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「ママのお弁当じゃなきゃ嫌だー!」から得た子育ての気づき。

久々の発熱。先々週から子どもたち3人が順繰り順繰りかかり、最後に私に回ってくるという、、まぁ子育てあるあるだよね・・。

今日は、私が具合が悪くなったことで起こった出来事について書いてみたい。


一昨日の出来事


私が、熱でぐったり寝室で寝ていると、学校から息子が帰ってきた。

「たいちゃん、ごめん、ママ、ちょっと具合が悪いんだよねー。」

すると、
「ママのお弁当じゃなきゃ嫌だー」

と息子、すごい勢いで喚きまくる。

そう、昨日は、息子がお弁当を持って校外学習に出かける日であった。
彼は、1時間ぐらい「ママのお弁当じゃなきゃ嫌だー」とギャンギャン嘆く。
その横で、ぐったりする私。
(もうさー、具合悪いんだから、仕方ないじゃん。。が通用しないみたいでした。。)

「悲しいよね、ごめんね」

ぐらいしか言えず、、。その後、彼は少し落ち着いたけど、半べそ気味でスイミングに行きました。

そういういえば、10月末、
「ママね、10日に校外学習があるんだよ〜。お弁当と500円持ってお土産買えるんだよ〜。」
「そっか、じゃあ、たいちゃんのためにお弁当作るねー^^何食べたい?」
「ハンバーグ!」
と嬉しそうに語っていた息子の顔を思い出す。そんなに楽しみにしてたんだなって。「ママのお弁当じゃないと意味がないんだよー」って、校外学習とママのお弁当で完璧、みたいな感じだったのかもしれないな〜と。

息子の感情表現のストレートさ、いつもならムカつくんだけど、私もだいぶ反応もせずにいて、すごく彼の悲しみが伝わってきた。あぁ〜、本当に楽しみにしていだんだな〜。そして、私も期待に応えられずに残念だったなぁ。
誰がいい悪いとかではなく、ただ、互いに「彼の悲しみがある」「私の残念な気持ちがある」が存在するのだなと、感じ取れた。それぞれの「ある」感情が根底では一つの輪になってつながっている感じだ。


長年の子育ての悩み


思えば、このような息子の感情の激しさへの対応は、私の長年の子育ての悩みであった。

不快感情を強くストレートに私に出してくる息子に対し、どう対応したらいいのかわからず、相当悩んだ。

突然くる強い感情に反応して、
私は、パワーで抑えようしたり、(あっちもパワーでさらにくる。大変なことになる💦)
フリーズしてしまったり、(何もできなく、落ち込む。)手の打ちようがない状態だった。

彼はただ、内側に流れる、行き場のない激しいものを、わたしに受けとってほしいだけだったのだ!それに気づく、できるようになるのに、10年もかかってしまった。(もち、できてないときもある笑)

ぎゃん泣き、騒ぐ、喚く、過激に感情を出すことは、凶暴であり、悪いことだと思っていた。社会的に受け入れられないことをしているように見えるし、息子の姿に自分の姿を投影させてしまい、そんな私はあってはならないと、排除したかったようにも思う。

もう一つ、純粋に「怖くて受け取れない」があった。自分がどうにかされてしまう、他の子だちに危害を加えないか、とかが頭の中に走り、ただ困惑してしまうのだ。泣き喚いているぐらいで、バット振ったりしているわけでなのに。勝手に悪い妄想ばかりが膨らんでしまう。またその激しさから、幼い頃の記憶、父親の怒鳴られる感覚が蘇ってきてしまうというのもあると思う。

そして、その一連の騒動があった後、それをコントロールできないのは、「私がダメな母親だから」が出てきて、また、落ち込む。
このパターンを私は、何年も繰り返していた。

だけど、あるとき、
ああ、これが彼にとっての最大限の表現なのだ」と捉えらえるようになってきて、昨日もそうだけど、彼なりに、悲しみを精いっぱい表現していて、でもそれは、ママからの愛(お弁当を用意してもらえる)が欲しかっただけなんだな、と本当に可愛らしい姿にしか見えなくて、
今までの、いろんな彼の嘆きもまた愛おしく感じられるようになってきた。


すべての感情があっていい。頭ではわかっていたけれど、私はそれを本当に受け入れられてなかったのかもしれない。
叫ぶ、怒鳴る、凶暴性も表現としてはやっぱり残念だけど、それを表出せざるを得ない怒りや悲しみ、嘆きが「ある」からなんだ。
なんだか、本当の意味で入ってきた感覚がある。

人間って、綺麗で、かっこよくて素敵な面でだけでなくて、汚い、脆い、醜くて、弱い側面も、やっぱりあるよな、全部あるよな、ってそれでこそ、美しいな、愛しいなって感じられる。
すごく、全体としてホールドできる感覚もある。


親と子の組み合わせ


息子と親と子の関係として生まれたのも、ご縁だし、意味があってのことなのだなと改めて感じる。
もし、息子が私にコントロールされてしまうような存在であったら、この気づきは得られなかっただろうに。きっと人間の「醜い」部分を受け入れず、「綺麗な」人間を正当化して、自分のことをも抑圧して生きていく人生になっていたのかもしれない。

息子が強烈なぐらい真正面から立ち向かってくる(にしか見えない笑)
これでもか、これでもか、というぐらい「愛でつながりにくる」のは、分離したわたしを繋ぎ直してくれることでもあり、ある意味本当に愛が深くて、尊いことなのだと。

本当にたいちゃんの命は愛に溢れてて、すごいよ!と思えてくる。
今までのことも全て愛おしい記憶にひっくり返されていく。


なんだか泣けてくるな!


今朝も1人で寝室でまだ目覚めずに寝ていた時に、殴り書きだけど、「大すき いってくる」と書いた紙を置いていった。(後で気づいた。)

寝ている私を起こさずに枕元においていく。
息子の気遣いとか、優しさとか、それでも伝えてたいという気持ちとか、すごく伝わってくる、めちゃ愛されていいるな、と。
無条件の愛で私に関わってくれている姿がただそこにあるのだ。

私は子どもたちからの無条件の愛をどれだけ受け取れているのだろうか。
日常の中に、子どもたちの私への愛の表現ってきっといっぱいある。それを忙しさのあまり見逃しているのではないか。

最近、私は、やりたいことがいっぱいで時間が足りないって思っていた。
ここで強制ストップがかかった。
それにはやっぱり意味があって、
自分の体をもっと労ること」と、
子どもたちの小さな日常のやりとりこそ、尊いものがあるのだ」ということ!
そう!子どもが3人いる!って本当に幸せなことなの。(大変なこともたくさんあるけどww)
3人から無条件の愛をもらえるんだもん^^ 
しっかりと感じ、味わいながら、私らしく幸せを噛み締めて暮らしていきたいなと改めて思いました。


ちなみに、息子のお弁当は、パパがハンバーグを作ってくれました。
「パパがハンバーグを作ってくれたんだ!楽しみ!」と言って出掛けていきました。パパ、(仕事めちゃ忙しいのに)頑張った! この反応、息子は本当に可愛いな笑!大きな麩菓子のお土産も自分に買えたようで満足そうでした^^

日常に愛はいっぱいだな!!

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