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学術

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学と術に関するマガジンです。占術、霊術、霊学、陰陽道など、学や術、あるいは道に関する理論や概論をご紹介しています。
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#戦略

持ち上げて倒す

斉は楚と秦を破り、韓、魏、趙の三国を押さえていました。 そんな斉の隣国である燕はもはや風…

言霊と戦局

相手を知るために様々な揺さぶりをかけることは政治や歴史の出来事で行われてきました。 もち…

諸葛亮の敵将調査術

225年のことでした。 中国の諸葛亮は南を攻め、敵将を捕虜にしました。 なんと諸葛亮はその捕…

劉邦の参謀

紀元前206年から4年間にわたった漢楚決戦において項羽に大敗して敗走した劉邦は、かろうじて洛…

小牧長久手での人間関係の隙

家康は小牧長久手の戦いで、突然反転するという謎に見える進軍で大きく勝利しました。 色ヶ根…

小牧長久手の奇をてらった進軍

小牧長久手の戦いで家康は陰陽論を活かした戦い方を展開しました。 家康は主力を率いて、小幡…

チャンスからの意表

朝倉義景の家臣が寝返るという小さな出来事で、これを大きなチャンスと言い出した信長の鋭さということでした。 裏切るということも問題なのですが、追手まで寝返ったのですから。これは朝倉勢が内部的に崩壊していると考えたのです。 信長は引き続き横山城を羽柴秀吉に攻めさせました。 小谷城に関しては謀略によって、家臣たちの味方につけていき、城を孤立化させていきました。 1573年8月8日には、小谷城の西側の拠点であった山本城の阿閉貞閑が信長側につき、小谷城の外郭陣地は崩壊しました。

信長の弱点を見出す目

物事の変化から弱点が生まれ、それを確実につくということが重要でした。 それをうまくやった…

クリティカルなポイントを見つけるには

物事は一定の法則に基づいて動いています。 この法則を理解すれば状況が変わって、そこから相…

混水摸魚と陰陽

兵法には有名な三十六計があります。 たしかに三十六におよぶ作戦があるのですが、相手もそれ…

陰陽でラポールを築く

相手に反応を与えて本心を把握していくわけですが、表に出さないタイプには手を変えていかなけ…

運命の変化に調和した経営者は不況に勝負に出る

陰陽論を用いた開閉の戦略は歴史の中で使われてきました。 その後、マキャベリも似たようなこ…

秀吉と家康の陰陽駆け引き

戦国時代も末期になると、秀吉と家康の二強になってきます。 1584年3月、二人が激突したのが小…

陰陽論を理解していた信長の戦略

桶狭間に勝利し、美濃を滅ぼし、将軍を擁立して京都入りを果たした信長。 しかし、これを契機として、周囲の状況は一変していきます。 信長を引き下ろそうとしてくるようになったのです。 信長は朝倉義景を討つことにしました。 同盟を結んでいた徳川家康と共に福井に向けて進撃したのです。 しかし、妹の夫であった浅井長政が裏切り、信長の背後を突くという情報が入ったのでした。 義理の弟ですから、裏切ったということを信長が信じられるはずはありません。 しかし、長政の進撃により愕然とした信長は