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人生で2回目、村上春樹さんの小説を読む/海辺のカフカ

こんにちは、てしゆりです。

いまさらですが。
本当にいまさらなんですが。

村上春樹さんにはまりそうです。

図書館で『海辺のカフカ』を借りてきたんです。まだ上巻の序盤しか読んでいないのですが、めちゃくちゃおもしろくて。

実は、村上春樹さんの小説に挑戦するのは2回目、約20年ぶり、『ねじまき鳥クロニクル』以来です。

ねじまき鳥もおもしろかったんですよ。次から次にページをめくりたくなる、先が知りたくなる、カフカと同じような感覚です。

だけど、最終的に頭の中が「???」となってしまった。おもしろいのに理解不能って、もうわけがわかりません。見方を変えれば、よくわからないのにおもしろいって最強だとも思うんですけど。

とにかく、当時はよく理解することができず、かといって、あのボリュームを再度読み直す勇気もなくて、わたしと村上春樹さんとの縁は、そこでいったん途切れたのでした。


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時は流れに流れて。

昨年、『猫を棄てる』という、村上さんとお父様との思い出を書かれた本が出版になって、noteで感想文を募集していたんですね。

それを見ているうちに自分も読んでみたくなって、生まれてはじめて、村上春樹さんの本を買ったんです。
(はじめて買った本が小説ではないという稀有なパターン?)
(ねじまき鳥は、たぶん図書館本)

村上さんの本はほぼ読んだことがないし、経歴もバックボーンもまったく知らない。ものすごく有名で、ものすごく人気のある作家さんというイメージしかなくて、自分とは別の世界に住んでいる人のような印象でした。

だけど、『猫を棄てる』の中には、幼少期、まだいまの“村上春樹”になる前の思い出などが語られていて、なんだか妙な親しみが湧いたというか、自分と同じ世界に立っている人間なのだ、という不思議な感覚がありました。

父と母がいて、祖父と祖母がいて、その前にはもっともっとたくさんのご先祖様がいて、長い歴史の中で、それぞれの人がふとした運命の瞬間を選びとってきた結果、わたしたちはいま、ここに存在する。

そのどれか一つでも違っていれば、自分は存在していないし、いまここにいる人たちと同じ時代を生きてはいない。そういう意味では、世界は、宇宙は、人類はすべてつながっていて、本当に一体なのかもしれないと思う。

村上さんも、村上さんのお父様も、あなたも、わたしも、みんなつながっている。

そんなことをあとからぼんやりと思ったりしたんですけど、つまるところ直感で、村上さんの作品に興味を持ったというのが、カフカを読む最初のきっかけでした。

あと、本当に偶然なんだけど、初めて訪れたカフェですわった席の真ん前に『村上ラヂオ』が置いてあったんです。もう迷わず、手にとりました。再び村上さんとのご縁がつながったなって確信しました。

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そして数日後、図書館へ行き、現在に至る、と。

カフカを選んだのは特に大きな意味はなくて、上下巻がどちらも揃っていたから、というだけです。でも、すごくおもしろいので、正解だったかも。

一度、ねじまき鳥を読んでいるので、突然時代が変わったり、急に猫としゃべる老人が出てきたり、空から魚が降ったりしても、大丈夫!
今回はすべて受け止めて、ついていけてます!(笑)

すべて読んだあとにも、「おもしろかった!」と言い切れるのか、また「???」となってしまうのか、自分自身にもわからないので、そのあたりもちょっと楽しみだったりします。

自分なりに理解ができていたら、また感想文書きます!


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