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秀吉と家康の陰陽駆け引き

戦国時代も末期になると、秀吉と家康の二強になってきます。
1584年3月、二人が激突したのが小牧長久手の戦いです。

秀吉は犬山城を奪って木曽川南岸に進出し、驚いた家康は小牧山に構えました。
お互いに大軍ですから、まずは見合います。
つまり、両陣共に陰の閉の態度をとっているわけですね。

10日ほど経つと、秀吉の別軍だった池田軍が岡崎攻略を始めました。
岡崎は家康にとって本拠地ですから、落とされては完全な敗北となり、大ピンチです。
家康は各個撃破の機会と見て、陽である開に転じていくのです。

家康は主力軍でこっそりと池田陣を急襲しました。
細長い道で動きの取れない池田勢は三方から攻撃を受け敗北しました。
駆け引きにおいて、家康の駆けは大成功だったのです。

兵は池田を倒して勝利に酔っていましたが、家康はすぐに陰である閉に引き転じるわけです。
小牧の陣で守りに入ってしまい、秀吉には手が出せませんでした。
攻撃に駆け、勝利後すぐに引いた家康に秀吉は振り回されただけだったのです。

陰陽が分かっていると駆け引きにも応用ができるということです。
見えない世界だと軽んじていると、足元をすくわれてしまうということです。
このような論理的な部分も見えない世界のことを学ぶとスキルアップできますよ。


これからも良い記事を書いていきます。