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#イスタンブール Day 2

ロンドン行きのフライトは敢えてイスタンブール乗り換えのチケットを取り、2泊3日の乗り継ぎをした。コロナの陰性証明が必要になるなどの複雑さもあったが、この際にどうしてもトルコにいる友達に会いたかった。

その友達とは、Tandemという言語交換アプリで知り合ったインターネット上の友達だ。かれこれ3年ほど前に知り合い、今でも度々連絡を取り合う仲だ。彼女は知的で達者にジョークを言うようにユーモア溢れる、聞き上手話し上手の社交的な女性なのだ。

まだ会ったことはないのだが、彼女との中はチャットの中でかなり深まった。チャット上だったからこそ、言動の壁のようなものがなかったのかもしれない。しかし、いざ会うとなると少し緊張する。お互いのことは十分知っているはずなのだが、何を話そうか。見た目にガッカリされないだろうか。そんなことを考えながら本当にその時が来てしまった。


3年越しの初対面

彼女はブルサというイスタンブールからマルマラ海の向かい側に位置している、本島の北の街に住んでいる。その日はイスタンブールまでフェリーで2時間かけて、わざわざ早朝から出て会いに来てくれた。

午前の11時にフェリー着。かなり広いフェリーステーションで待ち合わせているので、一体彼女がどこから降りてくるかわからない。10分くらい電話して位置情報を送り合いながら、ようやく彼女を見つけた。自分が見つけた時はすぐに彼女だとわかった。

実際に見ると写真よりも綺麗だった。思ったより顔が小さくスタイルもと細く、身長は自分とあまり変わらないくらい。赤のヒジャブもとてもよく似合っている。トルコ語でジョークっぽく挨拶しようかとか考えてたが、その余裕は正直なかった。

彼女は快くハグして迎えてくれた。いざ話すとやはり初めてではない気がした。私は彼女に会えてとてもホッとした。海外で知り合いに会うと何故だか強い親近感が湧く。

ネットで知り合ってからの最初の対面はなんだかすごく変な感じがした。ともあれ、暖かくスタートを切れた。時間はすでにお昼前ので、ブランチの程でセントラルのカフェに向かった。

極上の一服タイム

彼女もイスタンブールが初めてのようだ。私たちは前々から会ったら一緒に一服したいねと話していた。お店に向かう途中、人通りが少ない公園に入ると、彼女は何もいうことなく私にタバコを差し出した。念願の一服タイムだ

ぼくは普段タバコを吸わないのだが、タバコは好きだ。1人で吸うとタバコの味しかしないので吸わないのだが、友達と吸うと魔法のように味が変わる。

公園まで色々と話していたが、タバコに火をつけて一服タイムが始まると、2人とも一瞬無言になった。一吸い目は大きく息を吸って吐く。このスイッチが一旦リセットされるような一吸い目がたまらなかった。場が一気に和んだように緊張がほぐれていった。うまかった。。

タバコはあっという間に燃え尽きた。トルコのタバコは悪くなかった。海外のタバコはパッケージのせいで強くてまずいイメージがあったのだが、どうやら彼女はタールの弱い優しめのタバコを吸っているようだ。日本にはないような微妙に異なるまろやかな風味で、純粋にタバコも楽しんだ。彼女との一服の時間は新鮮で、最高の一服だった。

タバコを吸い終えると、彼女はフィルター部分を親指と人差し指でつまみ、コロコロと何往復も転がしていた。それを終えると、フィルター部分を見て彼女は、「H」かと呟いたが、なんのことかわからなかった。

どうやら、タバコを摘んで、吸い殻を年の数だけタバコを転がし、フィルターの底に写るアルファベットが次に訪れる恋人のイニシャルだというフォーチュンテリングらしい。

彼女は、最近友達に紹介されてあった男のイニシャルがHだったらしく、びっくりしていたので、私も22回指でフィルターを転がしてみた。フィルターに映ったのは「O」だったが、誰のイニシャルかも見当がつかなかった。ちょっとがっかりした。

しばらく歩いて中心街に着くと、街はかなり賑わっていた。道路の真ん中に電車が通り、そこら中にカフェや雑貨屋さんや、大きなモスクが建っている。大変綺麗で広々とした街なので、歩いているだけでも気持ちよかった。そし私たちは、彼女に従ってMODAというカフェに入った。

突然のプレゼントタイム

お店の3階の階段側に座ろうとしたが、彼女が4階の景色が見える方を見つけてくれたので、4階に移動した。彼女は私が景色が見える方に座席の位置を自然に仕向けてくれた。彼女は陽気な人柄だが、かなり気配りができる女性だ。チャット上でもそれは十分に伝わっていたが、その人柄を直接体感して感心した。逆にエスコートされてる気がして少々参った。形としては全くデートではないはずなのが、私だけ完全にデート気分になっていた。

私たちはチャイティーと、トルコの朝食の定番である盛り合わせを頼んだ。料理が来るまでの間に、彼女は私にギフトがあるといって、急にプレゼントタイムが始まった。今日はたまたまバレンタインなのだが、海外のバレンタインは日本と違って、大切な人にのみ男女双方でギフトを贈り合うのだ。

デートではないつもりだったので、全くロマンチックなプレゼントは用意していなかった。もちろん彼女はそのつもりで私にプレゼントを用意してくれたわけではないだろう。しかし日本では海外と違って女性が男性にチョコを渡すと言う文化があることも伝えていたし、もっとフレンドリーだということもその昔に話したことがあった。なのでおそらく、せっかく会えた貴重な1日への親しみや礼儀を込めて、用意してくれていたのだろう。

ぼくは日本からのお土産として、彼女に似合う素敵な箸と、盆栽美術館で買ったカードを用意した。まだなにも書いていなかったが、その日彼女と別れる前に何かメッセージを書いて渡そうと思っていた。箸の使い方も教えてあげようと考えていた。

しかしその時になると、箸なんかありきたりなギフトを用意した自分に後悔した。安易に日本らしいものとして箸をチョイスした自分が情けない、浅はかだった。日本出国前は何をお土産にしようかすごく迷っていたこともあっった。箸を使えるようになれば便利だと思い、またどうせならちょっとお高い素敵な箸を持ってこうと思い、表参道の伝統的なハンドメイドの箸屋さんで、彼女に合う素敵なデザインのものを選んだのだ。箸は箸でしかないのだが。

もはや彼女からのギフトをいただくことすら想像していなかったのだが、彼女からとても思いやりのあるギフトをいただいた。彼女がカバンから取り出した小さな素敵な箱の中にあるのは、シルバーのネックレスだった。箱も素敵なデザインの彫刻が刻まれている木箱だった。ネックレスは、滑らかでしなやかで、丈夫なループと細長い長方体のペンダントの、普段つけられそうな素敵なネックレスだった。

驚きなのは、ペンダントにSpotifyのバーコードが彫られていて、それを読み取るとMicheal Jacsonの'95年にリリースされたHistoryと言うアルバムに繋がる。そのアルバムにはこれまでマイケルが残した過去の名曲、彼のの"History"が詰まっているのだ。これはびっくり。

正直こんなドストライクにハマるプレゼントは過去にもらっ他ことがない。誰がマイケルのベストアルバムを添付したネックレスをあげようと考えようか。そのアルバムはおそらくマイケルのアルバムの中でも一番良い曲が詰まってる一枚だった。本当にびっくりした、おかげでその時彼女を大好きになってしまいそうだった。

その後僕の番が来た。恐る恐る、和式デザインで梱包された箱を渡した。箸だと渡った時は、彼女は予想してた言いながら、しかしとても喜んでくれていた。彼女は親切に箸を実際に使ってみせてくれた。上手に握れていなかったので使い方を教えながら、彼女は楽しそうに、震える手でポテトを掴んで見て食べてみたりと試してた。私は彼女の優しさに涙が出そうになった。

案の定すぐに上手に使えていたのでホッとした。彼女が喜んでいてくれていたら嬉しいが、箸をチョイスした自分は馬鹿だなと思った。しかしまあ、彼女も喜んでくれたからよかった。おまけでガラス製の花柄の箸立てと一緒に使ってくれるように祈ることにした。

プレゼント交換をしている間に既に食事は来ていた。少しはしゃぎすぎていた私たちに、周りのお客さんは暖かく新鮮な目で見守ってくれていた。まるで私たちが異人種間カップルだと思われてるに違いなかった。

盛り合わせのプレートには、オムレツやポテト、蜂蜜とミルクのソースやトルコ原産のジャムとバゲット、焼き鳥みたいな串とフィッシュフライ、などモリモリの盛り合わせだった。その量に威圧感を感じた私たちは2人でシェアをした。お互いに緊張のせいでそんな腹が減っていなかったので、私たちは食べれるだけ食べることにした。

結局話してばっかだったので全部は食べれなかったが、美味しくいただいた。たぶん1人だったら余裕で平らげてたはずだが、彼女を前にしてバクバク食う気にならなかった。美味しいトルコ料理の朝ごはんだった。特にパンがうまい。パンにつけるソースもバラエティが豊富で飽きなかった。特にハチミツとミルクのソースが激うまだった。住めるなと思った。

モスクでお祈り

あっという間に13時を回っていた。なるべく帰りの話を切り出したくなかったが、彼女に帰りのフェリーの時刻を聞くと、20時出発だということだった。あっという間だ。時間も残り少ないので、外に出てモスクでお祈りをしに行くことにした。

イスラム教徒は、朝、お昼前、16時頃、夕方、寝る前にお祈りをすると教えてくれた。普段より遅れて大丈夫かと聞いたが、忙しくてできない時もあると言う。

イスタンブールには11世紀以前もの大きいモスクがそこらにある。ブルーモスクやアヤソフィアが有名だが、かなり混んで並んで待つようなので、目の前にある小さなモスクに入った。

モスクの中は静寂に包まれていた。男性だけでも10名ほどがお祈りをしていた。そのモスクは1階に男性、2階に女性という風に分かれているので、どのくらい女性がいるはわからなかった。彼女と別れて1階に取り残された後、私もお祈りすることにした。

以前彼女に何を考えてお祈りをするか聞いたことがある。彼女曰く、家族や友達の健康を祈ったり、感謝を伝えたりすると教えてくれた。自分はフロアの後ろの角に座りながら、周り人の真似をしてお祈りをしてみた。

お祈りは初めてなので自分なりに、瞑想するように、深い呼吸と共に邪念の玉を口から吐き出すようにイメージしてリラックスした。周りの人を真似ながら、座る前に手を合わせ、目を瞑り、周りの環境に感謝することから始めた。その後はフロアに膝と頭を突き、今日のことを考えていた。心が静まり返った頃には、寝ているように気持ちよかった。最後に彼女と会えたことに感謝し今日の成功を祈った。

私が祈っているうちに彼女は帰ってきていた。私のお祈りぶりに、すごく集中してるねと笑っていた。このモスクでのお祈りの時間は、一旦中断して再スタートするようにとても良い時間だと思えた。イスラム教徒がわざわざ毎日5回もお祈りをするのも少しだけわかった気がした。

心がリフレッシュしたところで次の目的地を話し合った。近くに彼女が絶対に行くべきだと言う地下のミュージアムがあったが、月曜日は休館だった。

彼女はヒストリアンなので、通り過ぎる歴史的建造物を見るたびに、その歴史的背景を説明してくれた。建物の石を見ればそれが何世紀のオスマンの建造物か、ローマの建造物かがわかるのだ。

ぼくは日本史、世界史の知識は皆無の状態だったので彼女の説明を覚えるので精一杯だった。現地の発音は違うので、オスマンをオットマンと言われた時は初めはわからなかった。私は世界史は習ったことないし、海外の固有名詞を記憶するほど脳にストレスを与えることはないと思っている。

私が理解した限りでは、イスタンブールはポスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアナトリアン側に分かれており、西と東は嘗ての東ローマ帝国とオスマン帝国のテリトリーで分裂していた。街の彼方此方に広がる煉瓦造りの建物は、赤い石か白い石のつくりかで見分けられる。赤い方はローマ、白い方はオスマン、と言った感じで判別することができるのだ。

多分、要はオスマン帝国時代にローマを中心とするヨーロッパ軍が攻めてきて分裂した境目が、ヨーロッパとアジアをつなぐイスタンブールにあり、従って嘗ての両国の跡地が混ざって散らばっているということだろう。詳しいことはわからないのでとりあえずそう解釈しておこう。

ぼくは彼女に感銘を受けながら一生懸命覚えようとしていたが、トルコ語が上手に発音できず、覚えられなかった。世界史の全体像が皆無すぎて、歴史的建造物を見るたびに、何故これが建てられたのだろうと考えることしかできなかった。歴史を知り、その根拠がわかれば、旅はもっと面白いだろうと痛感した。

私たちは写真を撮ったりぶらぶらしながら、次の目的地に向かった。アナトリアン側にまだ行ってなかったので、ウスクダルという街に向かうことにした。ポスポラス海峡を渡るには主にフェリーか地下鉄になる。フェリーに乗ってみたかったが、時間がないので近くの駅からマルマライという地下鉄に乗った。

地下鉄に乗るにはイスタンブルカードという交通パスが必要になる。私は前日に作っていたが、彼女は初めて作るようだ。今日はせっかくフェリーで来てくれたのだ。トルコリラも日本円と比べると安いので、チャージする彼女に50リラを渡したが、「友達でしょ」と断られた。

改札を通りホームに向かったが、どうやらをラインを間違えてしまったらしい。彼女が気が付いてくれたのでまた改札に戻り、正しい方に入ろうとしたが改札を通れなかった。

イスタンブールのホームには日本のように駅員さんがほぼいない。だがたまたまこの駅はアナトリアン側と繋がるハブだからか駅員さんが立っていたのでよかった。もしいなかったら結構面倒臭いことになっていた。結局原因は不明だったが、解決してウスクダルの駅に5分ほどで着いた。

電車では、ヒジャブをつけたムスリムの女性と明らかなツアリストのアジア人が2人で居るのが珍しいからか、かなり視線を感じた。街中でもアジア人をあまり見かけることがないので、ムスリムの女性とアジア人が2人でいることは珍しいのだろう。彼女に視線を浴びせているのが申し訳なかった。

ウスクダルにはメイデンタワーという、海に浮かぶ小さい島がある。そこには塔が立っており、その塔は昔税関として機能していたり、その後は女性のみ出入り可能で片思いの女性が祈りに来る場所でもあったという背景がある。私たちはその塔を目指して海沿いの道を歩いた。

沿岸からの景色は、ヨーロッパサイドのイスタンブールの旧市街と近代都市の街並みを一望できた。海からは冷たい風が吹き荒れ、しかしそれを忘れさせるくらい歩いているだけで気持ちよかった。そして私たちは、メイデンタワーを目の前にして海景色を一望できるカフェに向かった。

向かうと途中で多くの人が賑わっていると思えば、大勢のかもめが輪をかいて飛び回っている。通行人は餌用にベーグルを1リラで買い、大勢の人が餌をあげている。私たちもそれに加わってベーグルを1個買い、ベーグルをちぎってかもめたちに餌をやった。かもめたちは1カケラも落とすことなくキャッチするのだが、炭水化物をこんなにも多くの人があげてしまうとかもめたちにも良くないだろうなと思い、餌をあげながら少し罪悪感を感じた。

カフェの前に着くと、何束ものバラを抱えたおばちゃんが彼女の元に押し売りにやってきた。どんな会話をしているのかわからなかったが、おばちゃんも慣れているようで、強引にわたしたちにバラを1本ずつ持たせたのだ。彼女もおばちゃんの一生懸命さに断ることができず、1本5リラ、合計10リラを払った。

結構な額だ。あららと思いながらも、なんか楽しかったからよかった。何せ今日はバレンタインなので、2人してバラを持っていたら町中の人に勘違いされてしまうだろうと思ったが、そんなことも彼女は快く受け入れていた。予期せぬ出来事も受け入れてみるものだ。

私たちはカフェに入った。風が強いので海側のテラス席は空いていな買ったので、室内のソファーの席に座った。100席以上ある大きいカフェながら、人はほぼ満員だった。

席についてすぐにウエイトレスがメニューを聞きに来てくれた。トルコといえばトルココーヒーが有名だ。私たちはメニューを見ることなくトルココーヒーを頼んだ。

私たちは一旦心地の良い広いソファーにもたれて体を休めた。今日は早くから結構歩いていた。室内は暖かく、コーヒーとトルコ料理の良い匂いが漂うので眠くなりそうだった。私たちは一旦落ち着いて、今日の出来事を思い返した。

そういえばあまり写真を撮っていなかったことに気づいたので、コーヒーが来るまでに少し写真を撮ることにした。写真を撮るために彼女の隣に席を移動した。席はテーブルを挟んだ6人席ほどの広さで、横長の高さが低いソファーだった。IOSのカメラやHUJIを使って何枚か写真を撮った。HUJIなんかじゃなくもっと良いカメラアップ持っておけばよかったと思ったが、普段自分の写真をあまり撮らないのでHUJIしかなかった。それでも楽しく撮ってる間にコーヒーが来た。

席を戻ろうとしたが、彼女はこのままも良いと言ってくれたので移動しないことにした。隣同士に座る方が対面より居心地が良いのでむしろよかった。向かい合って座るとちょっと気まずいっていうのもある。それを承知の上で彼女がそう提案してくれたことに一枚持って行かれた、自分より大人だなと。バラを置いてカップルだと思われるかもしれないが、気にしなようにした。

念願のトルココーヒー

トルココーヒーはエスプレッソカップくらい小さなカップによそられている。きめ細かな彫刻デザインが刻まれている銀色のお皿に、コーヒーとお水と、一欠片のグミが乗ってた。グミはコーヒーを口に含ませながら一緒に食べるトルコの伝統的な飲み方らしい。実際に試してみると、コーヒーの苦味とグミの酸味が合わさって結構美味かった。

トルココーヒーはかなりマイルドで甘味がある。砂糖は入っていないはずだがなぜこんな甘いのかはわからなかった。何杯も飲みたくなるくらい美味しかった。

喫煙席だったので、コーヒーを飲みながら一服することにした。今日は彼女のタバコをもらいっぱなしで申し訳なかった。彼女は必ずライターを先に私に渡してくれるので、今度は彼女のタバコに火をつけた。

彼女との一服は毎回極上である。新鮮さと緊張感が良いフレーバーになっているのかもしれない。タバコの火が消えるまで私は今日の出来事を思い返しながら、黙って浸っていた。今日も明日には過去になると思い少し悲しくなった。いつの間にかタバコを吸い終えてしまった。

再びその吸い殻でフォーチュンテリングを試した。愚問だが毎回結果は変わる。しかしぼくは一生懸命彼女のイニシャルが出るのを祈った。今度は彼女の吸い殻には「S」が写り、私のはまた「O」だった。人生だねと言って、少し悔しかった。

その後はたわいもない話をしながらゆっくりとした時間が流れていた。手帳にお互いのサインを書いたり漢字を教えたりして遊んだ。ぼくにとってこのサインは彼女と出会った印になるだろうと思い、記念に取っておくことにした。

書き物で遊んでいるうちに彼女は盆栽の手紙に私がまだ何も書いてないことを思い出した。記念に何か書いてよと言い出した彼女に、何を書こうかと悩んだが、実際に書きたいことは頭に浮かんでいた。彼女がトイレに行くのでそのうちに書くことになったが、恐らくそれは伝えるべきではないと思い、結局何も書けないまま彼女が帰って来てしまった。

何も書けなかったことを伝えると彼女は残念そうしていた。私にはそれを伝えるべきか否か、考える時間が必要があった。幸い私があげたお土産の袋ごと、私のバッグに入れて預かっていたので、彼女が帰るまでにタイミングがあれば書くことにした。

コーヒーの量も少ないので、あっという間に飲み干してしまった。もう少しここにいたかったので、ウエイトレスを呼び、ダブルサイズのトルココーヒーを2人分注文した。彼女との居心地が良い空間を延長させたかったのだ。今日ならカフェイン中毒で死んでもよかった。

2杯目のコーヒーが来た頃には既に16:30を過ぎていた。この日の時間だけ、一瞬にして時が経つかのようだった。彼女の帰りのフェリーの駅は向かい側の島にあるので、コーヒーを飲んだらすぐに出ることにした。とはいえまだ駅に向かうのは早いので、フェリーの駅がある旧市街側とは反対側の、都市中心部のタクシムに向かった。

秘密基地、発掘

タクシム近辺はより近代的な北欧の建物が建ち並んでいて、夕方が近づくと共に人がかなり賑う。私たちは特に宛もなく歩いていると、いつの間に人があまり通らない狭い道に迷い込んでしまった。タクシム近辺の道は急な坂が入り組んでいるが、私たちは戻ることなく細い道をどんどん下っていった。

下は急な坂だったので、私たちは片方が転んだらどう対処するかというたわいもない話をしていた。すると、本当に彼女が段差に気づかず華麗に転んだ。派手だったがうまく着地していた。突然すぎたのとタイミングが良すぎて笑いこけた。彼女は恥ずかしそうに、ポジティブに行こうと言って1人で永遠に笑い散らしていた。

ついに人もお店もなく、これ以上下るところがないところまで来てしまった。 曲がり角にも何もある気配はなかったので戻ろうとしたが、彼女が一方の側の建物に脇道をみつけ、こっちに行こうと誘導してくれた。工事中のフェンスを脇にある階段を登るのだが、普通は通らないような道だった。フェンスの奥には珍しく林があり、階段の先には土の道が続いていた。

驚いたことに、そのすぐ先は芝生の土手になっていて、ブルーモスクを正面にイスタンブール旧市街、その先にマルマラ海を一望できる超秘密基地的なスポットだった。降ってきたにもかかわらず標高が旧市街よりもずっと高かったのだ。一息つくのに完璧なスポットだったので、思わず2人して声を出して驚いてしまった。

ダンス、ダンス、ダンス

私たちは土手に座って一服しながら、景色を眺めていた。ぼくはそこで色んなことを思った。ここが今日の最後の場所になるだろうと思い、少し悲しくなった。かれこれあらゆることを話してきたので、気が抜けてしまったためか話題がなくなった。

お互いに好きな音楽をかけながら落ち着いていると、突然彼女が一緒に踊ろうと手を差し出して来た。

ぼくは社交ダンスなんてもっぱら踊ったことがなければ、フォームもステップも、何もかも知らない。トルコでは結婚式やパーティーでダンスをするのが一般的らしく、多くの人がこうした社交ダンスの経験があると言う。

お互いの背に手を当て、手を合わせて向かい合ってで踊るのは、正直かなり恥ずかしかった。ましてや綺麗な彼女と急に近くなって踊るとなると、緊張して固まってしまった。そんな中、ちょうどかかっていたマイケルの「You are not alone」に合わせて揺られながら、私たちはゆっくりステップを踏んだ。

自分と反対に彼女はすごくリラックスしている。楽しそうに揺られながらダンスをリードしてくれている。かなり近い距離なので、目を合わせることはできなかった。そんな中彼女はおっきい目でニコニコしながらこっちを見ている。頼みからこっちを見ないでくれ、と思いながら横を向いて目を逸らしてた。

とにかく恥ずかしくてダンスどころではなかった。社交ダンスのやり方もわからなければ、俺は死ぬほどダサいじゃないか。しかし彼女は優しく、ステップから基本を教えてくれた。

それにしても上手に踊れなかった。そして体が相変わらず固いのままだった。本来であれば男性がリードするのだが、初めだからということで彼女がリードしてくれた。極度の緊張と恥ずかしさがブレーキをかけていたのだ。度々彼女の息に合わせることができず、その度に優しく教えてもらった。

私たちはそのままランダムに流れるマイケルのHISTORYのアルバムの曲に合わせながら、しばらく踊っていた。ゆっくりステップを踏んだり、回ったり、私の腕に寄りかかってイナバウアーのようなポーズを取ったりと、純粋に楽しんでいた。

あまりに踊れなかったので、良い雰囲気も台無しにしてしまった気がした。しまいに彼女も諦めて、ルールを破ってお互いに回ったりと、とりあえず踊ってダンスを楽しんだ。

私にとってはすごく新鮮な経験で楽しかったが、緊張のあまり、慣れず、死ぬほど悔しかった。悔しかった。

それにしても彼女はダンスがかなり上手い。ダンサーではないが、音楽に揺られるのが上手だ。そんな彼女も魅力的だった。

30分くらい踊っていたかもしれないが、それはこれまで経験したことのないとても貴重な経験だった。他にもトルコの伝統的なダンスを教えてもらったりと、すごく楽しかった。初めは自分の不甲斐なさを感じざるを得なかったが、時間が経てば緊張も和らぎなれてきた。

そして最後に、私たちは土手で今年のモットーについて話した。彼女の今年のモットーはbeing positiveだそうだ。確かに彼女はこの日もいつもすごくポジティブだ。一緒にいたらとにかく楽しい人みたいな。画面越しですらポジティブ感があるくらいだ。私とは正反対で、思い返すと私はネガティブな側面に捉われがちで、完璧主義者で、本当につまらない人間だ。また自信過剰に、不完全な自分に期待しすぎている。

彼女のポジティブさは見習うべきだと思い、ぼくもbeing positiveを今年のモットーにすることにした。ポジティブで笑顔の絶えない彼女のおかげで今日は楽しい日になったのだ。

すでに時間は18:30を回っていた。辺りも暗くなり、美しい夕陽の景色は、夜景へと変わっていた。最後にタバコを一本吸って、この日の幸せを噛み締めてから、タキシムの駅に向かった。

帰り道も来た道を通り、急な坂を超えてあっという間にタクシム駅についた。そういえば彼女が、私がトルコ土産を何も買っていないことに気が付き、彼女がショップに寄ろうか聞いてくれたが、荷物がもう入らないのと、ショッピングにあまり興味が無かった。それどころか、お土産どころではなかった。

私は手紙を書こうか書くまいか、いつ書くかずっと考えていた。書きたいのだが、彼女を失ってしまうのではないかと恐れていた。次は会える日が来るかもわからない。想いを伝えるいことは美しいことであり、決してネガティブなことではない。想いが新鮮なうちに伝えようと決心した。嫌な思いをさせるわけではないと思うので、どうであれ今後もうまくやっていけるとなんとなく確信していた。

帰り道

タクシム駅周辺は、欧州の立派な建物がタクシムを中心にずらりと並んでおり、夕方になると前が見えないほどの人混みになる。1階にお店が旧市街の方まで並んでおり、ハイブランドショップ、服屋、パブ、シーシャ、雑貨屋など、同じような店がずっと奥まで続いている。街並みは綺麗だが、ショッピングに興味がなければ少々飽きてしまう。

結局トルコ土産は何も買うことなく、帰りのフェリーステーションに行くためにタクシム駅に向かった。19:00を過ぎていたので、フェリーステーションには出発20分前につけるくらい少し余裕があった。私はこれが手紙を書く最後のチャンスだと確信し、駅のトイレに寄らせてもらった。

何を書くかはもう決まっていた。これは今日純粋に生まれた想いだ。何行も書くこともなければ、二言もない。特にトイレで用を足すわけでもなく、最後に本当に書くべきかどうか考えた。2分くらいじっと考えた後、やはり伝えておきたいと思った。便所は空いてなかったのでトイレの端の壁を下敷きにしてささっとあの一言を描いた。これでいいんだと心に言い聞かせた。しまった後に名前くらい書けばよかったと後悔したが、もう遅かった。

彼女を待たせてしまったが、混んでたことを口実に謝ってホームに向った。帰りの電車では互い静かに自分の世界に入った。あんなに笑っていっぱい話したのに、帰りはなぜだか話題が浮かばなかった。

私は今日が終わってしまうことを実感しながら、今日の1日の出来事を振り返った。ダンス踊れなくて悔しかった、あの時こういえばよかった、自分の英語力が足りなくてあの時意思疎通できてなかった、という反省が思いを巡らせた。そして彼女と別れることが純粋に悲しかった。

今日彼女とは3年越しで初めて会い、今日心を奪われ、今日が終わればいつ会えるかもわからない、その事実があまり実感できなかった。

彼女は本当に素敵な人だった。今日で彼女の素晴らしさと自分の情けなさで多くを得られた気がした。そして私は彼女に出会えて幸せ者に違いない。脳内の倉庫には収まりきらないほど彼女から学ぶことがあったので、すぐにノートを取り出してメモを取りたかった。

あっという間にフェリーステーションの最寄りのイェニカピ駅についてしまった。19:40を過ぎた頃で、20分ほど時間があった。彼女がこれから2時間もかけてフェリーでブルサに戻り、さらにバスと電車に乗って1時間ほどで自宅に戻ることを考えると、かなり大変だ。

私たちはフェリーステーションまで歩きながら、途中の公園に座って最後に一服することにした。寒い中手を震わせながら、彼女のタバコに火をつけた。白い息と共に吐くタバコの煙は、悲しい静けさと暗い情景を包みこんだ。次彼女にいつ会えるだろうか。

最後の最後になると彼女に何を話して良いかわからなくなった。今日楽しかったことと、改めて今日会えたことに感謝を伝えたいのだが、今更かしこまりたくない。しかし、それ以外に特に言いたいこともなかったので、少々堅くなってしまったが改めて感謝の気持ちを伝えた。

何もユーモアのあることは浮かばなかった。しかし彼女は私の改まった言葉を親身に受け止めて感謝を返してくれた。なんだか今日は彼女への感心と自分の劣等感を感じてやまなかった。

最後に吸い殻のフォーチュンテリングをやったのだが、彼女は新しいイニシャルで私も誰だか見当もつかないイニシャルだったので何が出たかも忘れてしまった。期待外れな上でもうそんなことどうでもよかった。

そして20:00にを回り、私たちはフェリーの入り口に着いた。最後に手紙を書いたことを伝え、バッグを彼女に渡した。手紙は家に帰ってから見るように言った。

ここで本当にしばらくお別れになる。最後の最後はお互い何を言っていいかわからなかった。私は再び感謝と今日楽しかったことを伝えることしかできなかった。

彼女は次は彼女が住むブルサで会うことを約束してくれた。少し彼女の目が少し潤っているのが移って、私は泣くことを堪えた。最後に彼女から快くハグをしてくれて、両頬を合わせてお別れの挨拶をした。

彼女が乗り場を通っていく姿を最後まで見送っていたが、彼女は後ろを振り返ることなく行ってしまった。そして私は今日の一瞬の出来事が終わったことを実感し、次は2年後か、いつになるのかと思いながら、歩いて宿に向った。

帰り道は彼女の素晴らしさに対して今日の悔しさに耐えきれず、思わず涙が出てしまった。再びマイケルのYou are not aloneを聴きながら、社交ダンスを緊張して踊れなかった自分を改めて恥いた。英語がもっと話せれば、ジョークを言えればもっと彼女を楽しませられたと思った。男としてみっともない自分を受け入れられなかった。

彼女に今日ありがとうと連絡を送ろうかと思ったが、あんな手紙を残し、今頃見てたらどう思われてるかも想像したくないうえに、感謝も伝えたら重すぎると思ったので、何も送らず彼女からの連絡を待つ事にした。

21:00過ぎごろに宿に戻ったが、それでもまだ今日を振り返っていた。彼女の素敵なところ、今感じていること、今日の出来事、自分の失敗、イギリスでどう改善するかを紙に全て書く事にした。新鮮な気持ちを忘れたくないのだ。そして彼女の喪失感に浸りながら、イギリスでどう生きていくかを簡単に想像した。

そうだ、2年間のイギリスの旅はこれから始まるのだ。イスタンブールでの旅の始まりは、何か意味があったように思える。この日をバネにして、成長してまた彼女に会いに行くと決心した。

ただ無理に気持ちを切り替えず、できるだけ彼女の喪失感に浸っていたかった。その夜は、夕飯も食べるお腹もすかなかった。ぼーっとしてる間に彼女から無事宿に着いたかの確認の連絡がきた。そして彼女はその手紙の内容が気になると言うので、どうやら本当に家に着くまでしまっているようだ。私は彼女に寝過ごさないで無事帰れるよう連絡した。

午前1時ごろに彼女が無事に家についたと連絡が来てほっとした。手紙を見た彼女をカジュアルに同じ言葉を返してくれた。これでよかったのだ。大きい壁こそ簡単に越えられるものではない。気持ちを伝えられてよかった。また会えることを願うのみだ。

そして明日から私はロンドンにいるのだ。その日は朝5時にホテルを出なければならない。夜中の1時が過ぎた頃にシャワーで悔しさと悲しみを流し、明日に気持ちを切り替えた。




















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