言葉にしなくても良いじゃない
ご覧いただきありがとうございます。
本日は2021/4/3
私は話すのが好きだったり考察したりするのが好きなのですが、
本来は言葉にしなくてもいいじゃないのと思っている人間です。
正確には、言葉にしたほうが絶対に良いのだけれど、なにかもったいないな、と感じてしまう人間です。
例えば絵を見たとき、歌を聞いたとき、映画を観たとき、絶景を訪れたとき。
とても感動した、とても感銘を受けた。
いやーよかったね、最高だったね、また見たいね、聞きたいね、来たいね、となった時ふと思う事がある。
それのどこがこんなにも良かったのだろう、と。
この絵のどこが素晴らしかったのか、
この歌のなにが心地よかったのか、
この映画のどこが良くて泣いたのか、
この景色はなにが美しいとさせているのか。
良いと思った瞬間部分を、どこが良かったかを言葉にできる人。
この力はとても良い力だと思う。分析をするということなんでしょう。
何かもの作りをしている人がキャッチする事が出来るのって、
そこを分析して要素を見つけていくからだと思う。
正直にそれは本当に考えるべきことだし、絶対に良いことだと思う。
私自身これには大賛成だし、実際にやっているからこそ
なにかもったいない。
私がこれを行っているときの感覚としては、例えをめちゃくちゃメルヘンにするならばレインボーのふわふわのわたがしを思い浮かべてほしい。
何かに感動した時の私の心の中は、まさにレインボーふわふわわたがしである。
明確な輪郭は無く、風が吹けば左右に揺れる。
そんなふわふわな心の浮かれ具合。
しかし分析するときは、そのふわふわなわたがしを
包丁でズドンズドンと切っていき、袋詰めしてる感覚に近い。
かつてのわたがしが小分けの袋に分かれていく。
そうすることで持ち運びやすく、レインボーだったものが色分けされ、なにで構成されていたかも見分けがつくのだけれど。
そこにかつての輪郭の無かった、風に揺れていたわたがしの面影はなくなっているような気がする。
なにかわからないけれど虹色に混ざり合って美しかった、
あの雄大さを損なっていくような気がして、この行為がなんだかもったいない。
そう思いながらも、私は洋服を作るため、
レインボーなわたがしにズドンズドンとこれからも包丁を刺していかなければならない人生なのだなぁ、と思いました。
読んで頂きありがとうございました。
by Atre'ju
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