なぜ大人になると感動が減るのか?

これがなかなかわからないので、考え続けている。感動する方法はあるのか?この記事では今まで考えたことをまとめようと思う。

また今回の内容は、タイトルの疑問をもったことがない人には全く響かないかもしれないし、「毎日感動してます」、「そんな問題はありません」、という人もいるかもしれない。(多分、外れ値的な人だと思っています)

友人ともごくまれに話したりするけれど、大人が”感動すること”が人生を進めるうえで重要な気がしている。

そもそも感動とは何か?
辞書には「物に深く感じて、心を動かすこと。」とある。

最近感動しましたか?と聞かれると考えこむ人が結構多いと思う。おそらく歳を重ねることで、今まであった出来事への感情や反応の型が決まってきて、感情があまり動かなくなっているのかもしれない。

他の見方をすると、経験が豊富になるとほとんどの物事について予測を立てられるようになる。出来事に対して予想の範囲内ということで感動に結びつかないのかもしれない。

ここから言えることは、予測を超える事象の発生がないと人は感動しにくいのかもしれない。自分の予測を超えるようなことは、自分自身で作り出すのは難しい。なぜなら自分自身が予測の内側の思考で行動しているからだ。つまり思考の外側、今まで学習したことや、無意識下で処理している特定の方法を超える(外れる)ことが必要なのかもしれない。

言い換えれば、自分自身が作った予測という箱(価値観とも言えますね)があり、その中で人は生活している。感動はその箱の外側にあるような気がする。子供時代に感動が多いのは、その箱を容易に壊せるからと推察している。

こういった感動の研究とかあるのだろうか。感動に関するシステマティックレビューやレビュー論文でも探そうかな。


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