見出し画像

劉邦の参謀

紀元前206年から4年間にわたった漢楚決戦において項羽に大敗して敗走した劉邦は、かろうじて洛陽の東に踏みとどまりました。
しかし項羽の軍に圧倒されてしまいます。
困り果てた劉邦は側近に向かって敵を弱らせる方法はないかとたずねました。

参謀の陳平は項羽の大臣の弱点を突くべきだとして策を考えました。

項羽の弱点は諌められる家臣が少ないことです。
周りはイエスマンだらけで、役に立つ者はいません。
項羽の戦力を弱めるためには、この数人の信頼されている一部の家臣を離してしまえば良かったのです。
特に項羽は疑う心が強いので、有能な家臣を疑いがちでした。
多少の謀略を施して関係性に水を差せば疑うようになり項羽は家臣たちを消そうとします。
そうすれば内部崩壊が起こり、そこで攻撃をすれば勝てると言うわけです。

陳平は項羽の家臣らに策を施しました。
噂を楚の軍に放ったのです。
もちろん項羽の耳にも入りました。
デマだと思っていましたが、あまりにも多くの人からその情報を聞いたため、知らず知らずのうちに家臣を信用しなくなっていったのです。
特に参謀だった范増がおりましたが、彼がハメられました。

ある時、項羽の使いが陳平のもとを訪ねました。
陳平は范増の使いだと思ったが、項羽の使いだったのかと言って、用意していた豪華な料理を片付け、粗末な料理を並べて、そっけない接待をしました。
項羽の使いは早速項羽にこのことを報告しました。
范増は劉邦に内通してるのではないかと項羽が疑ったため、今後范増の策を受け入れなくなりました。
范増は怒って故郷に帰ってしまいましたが、そこで項羽の刺客にやられてしまったのです。

陳平の策にはまって、自らの参謀を切り捨ててしまった項羽は周りの信用を失い、戦力を落とし、敗戦してしまったのです。

このように、強い相手にも弱点というものがあるものです。
それを的確に見抜けるというのは、いつの時代においても重要なスキルです。
見えない世界の力を磨いていくことで、そのようなスキルも磨けるでしょう。
興味のある方は、是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。