地獄の唱導と芸能―絵解き・落語・芝居/前篇
書き手:渡 浩一(明治大学国際日本学部教授)
表紙:「十界双六」(国立国会図書館所蔵)
はじめに
思いがけないご縁に導かれて、『テラ 京都編』の記録映像を視聴し、観劇の趣味などまったくないのに一文を寄稿させていただくことになった。
正直、映像を視聴しての印象は「わからない」であった。しかし、何となく面白く感じ興味をひかれた部分があったことも事実である。一つは『テラ』の活動全般に関わることだが、場所が寺であること。仏教・お寺と芸能との歴史的因縁を思った。一つは井戸から堕ちて地獄へ行き帰ってきたという台詞。後述するある伝説がすぐに頭に浮かんだ。
そして、最後のたたみかけられる質問に観客が木魚を叩いて答える部分。考える時間を与えない矢継ぎ早に繰り出される質問はかえって無意識下にある意業をさらけ出すことになると思った。私はもちろん人を殺したことはないし、「死んでしまえ」と叫んだこともSNSに「死ね」などと書き込んだこともない。しかし、「死ねばいいのに」と思ったことがあるかと問われたら、思わず木魚を叩いてしまいそうである。つまり、行為としての身業の殺人も言葉のうえでの口業の殺人も犯していないが、心に思うだけの意業の殺人は犯しているのである。あの世に行ったらなんでもお見通しの閻魔様に殺人罪で地獄行きを宣告されるに違いない。
そんなわけで、劇評はとても無理だし、そもそも求められてはいないようなので、以下、地獄の唱導というテーマの駄文を寄稿させていただくことにした。
日本仏教の説く死後の世界
本論に入る前に、読解がスムーズにいくように、まずは日本仏教が死後の世界をどう説いているのかを見ておきたい。
魂は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの迷いの世界(仏教では天も迷いの世界で、人間界は2番目にいい世界)で転生、即ち生まれ変わり死に変わりを永遠と繰り返すとされる。これを六道輪廻という。
この六道輪廻の世界は煩悩に穢れた穢土であり、ここを抜け出し涅槃の世界・清浄な仏の世界である浄土に行くことを解脱という。解脱するには自力で修行して悟りを得るか、仏の力、即ち他力を頼むしかないが、後者が 浄土教の考えで、阿弥陀様の力に頼ってその浄土である西方極楽浄土に往生しようという信仰である。往生者を阿弥陀仏や菩薩などの聖衆が迎えに来るのが来迎である。
■ 浄土に行きたい!どうしたらいい?
源信作『往生要集』はまず第1章「厭離穢土」で地獄をはじめとする六道の世界を具体的に描き、第2章「欣求浄土」で極楽浄土の世界を具体的に描く。つまり、まず六道を厭い離れる心を起こさせ、次に浄土を欣び求める心を起こさせる構成である。本論は第3章以下で、それではどうしたら浄土に行けるのかを詳説し、要は念仏(といっても法然以前なので称名念仏だけではなく苦行的念仏だが)という結論に至るのだが、この肝心な部分は学僧以外にはあまり読まれなかったようだ。
■「閻魔様」って何者?
死者の魂は四十九日の中陰の間、七日ごとに冥界裁判を受け、次の生まれ代わり先が決まると再び肉身を得てその世界に生まれる。冥界裁判の裁判官が閻魔王などの十王で、初七日から四十九日までの七王と再審裁判と言われる百箇日・一周忌・三周忌を担当する三王からなる。本来は自業自得で、生前に作った業によって生まれ変わり先は自動的に決まるべきものなのに、冥界裁判の判決を有利にするために、つまり、死者が少しでもましな世界に生まれ変われるようにするため逆修や追善供養が行われるようになった。
■ なぜ「四十九日」に法要をやるの?
十王信仰は日本で十三仏信仰に発展する。つまり、七回忌・十三回忌・三十三回忌を加え十三王になったのだが、日本では十王にそれぞれ本地仏を設定したため(たとえば、5番目の五七日を担当する閻魔王の本地は地蔵菩薩)十三仏となったのである。この十三仏を生前にそれぞれ定められた十三の特定の日(年十三回の斎日)に供養しておくというのが中世に盛んであった 逆修信仰で、予め供養しておけば、死後の冥界裁判が有利になるという考え方である。追善供養は自分が積んだ功徳を他者に振り向ける回向という考え方に基づき、遺族などが冥界裁判の行われる忌日に合わせ仏事を営んでその功徳を死者に回向するものである。古代からみられるが、葬式仏教のなかで定着し、今でも四十九日や一周忌などに法事が営まれている。
仏教と芸能
真面目な話を真面目に語ってもなかなか人は耳を傾けてくれない。だから、仏の教えも分かりやすく人々に説こうとすれば必然的に芸能化する。そうでなければ聞いてもらえないからである。それが一般庶民相手となればなおさらである。
昔から人々を教えに世界に引き入れるための唱導・説教には譬喩・因縁話は付き物だったがその語りには節がついたり楽器の伴奏がついたりもしたし、聴衆を惹きつける身振り手振りも交えられていたに違いない。笑いと涙はお説教には欠かせないものだったと考えられる。お寺で行われていたお説経(教)から日本の様々な伝統的な舌耕芸が生まれて来る所以である。たとえば、〈かたる〉浄瑠璃(義太夫節)や説経節・浪曲などの語り物、〈はなす〉落語、〈よむ〉講談といったところである。
地獄の絵解き
昔からお寺での説教などでよく取り上げられてきたものの一つに地獄がある。地獄の恐怖を説き人々を仏の教えに導こうとしたからである。なかでも寺の内外で行われた庶民相手の地獄絵を指し示しながらの地獄の絵解きは効果的であったと考えられる。絵解きは絵の内容を一通り理解していれば、誰にでもできうるものともいえるが、単なる説明ではなく芸能的な語りの絵解きとなるとそうはいかない。かつて四天王寺などには「絵解き法師」と呼ばれる下賤な身分の専従者がいたようだが、彼らの語りは生活のかかったものだけに芸として成り立っていたものと想定して誤りあるまい。専従者ではなくとも、日常的、定期的に同じ絵を絵解きする者の語りは自然と話芸が磨かれていくものである。
『往生要集』で源信が地獄をはじめとする六道の世界を体系的に具体的に説いて以来、地獄絵や六道絵が多く描かれ絵解きされてきた。
たとえば、滋賀県大津市・ 聖衆来迎寺の国宝「六道絵」十五幅はかつてその模本を用いてお盆の時の虫干し絵に絵解きされていて、絵解き台本も残っている。
『往生要集』は江戸時代にはその最初の2章の部分だけを書き下し文にして挿絵を加えた「和字絵入り」版(上巻「地獄物語」、中巻「六道物語」、下巻「極楽物語」)が出版されて流布したので、その挿絵を参考にした地獄・六道絵が多く制作されたようで、地方のお寺などによく伝わっている。それらの多くもお盆の虫干し会の折などに絵解きされてきたと考えてよかろう。
地獄絵や六道絵の要素を含む十王図も多くの遺品が残り絵解きされてきた。中国から伝わった十王信仰は葬式仏教の成立・発展とともに広まったが、転生先を良くするための追善供養の教えとともに十王図の絵解きを通して広まり定着した面も大いにあると考えられる。
小沢昭一氏の『日本の放浪芸』にその語りの一部が収録されている、真宗の説教師でもあった三重県いなべ市・敬善寺の藤嶽敬道師の「地獄・極楽 冥途の旅日記」と題した十王図の絵解き語りは、遺族に先祖供養をせねばと思わせる笑いと涙ありの昭和の名調子であった。同じく『日本の放浪芸』に大阪・四天王寺境内でのその語りの一部が収録されている大道見世物・覗きからくりの代表的演目の一つ「地獄・極楽」も地獄の絵解きの系譜を引くものであろう。
関連プログラム
『テラ 京都編』の公演映像は2021年11月19日(金)~12月26日(日)まで配信中です。詳細・チケット情報はこちらのぺージをご覧ください。
※チケット販売は12月12日(日)まで
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