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#1594 教師がいらない?

私は以前に、以下のような記事を書いている。

#91 教師のいらない学級づくり|眼鏡先生 (note.com)

#1460 教師がお化けになる教室|眼鏡先生 (note.com)

「教師がいらない学級集団づくりを目指そう」
「教師がいなくてもいい学級をつくろう」
とよく言われる。

しかし、本当に「教師がいらない」ことなどあり得ない。

学校に通う子どもたちがいる以上、その教室には「教師」という存在が欠かせない。

教師は教員免許を保有し、子どもたちに「指導する」という職務がある。

その職務を全うすることで、お給料をいただいている。

この構造は、これから先も変わることはない。

学校に、教室に、子どもたちがいる以上、その空間には必然的に「教師」が存在しなければならないのだ。

よって、「教師がいらない」「教師がいなくてもいい」教室などあり得ないのである。

ここを勘違いしてはいけないのだ。

「教師がいなくてもいい」と勘違いしてしまうと、子どもたちを見放し、放任してしまうことになる。

最悪の場合、教室からいなくなることだって起こりうる。

それは指導を放棄したことになる。

職務を全うしていないことになってしまうのだ。

なので、本当の意味で「教師がいらない」「教師がいなくてもいい」空間などあり得ないのである。

子どもたちが学校に通っている以上、そこには「教師」という存在が必要不可欠なのである。

なので、必要なことは「将来、教師がいなくなったときに必要な力を育てる」ということだ。

「将来」というのがキーワードである。

「今現在、学校に通っている間」は教師が必要なのである。

というか、教師はその空間にいなければならない。

それが職務であるからだ。

よって、教師にできることは、「将来のため」「本当に教師がいなくなったときのため」「大人になったときのため」に活かせる力を付けてあげることである。

そのような「子どもに身に付けさせるべき力」を考え、今のうちから育成していくのである。

「教師がいらない」などと簡単に口走ってはいけない。

「教師が助けられなくなったときのために、今のうちにできること」を伝え続けていくのである。

肝に銘じておきたい。

では。

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