業。もともとは、手績み手織りの麻織物を扱う老舗で、当主は代々「中川政七」を襲名している。奈良クラブの前社長、中川政七氏は13代目。中川政七商店の社長時代は、新ブランドの立ち上げやコンサルティング業務などの事業拡大を推し進め、店舗数と売上を一気に伸ばした。経営者として中川氏は、とりわけブランディングの素養に優れ、現在の中川政七商店のブランド戦略は、この人によって確立された。

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 奈良クラブは、2019年シーズンにロゴデザインを一新したが、一方で鹿をあしらったエンブレムも併用されている。そしてデザインといえば、忘れてならないのが奈良クラブのユニフォーム。蔦蔓(つたかずら)、鹿の子、吉祥などのさまざまな日本の伝統文様が織り込まれ、そのユニークなデザインは国内のみならず海外でも話題となった。これもまた、関西リーグ時代から「手数をかけずにクラブを認知させよう」とする、中川氏の戦略によるものであった。

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「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」──。これが、中川氏がクラブ社長に就任した時に掲げたテーゼである。悠久の歴史と貴重な文化遺産、そして教育熱心な土地柄を活用しながら、クラブを「学びの場」として開放していく。その理念に惹かれて、私も2019年のホームゲームの際には、奈良を学ぶための観光をブッキングしたものである。その後、残念な形で社長を退任した中川氏だが、奈良の魅力を知るきっかけを与えてくれたことには、今でも深く感謝している。

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 奈良の名物といえば、柿の葉寿司、三輪そうめん、飛鳥鍋、そして奈良漬けなどが有名。しかし今回は鹿つながりで「鹿もなか」を紹介したい。県内で最も古い和菓子店「本家菊屋」の定番商品で、かつて豊臣秀吉をもてなすお茶会に献上したそうだから、実に400年以上の歴史を有する。国産のもち米で作られた、もなかの皮のさくっとした歯ごたえ。そして厳選された、小豆を使用したこし餡の上品な甘みも素晴らしい。奈良土産にお勧めだ。

<第28回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。


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