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同盟と交渉

必死に蘇秦は研究を続けました。

そして太公望の兵法を会得したのです。
そこから独自の遊説術である揣摩を確立していきました。
相手を納得させるための方法ですから、早速実践をしていきます。

まずは、趙王です。
うまくいき、宰相となりました。
秦は連衝策として同盟を結んで他の国を攻撃してこようとしますが、それを破るためには合従策として、東の6カ国が結び秦に対抗するしかありません。
その説明を行ったことで、6カ国同盟を結ぶための特使として財宝を采配して各地を遊説して回り、同盟に成功したのです。

趙の宰相にいた間、強大な秦でさえも、この6カ国を攻めることができませんでした。

ちなみに、楚に遊説した際に洛陽を通った際は郷里の人は掌を返して丁寧に対応したそうです。
失敗してきたときは罵られ、成功した際には丁寧に扱われるという態度の変化は、皮肉にも演出の重要性というものを蘇秦が学ぶきっかけとなりました。
それ以来、必要もない大行列で遊説するなど演出を強化していきました。

心理戦術を得意とし活躍しましたが、最期は斉で暗殺されてしまいました。
策士、策に溺れるということでしょう。

相手の説得には心理的なものが重要ですが、それには相手を知ると言うことが必要です。
見えない世界のことをやるとそういうことが分かるようになりますし、占術でもロジックによってそういうことは見抜けます。
感性と論理の両面から物事を知るということは学ぶのが大変ですが効果的ですよ。


これからも良い記事を書いていきます。