見出し画像

#674 授業スタンダードの罠

一部の自治体には、「授業スタンダード」と言われる授業づくりのマニュアルがある。

これは「初任者」には有効であろう。

「何も分からない」者にとっては、羅針盤になる。

しかし、これを全ての教師に強制することはナンセンスである。

授業スタンダードで授業を画一化することは、教師の思考停止を促進する。

創造的な授業づくりが実現できない。

そのような「枠」からはみ出すことや、個性的な授業づくりをすることを尊重する気が感じられない。

「個別最適な学び」ということで授業改革をしているにもかかわらず、教師には「個別最適な授業づくり」を許さない・・・。

そんな矛盾はありえない。

授業をスタンダード化し、画一化するということは、「どんな授業も同じように再現できる」ということである。

教師による能力格差を埋める効果はあるだろう。

しかし、それが当たり前になると、教師としての成長は止まる。

教師は自分自身の研究と修養により、創造的な授業をつくるべきである。

そのような授業スタンダードにいつまでも依存していては、力量が低下するばかりなのである。

また、授業をスタンダード通りにつくることができるのであれば、教師という仕事は無意味である。

AIがますます進化する中、教師ではなく、AIに取って替わられてしまう。

なぜなら、AIであれば、授業スタンダード通りに授業をつくることが容易にできるからである。

しかし、果たしてそれでいいのか?

教師の仕事はもっと創造的なのではないだろうか?

授業スタンダードに振り回されてはいけない。

教師として、創造的な授業をつくっていきたい。

では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?