日本語で書かれた文学

 ここだけの話だが、わたしは映画は芸術ではないと思ってゐる。

 それは、わたしにとっての芸術の定義が、
「がちがちに設定された形式の枠内での表現
といふものだからだ。

 おそらく、ほとんどの人にとって芸術は
自由に表現すること」だらうと思ふ。
 わたしは、その逆で、制約だらけで、その制約を逆手にとって表現といふ自由をなんとか生み出そうとする(そして絶対に達成できない)営為だと思ってゐる。
 
 だから、芸術に憑りつかれたら、とにかく生きて生きて、生きてゐる間中、ずっと表現を探求することになる。あまり手を出さないはうがいい。

 わたしの間違った(芸術)定義によると、
 詩は、定型詩でなければならない。
 音楽ではジャズは絶対に芸術にはなれない。

 暇をつぶし、気を晴らすための芝居である能楽が、芸術に化したのは、息が詰まるほどの形式に覆はれた芸能だからだ。
 形式の中の芸術は、形式の内部でしか変化しないから、何百年も前から同じことを繰り替へしてゐる・伝統芸術などと呼ばれることになる。

 わたしは形式にしか関心が無い。
 内容について言へば、もちろん、自由詩もジャズやロックも、さらにラップも、
人の心に訴へて
人の心をつかみ
人気を博すだらう。
けれども、それは芸能やコミュニケーションやゴシップであって、芸術ではない。・・・どっちが高級かといふ話では無いので、そこは取り違へてほしくないと思ひます。

 簡単に人の心に訴へ、共感を呼び、人気を博すやうな事柄を表現するには、形式的な詩は適してゐない。
 そこで、二十世紀になって、西洋でも日本でも、定型詩は廃れていき、いっせいに自由詩へととって代はられていった。転変する環境に翻弄されて溢れかえる感情は、とても定型詩の形式の中にじっくり時間をかけて納めてゐる余裕が無かった。

  その自由詩は、X(ツイッター)として、今も、栄えてゐる。



 今、文学といふと一番先に頭に浮かぶのは「小説」だ。
 たぶん、小説は「思ったことをなんでそのまま自由に書く」ものだと思はれてゐる。自由に書くことで、
簡単に人の心に訴へ
共感を呼び
人気を博すやうな事柄を
表現できると思はれてゐるやうだ。
 だから、今の日本では、「小説家になる」とは、「インテリとして有名になる」、特にNHKテレビの名作を読むみたいな番組に出て三島由紀夫の文学について解説する平野啓一郎氏みたいな人たちと同義になってゐる。

 近代小説は、工業化する世界の中で苦しみ心を病んだ人たちが、自分語りの方法として、飛びついた。
 これだけなら、近代小説はブログやnoteやXと同じだ。

 近代小説が、ブログやnoteとは違って、芸術の一つになり得たのは、それまでの言葉の伝統のおかげだ。
 日本語でなら、大東戦争前までの小説家たちは、いやでもおうでも、漢文素読の教養を身に着けてをり、書かうと思へば、文語体(擬古文)でものを書けた。
 小穴隆一といふ画家は、芥川龍之介の親友だったさうで、芥川氏にまつはる随筆を書いてゐる。その中には、こんな一節がある。

夏目漱石は大学の服を着た芥川龍之介にはじめて会ったときに、
血氣未だ定まらざるとき、之を戒しむる色に在り
と訓した。
芥川は「夏目先生はおそろしい。」「夏目先生に一と目で見破られた。」といつてゐた。


 漢文の語彙と(日本語文法の基幹ともいふべき)文語体、それらが、幼少期に、母語の血肉となることで、日本語が成立してゐた。万葉集が出来た頃に日本語は完成して、それがずっと明治維新まで続き、その後は近代生活の実用語に浸食されながらもなんとか生き延び、戦後の教育改革で、突然、息絶へた。
 今の日本語は、歴史的な連続性を失った、戦後日本といふ欧米の文化的植民地で生まれた、ピジンであり、今やクレオールとなって定着しつつある。
 だから、岩波書店でもこんな本を出してゐる。

現代語訳 学問のすすめ

今なお読み継がれている福沢諭吉の代表作を,現代語訳で,現代の読者に味わい楽しんでもらうための一冊.
 
 現代語訳とは、読みやすくしたといふものではなくなってゐる。福沢諭吉が使った日本語を読めない日本人がこの翻訳に手を伸ばすのだ。

 戦前までは、小説家は伝統的な日本語を書けた。日本語はさまざまな制約の中でなんとか表現しようとする言語だったから、それ自体が、文才のある者によって綴られれば、言葉の芸術と成り得た。
 
 ただし、わたしは芸術になった言葉だけのことを言ってゐるのではない。「戦前までの日本語」は、文才のある小説家によって書かれたものではなく、作家でない人でも、戦前の教育を受けた人なら読めて書けた言葉のことだ。
 たとへば、軍人も、こんな文章を、戦場で、辞書もチャットGPTも使はずに、書けた。

 上手下手はあるものの、古典文学や漢籍の教育を受けた人たちは、書かうと思へば、文語文が書けた。つまり、膨大な漢文の語彙、そして、和歌を生み出す・日本語の文法を理解してゐたのだ。だから、会話するときの発音ではなく、日本語文法に従って表記される歴史的かなづかひも書けた。
 
 俵万智氏が褒めそやされてから、日本語文法によって書く和歌も無くなったとわたしは思ってゐる。

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