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頭と身体(心)がバラバラになる不登校


毎日の行動が、価値観をつくるので

思考が言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に・・・と最終的にはその人の運命にまでつながっていると言ったマザーテレサ。
毎日の行動として学校に行っていれば、学校に行くことは当然という言葉になり、それが思考(価値観)にもなる。もちろん習慣になり、性格になり、運命にまでなっていくのが人間です。だからこそ、学校に行けなくなったときに、とても悩み苦しむことになるのです。
まあ、そうですよね。信頼している家族や信頼した方がいい担任の先生が真顔で、「学校は行った方がいい」と本気で言ってくるわけです。そんな風に言われたら、子どもは「行けない自分が悪いんだ」とメッセージを受けるに決まってますし、「学校は行かなければならぬもの」という価値観をもつのは当然のことです。
何度か書いたかもしれませんが、不登校になったとしても「学校には行かなければならないもの」であって「行けるなら学校には行きたい」と8割9割の子どもは思っています。

実は、身体は脳より先に判断している

私たちの身体は、感覚のセンサーにあふれています。何か大きな音がドーンとしたら、耳がキャッチした瞬間にビクっと首をすくんだりしますよね。あるいは停電で暗闇になった瞬間から緊張して心臓の音が聞こえるくらいドクンドクンとなったりしますね。身体が周りに何か起こったことをキャッチして考えるよりも先に身体が反応をしていきます。
そして衝撃的なのは(脳科学ではわりと知られていることですが)、右か左かみたいな判断をする場面があったとして、意識して考えて右か左かどちらか自分が選んでいると思うじゃないですか、普通。でも本当は違います。よーく調べてみると、意識に上る前の無意識の段階でどちらにするかの判断は終わっています。細胞レベルで判断は終わっていて、その結果が意識に上ってくるので、自分の意識は「右」を選んだ、だから自分の意思だと思うのですが、本当は後付けでそのように考えているに過ぎないのです。
もう何が言いたいかは、おわかりかと思うのですが、「学校に行けない方がいい」とは、無意識の細胞レベルの判断ですでに議論の余地などないのです。つまりは本能に近いレベルにおいて判断はすでの終わっているのです。
そんなことを言いだしたら、思考とか自分の意思とかそういうものは全くないことになるじゃないかと指摘する方もいるでしょう。もちろん、論理的に考えて、右/左を理由や根拠を並べた上で判断することもできます。
欧米でよく言われるロジカル・シンキング、クリティカル・シンキングなどの思考法は、まさに事実や論理を積み重ねて結論を出すやり方です。人にしかできない脳の使い方で、そういう使い方もできるのは認めるところです。
ですが、学校に行かない、行けないといった判断は、子どもがよーく脳を使って考えて、思考して、あるいは自分の意思を言葉にして、「行かない、行けない」ことを選択したと大人は思っていませんか?
人は複雑な生き物なので、そういう頭の使い方もできますが、そうではなく感覚的に、本能で選択するということもあるということを知ってほしいのです。特に子どもはそういった判断をすることがよくあるのです。

だから苦しむ不登校

頭を使って、つまり言葉、価値観というこれまでの行動によって培われた「学校には行かなければならない」「行くべきもの」ということがとても強力に残っている、けれども身体(心)の、細胞レベルの、本能と言い換えてもいいレベルの判断は、「これ以上は、学校に行けない、行かない」としている。
自分の頭の中で、片や「行った方がいい、いくべき」と声がきこえ、一方では「行くな、行かないほうがいい、行けない」という声がきこえている状態は、本当に気持ちが悪いものです。そんな時、すばやく行動できるはずはありません。二分された自分を、脳はどうにかまとめようとしますが全く真逆の方針に思考は堂々巡りしてしまいます。考えても、考えてもどうしたらよいかわからない・・・
私は、よく例えていいます。全く見知らぬ土地に旅をしたとしましょう。目的地に向かっているときに、右に行った方がいいのか、左に行ったほうがいいのかわからなくなってしまった。はて、どうしたものか。こういうときは立ち止まりますよね。そしてスマホで地図を呼び出すか付近の人に聞こうかと解決方法を経験から検索してキョロキョロします。不登校の、特に初期の段階というのは、こういうことに近いと思います。

結局は、本能にしたがう

頭と身体(心)がバラバラなことを考えているとき、頭の方に従えば必ず「無理」をすることになります。無理をすればストレスがかかるのは目に見えています。
結局は、本能に従うことになるのです。
不登校のことを知らない人に限って「本人の甘えが~」「休みぐせが~」などと言うのですが、本当に無知って怖いなと思います。ハッキリいって、そういうレベルではない。不登校は、自分を守るための行動です。そういう基本的な理解がなければ、対応は間違うばかりです。