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要検証 安倍政権とは何だったのか。

安倍晋三元首相が凶弾に倒れ亡くなって1週間程経ちました。亡くなった事には追悼するしかありません。しかし、森友加計問題等、未解決事件まで一緒に葬り去ってはいけません。8年弱続いた安倍政権の問題点をきちんと検証し、総括していかないと政治がもっとおかしくなっていくと思います。

政教分離が壊れている。

新聞やテレビからの個人的な感想ですが、安倍元首相が統一家族連合(旧統一教会)と関わっていたと思わざるを得ません。この統一教会の関連団体である天宙平和連合(UPF)の大会にビデオメッセージを送っていた事、また教会誌の表紙を何度も飾っている事だけでも、統一教会との関連が深くお金や人員のやり取りも高頻度であったのでは、と疑われても仕方ないでしょう。
加えて、今の自公政権が、統一教会・神社本庁・創価学会という「宗教団体」に牛耳られた政権という見方もできるでしょう。それは憲法で定める政教分離に違反する可能性も高く、不気味さで背筋が凍る思いです。

国会に緊張感がなさすぎる。

安倍政権になってから、国会での強行採決が多発しているように思います。
安全保障関連法(2015年)もその一つ。集団的自衛権を一部認めるという憲法に抵触する恐れのある法案を、審議不十分のまま強行採決されています。いつの間にか、国会が政府の決定をただ承認するだけの場所になっていて、与党議員もそこに取り込まれている、私にはそう見えます。
最も、昔から自民党が長く政権を担っていて、昭和の時代は概ね国会で過半数を取っていました。ですが、今と違って政府と党は実質的に機能が分かれていました。本会議や委員会でも、自民党議員から政府へ厳しい質問をする事は珍しくなく、法案等も簡単には通らなかったのです。衆議院を通過しても参議院自民党という「別動隊」によって覆る事もありました。
でも、そのぐらいの緊張感がないと民主主義は機能しないと思うのです。党総裁、首相の権力があまりに強すぎて一方通行になり過ぎている今、何のために国会の議決を必要としているのか、意味を考え続けないといけないと思います。

表現の自由が委縮させられた。

2019年あいちトリエンナーレで、「表現の不自由展その後」というコーナーがありました。これが電凸事件によって開催が長期間休止させられてしまいました。暴力行為で展示を中止させる事は、憲法で保障する表現の自由を侵害する事になり、それ自体到底許せない事ですが、それ以上に許せないのが時の文科相の発言です。
萩生田文科相(当時)は、交付が決定していたあいちトリエンナーレへ補助金を取り消してしまいました。これは、政府の気に入らない事はいくらでも潰せるという極めて悪い事例で、表現活動や知的探求に対して強い委縮効果を与えてしまいました。これは、独裁国家の思想ですよね。それが通ってしまった事は、安倍首相もそういう考え方だったのではないのでしょうか。

未解決事件まで葬式するな!

ここが私のいちばん言いたい所です。森友加計学園問題等、真相が今だ解明されていない問題が数多く残っています。学校の認可・建設にどういうお金の動きがあったのか。国有地を格安で売るのは、政治的圧力なしではあり得ないのではないか。獣医師養成を後押しする裏の目的は何だったのか。あまり思いたくないですけど、獣医師の仕事にはペットの殺処分も含まれていて、その技術は軍事目的に転用される危険性も考えられます。
私の様な素人目で見ても、問題点は思い浮かぶわけで、そうした問題の一つ一つを掘り下げるのを闇に葬ってしまっては、政治がどんどん悪い方向に暴走していくでしょう。
日本を独裁国家にしないためにも、安倍政権の検証・総括は必要です。


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