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【短編小説】天邪鬼ノ恋

人間が嫌いだった。あいつらは回りくどい建て前や綺麗事ばかり吐いているから嫌いだ。世のため人のため?そんなのクソくらえ。みんなお金のために働いているだけだ。食って寝て性欲を満たして気持ちよくなってるだけだってのに。

俺はこの街で天邪鬼という妖怪をやっている。自分を種族名で語るのはちょっと変かもしれない。少なくとも人間にそう呼ばれるから、今はそういうことで通しておく。
一体どんな妖怪なのか?以前、自分について記された書物を読み漁ったことがあった。どの伝承もデタラメなものばかりだったが、それでも共通して書かれていたのは、醜い見た目であること。
人に悪さをする鬼だということ。
そして嘘つきであること。

そんな誹謗中傷ばっかり書かれていて、俺がどう思ったか。

最ッ高だった。
汚らしい見た目も、陰湿な性格も。書物そのものがほぼ嘘っぱちで描き殴られているところも。とても気に入った。一緒に載ってた「じばにゃん」とかいうやつとは大違いだ、あちらは可愛さがすぎる。

実際の俺がどんな存在なのかはともかく、そういう風にありたいって思った。人間が偉いヤツの自伝を参考にするように、俺は天邪鬼らしい天邪鬼になりたい。なってやろうと思った。
そう決めていた俺が人間に恋をするなんて考えもしなかった。
天邪鬼なのに、正直ほんと考えもしなかった。

彼女と出会ったのは六月の梅雨の頃。
俺はとある寺の境内から、虐められているその少女を眺めていた。

ここは俺が勝手に住み着いている寺だ。
ほとんど廃墟のような外観と、雨漏りでジメジメした内装。全く整備される気配はなく、なんの目的で建てられたのかも分からない。
元々めったに人が寄り付かないこの場所に、春先から男子小学生が遊びに来るようになっていた。ここを大人に内緒の秘密基地にするとか騒いでいたっけな、幼稚でうっとおしいぜ。

ある日、いつも見かける男子三人組が、その少女を連れてきた。
服やランドセルを乱雑に掴んで引っ張ってきたから、虐めだということがすぐ分かった。
誰にもバレずにやるなら、人目につかないここがうってつけだしな。

「うっわ汚ったね~」

「泥女じゃん!」

舗装されていない地面は、雨が降ったばかりでぬかるんでいる。その泥の上にうずくまる彼女。
よろけて軽く転んでしまったのだ。
服も伸びきってしまっている。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

惨めな叫び声は誰にも届かなかった。
それはただ弱い者虐めを加速させるだけで、俺も外野から「もっとやれ」って楽しんでいた。
人間でも醜いヤツらは大好きだ、人の憎しみ恨み嫉みほどそそるものはないし、弱い者虐めは楽しいよな。

これが彼女との最低な出会いだったわけだが。

しばらく眺めていて思った。彼女は虐めたくなる風貌をしている。オドオドしていて、いじめられっ子特有の雰囲気を持っている。
天邪鬼的には、そこが気に入った。
無様な彼女はとても醜く綺麗で、いつの間にか虐めている彼らより、虐められている彼女から目が離せなくなった。
もっと堕ちていく彼女を見たい。
こんなのは初めての感情だった。
一目惚れのようなものだったのだろうが、こんなものを一目惚れって呼ぶのか?

そして無性に腹が立ってきたんだ。
俺ならもっと彼女を虐められる。
俺ならもっと彼女を泣かせられるぞ。
つまりはこういうのものを嫉妬って呼ぶだろうか。

俺はいじめのリーダーっぽいヤツに石を投げつけてみた。

「痛って!なにすんだよ!!!」

軽く投げただけだが、たまたま頭に当たってしまった。まあいい、ざまあみろ。
人間に俺の姿を見ることはできないんだ。
その小学生が睨みつけた先は虚空。何もないところから飛んできた石に対して、不思議そうにする彼ら。

「おい、血が出てるぞ!」

「え、え、ええ」

「うわぁぁぁああ」

血が流れていることを自覚すると、彼は途端に涙目になって、逃げ帰っていった。
ちょっと血が出たくらいで情けねえ。彼女はずっと我慢してたってのに、いい気味だぜ。

一方、取り残された彼女はきょとんとしている。
あーあ、助けたみたいになっちまった。早く消えろ、お前も石を投げられたくなかったらな。

これが彼女と出会った最初の日。それっきり彼女のことなんて忘れるはずだったが、
翌日以降もたびたび彼女は寺に現れた。例の男子三人組がいない時を見計らって来ているようだ。

いつも何するわけでもなく、寺の境内をウロウロしたあと、手をパンパン叩いて、

「神様、どうか幸せになれますように」

そう言って帰っていく。
うーん、人間の文化には詳しくないが、
彼女は何かを履き違えている気がするな。

それより気になったのは、彼女はまだ伸びたボロボロの服を着ていることがあった。
泥は落ちているから洗濯はされているようだが、
その格好で小学校に通っているとして、親や先生は何も思わないものなのか?

気になって彼女の家までついて行ってみた。
俺がこんなに他人に興味を示すのも初めての体験だった。

結論から言うと、彼女の親には会えなかった。
家はビニール袋が散乱していて汚く、ろくに家事をしている形跡もない。こういうのを人間界ではネグレクトと言うらしい。
十歳にも満たない女の子が、どうしようもない現実に直面している。
可哀想な彼女からさらに目が離せなくなった。
俺は彼女となんの関係もない、何も知らないのに。
どうしてだろう、彼女のことをもっと知りたい。

こんな感情を人間たちは何と言うんだったか。
えーと、たしか

恋?

恋とは何だろうか。
俺は図書館に行って恋が何か、調べてみることにする。

もちろん人間の通っている図書館だ。
さっきも話した通り、俺の姿は人間の目に映らないから問題ない。空気のようなものだ。
加えて俺は自分の生まれも知らないし、気付いたらこの街にいて、放置された寺に住み着いている。見えないし触れられない空気であり、風のようでもある。
ただ石は掴めるし、投げたら当たった。本も読めた。

こんな得体の知れない俺が、恋?

「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ちを持つこと。」
「相手をたいせつに思い、尽くそうとする気持ち。」××出典。

図書員の目を盗んで、辞書を何冊か引っ張り出してきた。
へえ、ここに書かれてることが恋だって言うなら、全然違うな。
俺は彼女が酷い目に合うところを見たいし、
人間のそばにいるなんて窮屈すぎるぜ。

でも、

それなら何故あのとき石を投げたんだろうな。
普段の俺なら虐めを止めたりしなかった。ずっと傷つく彼女を眺めて楽しんでいた。それが天邪鬼としての普通だ。
なのに、俺はいつの間にか彼女を助けていた。

あー、やだやだ。
俺は独りが好きだ、恋とか寒すぎだぜ。

そもそも人間と妖怪だぞ。種族や身分が違うんだ。彼女は人里で人に愛されて育ってきた。俺は嫌われ者のただの天邪鬼である、名前はまだない。

人と天邪鬼の違いを一言で表すならば、好き嫌いの感情の仕組みがまったくもって逆だ。
人が好きであろうものを俺は嫌い、俺が好きなものを人は嫌うだろう。
俺は彼女の不幸を望んでいるが、彼女は幸せになりたいと神様に願っていた。
普通に生きて、普通に家庭を持って、普通に普通のつまらん幸せを享受するということだ。人間だから当たり前だ。
よって、自分たちの考えは完全にズレている。
俺が彼女と一緒にいたら、彼女は確実に傷付いて不幸になっていくだろう。

今の醜い彼女が元気になって、楽しそうにニコニコしていたとして、今度は俺が彼女を嫌いになってしまうかもしれない。
それでも彼女にとっての幸せを願うのが恋愛だとして。
恋愛ってそんな自己犠牲とか、すり合わせのことでいいのか?めんどくせえな、人間。

俺は考える。

ふと、図書館の本棚に目を移すと。
泣いた赤鬼という絵本があった。

自分たちで起こした事件を
自分たちで解決してちやほやされる。
人間界でもそこそこ有名なマッチポンプだ。

俺はこの話が好きだ。主人公が鬼ってところが好きだし、赤鬼は友達を裏切り、人間を騙す。
青鬼は友達のために悪いことをたくさんやって、人知れず暮らすことになる。この報われない話にカタルシスを感じる。

これだ、俺は青鬼になって嫌われればいい。
そうすれば俺の悪行によって、相対的に彼女が好かれるようになり幸せ。
俺はみんなに嫌われて幸せになれる。

悪いことを始めよう。
元から俺はそういう妖怪だった、あの嘘っぱちな書物にもあった通りだ。
ちなみに実際の俺はそんなに悪いことはしていなかった。悪いことは好きだが、そんなにしない。
だって、人間も毎日のように周りに親切にして、善い行いをしているわけじゃないだろう?
ていうか、人間は本当に善行が好きなのか?
引くわ!

その日から俺は一日百悪をスローガンに生きることになった。
できるだけ人の目に留まるように。悪いことをする存在、青鬼ならぬ天邪鬼がここにいるぞ!ってわかるように。悪さをしては知名度を上げ、
たまに彼女にそれを止めさせるのだ。

なお以下はこの夏傑作と思った悪さの一部である。

●就活中の真面目そうなやつを狙って、履歴書に落書き。
●近所のスーパーから盗んできたカルピスの原液を、小学校の貯水槽に混ぜる。
●飲食店で使われているトマトソースの中身を全てタバスコに変える。
●女子大生が住む家と、向かいのおっさんの家に干された洗濯物をチェンジしてみる。
●怖そうな教師の授業中に、携帯の通知音を鳴らして教室をざわつかせる。
●無差別にリップクリームとスティックのりを入れ替える。
●行く先々で見かけた電話番号を駅の公衆トイレに書きなぐる。
●クリーニング店から出てきた人に泥をかける。
●どんでん返しで有名なベストセラー小説の最後のページを破る。
●夜景の綺麗なデートスポットで防犯ブザーを鳴らす。
●夏休み前日に職員室に忍び込み、これから配るはずだった宿題のプリントにトマトソースを塗りたくる。

さて、次はどうしたものか。
俺はたくさんの倒れた自転車を眺めながら、次の策を練った。
彼女の通学途中にある自転車置き場をドミノ倒しにしてみたのだが、やり過ぎた感が否めなかった。決して罪悪感があるわけではなく、俺は彼女に良いことをさせなきゃいけないからだ。こんなに倒してしまったら、小学生の力で立て直すにも直せないじゃないか。助けやすい状況を作るのも難しいな。

唖然とするサラリーマンや、続々と集まる群衆を眺めてニヤニヤしたあと、俺は次の目的地に向かった。
これから彼女の母親が通う「ぱちんこ」や「ほすとくらぶ」という施設をめちゃくちゃに荒らす予定だ。

そんなこんなで大掛かりなことをたくさんやった俺は、文字通り悪目立ちするようになった。
この町には天邪鬼が住んでいる、天邪鬼といえば昔から悪さをする妖怪だ。あの寺の辺りに出没するらしいという風に、噂は広まっていった。


「うちの息子を見かけてませんか!?」

ある豪雨の日、町の小学生が行方不明になった。いなくなったのは彼女を虐めていた例の男子三人組。
もちろんこれも俺の仕業。

たまたま寺に雨宿りしにきた三人を、境内の奥に突き飛ばして閉じ込めてやった。
寺は人がほとんど寄らない雑木林の奥にある。
ここが小学生の秘密基地になっていたことを何人の大人が知っているだろう。

俺はこの日のために準備を進めていた。
小学生を寺に監禁するため、わざわざ壁の補強までしておいた。万が一でも内側から破壊なんてされないように。
男子の一人が持っていたキッズ携帯も取り上げておく。抜かりはない。こんなものを持っているなんて、小学生のくせに生意気だ。

そして俺は扉の前につっかえになるよう岩を置く。岩といってもそう大きいものではない。外側からだったら小学生の力でも動かせるだろう。
これを彼女に見つけてもらい、助けさせるというわけだ。
しかし、彼女はどうすれば来るだろうか。雨のおかげで小学生を誘い出すのには成功したが、肝心の彼女を呼ぶ手段がない。

とりあえず手元に盗んだ携帯があるので、彼女の家に電話をかけてみることにする。俺の姿は人間に見えないし、もちろん声も届かないため無言電話にはなる。通話越しに彼らの声が聞こえたら、彼女は助けに来るだろうか。
行方不明の男子がどこかで助けを求めている。
彼らが秘密基地にしているあの寺が怪しいんじゃないか、ということになるだろうか?

「もしもし……」

彼女の声だ。

「…………………」

「……………?」

こちらは当然の無言電話。
しかも、いつの間にか男子三人は静かになってしまった。昼過ぎに閉じ込めたから、既に監禁して四時間が経過している。暴れて叫び疲れたんだろう。これでは彼女も来るわけがない、ただの怖い無言電話になってしまう。

雨が強くなってきている。少し考えて、俺はわざと寺の前で物音を立ててみた。同時に携帯をそちらに向ける。

「誰かいるんですか!?」

彼らも扉をバンバン叩きながら訴えた。

「助けてください、ここに閉じ込められてて!」

「彼は喘息なんです!」

これで通話越しに誰かの助けが伝わっただろう。ところで、ぜんそくってなんだ。全速で逃げ出したいってことか?

そうして十分ほど経った頃、聞こえてきたのは彼女の声、ではなく遠くの町からの機械音だった。

「こちらは町の防災です、大雨洪水警報が出ています、河川や水の集まる場所には行かないようにしましょう」

思ったより雨が強くなってきていた。作戦は失敗かもしれない。
この寺は標高の高いところにあるが、彼女がここへ来るには絶対にひとつ川を跨がなければいけないのだ。
川を渡るための木の橋も古くなっていたことを思い出した。とても頑丈そうには見えなかった。
失敗か。彼女がここに来なかったとしたら、閉じ込めた男子三人はどうしよう。
当分あのままにしておくのもいい気味だが。

そんなことを考えていたら、後ろに彼女が到着していた。傘を二つも持って。

彼女は来てしまった。
いま現在、洪水警報が出ている川を渡ってきたってことだ。しかも、わざわざ余分に傘を持ってきている。察しが良すぎる。
予定とは違うが、どうにかなるかもしれない。

いや、そんな簡単に上手くはいかなかった。
彼女を呼ぶのには成功したものの、やってきた彼女は何もしなかったからだ。
境内をウロウロして何かを探したあと、おもむろに扉の前に立っては、つっかえになっている岩を見つめるだけ。いまは境内に座り込んで何かを考えている。何をしてるんだ。

男子たちが閉じ込められていること、気付いてないのか?
それとも、扉が開かないのか?閉じ込めたばかりのとき、男子が扉を蹴ったりしていたのを思い出す。壊れてしまったのかもしれない。いざとなったら俺が代わりに開けるべきか?

違う、俺は理解した。
彼女は岩を見ただけで、触ろうともしなかった。彼らを助けることを躊躇していたのだ。
当然といえば当然、自分を虐めてた相手を助けるなんて、普通の人間にはできることじゃない。

そうなってくると俺自身にも戸惑いがあった。
見たい、彼女が助けるのを放棄して悪者に変わるところを。自分好みの存在になっていくところを見てみたい。
しかし、それでは当初の目的とズレてしまう。雨も強くなってきていて、迷う時間は限られていた。増水している川も大丈夫だろうか?

俺は焚きつけるようにまた物音をたててみた。正直、こうなってしまったら、作戦の成功なんかどうでもいい。どうにでもなれ。
当本人の彼女がいい人になりたくないなら、話は変わってきてしまう。

「誰かいるんですか!いるなら助けてください!」

「やだ」

彼女は即答、俺は思わず吹き出してしまった。

「私をいじめた罰だよ」

「その声はまさか」

彼らもそこにいるのが虐めていた少女だと気づき、言葉に詰まってしまった。

「助けてもいいけどな、どうしよっかな」

「ごめん、今までのことは謝る、助けてくれ!」

「私が謝っても聞き入れなかったじゃない」

「本当に悪かったから!」

しばらく彼女の意地悪は続いた。最高にいい性分してるぜ。

「中に喘息のやつがいるんだ!」

「喘息?」

流れを変えたのは喘息という発言。彼女も一瞬だけ心が揺れたように見える。なんだ?会話の流れ的に、病気か何かか?

「ほらここ空気が悪いから」

「うーん、助けてもいいけど」

「頼むお願いだ」

「この雨で警報が出てるの。ここを出ても家に帰るのはやめたほうがいい、と思う」

そりゃそうだ。喘息はともかく、扉を開けても家に帰ることができない。その時点で俺の目論見は破綻していた。

「分かった、外の空気を吸えるだけでも大丈夫だ」

当初の予定とは大幅に違う結果になった。

俺は色々と勘違いしていたのかもしれない。人間は俺と同じくらい嘘つきだった。
それでいて、みんなが醜く弱い、そうじゃないと人間同士で争うことの説明がつかない。
だから彼女も土壇場で人助けを躊躇した。
今思い返してみると、彼女は元からそうだった。通学路でたくさん自転車が倒れていたときも、一切見向きしなかったじゃないか。

彼女はそんなにいい子じゃない。だけど彼女は人間の子で、人間らしく振る舞わなければいけない。もし彼らを助けなければ人並みに後悔しただろうし、
助けなかったことが周りにバレたら、彼女は人でなしの烙印を押され、もっと孤立しただろう。そんな風に絶望する彼女も俺は見てみたかったが。
そういう善悪でくくれない人間だっているんだ。人間も捨てたもんじゃないな。

今回は、彼女の幸せを願うことにしよう。

「おーい、大丈夫か。こっちは氾濫してるから来るんじゃねえぞ!」

やがて町の大人が駆けつけると、事態は収束していった。

人間界には「雨降って地固まる」ということわざがある。
彼女は行方知れずの小学生を探し当てたが、自身も危険にさらすことになった。
あれからすぐに母親に連絡がいったのだが、
意外にも母親は、助かった娘を見てすぐ抱きしめて見せたのだ。
この夏、彼女の母親は通っていた施設が軒並み潰れてしまったことで、疫病神的な扱いを受けていたらしい。
その上に自分の娘まで失うかもしれなかったのだ、大体は俺のせいだけど。とにかく前より親子関係は良くなったらしい。

「うちの子を見つけてくださって、本当にありがとうございます」

「いや、実はあの雨で捜索なんて全然進んでなかったんですよ」

「でもこうして皆無事に助かったので」

「川の近くでこれが鳴ってたおかげなんです」

取り出されたのは、彼女の名前が書かれた防犯ブザー。

「向こう岸に防犯ブザーを投げるなんて賢い子だね」

「私の子ですから!」

母親が得意げになる。
よくいうぜ。これも俺の仕業だ。
学校帰りでもない彼女はそんなもの持っていなかった。俺が持っていたのも偶然だが。やはり俺は手助けすることにした。思い返すと、自分のしたいことも全く一貫してなくて笑えてくる。
策を練って舞台を用意したのは俺なのに、結果は想定していたものと違った。俺のやったことは、彼女の決断の後押しに過ぎない。

ちなみに喘息ってのは気管の病気の一種らしい。ストレスも関係してるとかなんとか。あんな場所で暴れて叫び続けりゃそうなるだろうな。あの後、消防団の人が薬を持ってきてくれて助かったものの。小学生じゃ死に至ることもあるらしく、本当に危なかったとのことだ。
そういう事実も相まって、町全体の俺に対するヘイトは加速した。悪い妖怪の噂は彼女の耳にも入ったことだろう。
なんでも川が軽く氾濫したことすら俺のせいにされているらしい。ぜんぶ「妖怪の仕業」かよ!

小学生の監禁事件、そんなことが起きたものだから、辺鄙な寺に来る人間はいなくなった。
八月の終わりには、寺の取り壊しが決定した。
当たり前だ、何を祀ってるのかも分からん建物に、最低最悪な鬼が住み着いているんだからな。

俺がすこし人を理解したと思えば、今度は人の方が俺を嫌っているわけで、上手くいかないことばかりだ。元より嫌われるのは本望だし、本望だから別にいいんだ、いいんだけどさ。

今は虚無だ、好きも嫌いもない虚無。

彼女は町の人にちやほやされて嬉しそうだった。イジメを受けることもなくなって、笑顔でいることが増えた。
それで、やっぱり俺は面白くなかったんだ。
俺は彼女の惨めなところが好きだった。死んだ目が好きだった。こういうのも失恋と呼ぶのだろうか。

ショベルカーで取り壊されていく寺をしばらく眺めていた。あー、陰気臭くてボロボロでお気に入りだったのになあ。失恋した上に家まで無くなっちまうとは。

いや、家なんて本当はどうでもいい。次の代わりを探すだけだ。俺は傷心の理由を勝手にすり替えていた。心の奥では醜い彼女が大切だったことを痛いほど感じている。
初めはどんな酷い目に合わせるかなんて考えてたくせに。
らしくない恋愛をしてしまって、心のモヤモヤが消えない。恋愛は人を変えるって、天邪鬼でもそうなのか?

俺もそろそろこの町を去ることにしよう。笑顔の彼女なんか見ても俺は楽しくなかったし、次は俺が虐める側になってしまうかもしれない。失恋なんて家ごと、いや町ごと消し去ってしまえばいい。

天邪鬼的に発想の転換をするならば、家がないってことは、家と外の区別がなくなってしまったってことだ。つまり俺は外出していながら、常に家にいるってことなのかも。この世界そのものが家になったのかもしれないな。俺は自由だ!
こうしてひと夏の恋が終わった。

めでたしめでたし。


嘘だ。


ひと夏の恋はもう少しだけ続く。

「天邪鬼さん」

驚いた。
俺が向こうから名前を呼ばれるなんて滅多にないことだ。お寺の跡地、そこに来ていたのは彼女だった。ここは解体作業で立ち入り禁止になっていて、何故こんなところにいる?

ていうか見えてるのか?俺が。

俺はこれみよがしに彼女の眼前で手を振る。
彼女はまったくの無反応。見えてはないらしい

「天邪鬼さん、いますか!」

そんな大声を出さなくても聞こえてはいるさ。
天邪鬼の噂が彼女の耳にも入ったんだな。そしてそれはきっと悪評だろう。

「天邪鬼さんのことみんな知ってるよ。思うことと逆のことをやったり、嘘つきな妖怪だって」

その通り、俺は悪いやつなんだ。
それなのに何のために現れた?
醜い化け物の天邪鬼様だぞ?

「天邪鬼さんは悪い妖怪なんだよね」

ああ、みんなの言う通りの悪い妖怪だ。
弱そうなお前を食べてしまうかもしれないぜ。

「夏休みの宿題がぜんぜん出なかったのも天邪鬼さんの仕業でしょ。あとは、蛇口から出る水が甘いってみんな騒いでたよ!」

教師の仕事を増やして、子どもたちは大喜び。こっちとしては複雑な気持ちになった。
悪者の俺が、悪者らしく彼女のためを考えるならその辺りが妥協点だった。

「私が虐められてるのも見てたのかな」

見てた。泥と傷だらけでボロボロで綺麗だって思って。放っておけなくなった。

「大雨のときも何かしてたよね。それで天邪鬼さんは家をなくしちゃって」

ああ、下手なことをしたよ。
天邪鬼の俺が彼女の幸せを願ってしまった。
だけど俺なんかがいたって人間には不利益だろ。ああするしかなかったし、これでよかったんだ。

「わたし。天邪鬼さんのこと聞いて、ずっと助けられてたのかもって思ったよ」

それもそうだが、断じて助けたかったわけじゃない。たまたまだ。助けたといえば助けたが、俺の本意じゃない。俺は人の不幸が好きだ。

薄々、考えていたことではあった。
彼女はずっと俺を探していたのかもしれない。
最初に出会ったとき、俺が気まぐれでいじめっ子を追い払った時から。
度々寺に現れたのも、もう一度俺に会うためだ。
まさか相手が姿の見えない妖怪だとは思わないし。自分を救ってくれる存在がいると思って、神様の類か何かだと思っていたんだろう。

天邪鬼についていつ知ったかは分からない。
なんなら豪雨の日に家を出てきたのも、いじめっ子を助けたかった訳じゃなくて、無言電話の相手が俺と確信したから、俺に会いに来ていたってことか?そうなると、二つ分持ち込まれた傘の意味も辻褄が合った。

俺は嫌な予感がしていた。俺は悪い妖怪だから。
本当の俺は堕ちていく彼女を見ていたかった。

だから。まさか、まさかとは思うが、
俺なんかに感謝しようとしているならやめてくれ。俺はそんな奴じゃない。

そうだとしたら、本当にやめてくれ。

お礼なんて聞きたくなかった。
俺は天邪鬼で、天邪鬼としての存在意義がある。
人に感謝なんてされたくない。
あえて人間的に表現するのならば、俺が感謝されるってことは「お前なんか要らない。消えろ」って言われるのと同義なんだ。虫唾が走る。

だから、感謝なんてしないでくれ。

「天邪鬼さん」

やめろ。

「天邪鬼さんはそーゆう妖怪だもんね」

やめてくれ。

「天邪鬼さんなんか……大っ嫌いだよばぁーか!」

そう言い捨てて彼女は寺の階段をかけ降りていく。

はははっ。

「俺も嫌いだばーか!」

俺が階段下に向かって叫ぶと、それを聞いた彼女は笑った気がした。
まさか聞こえてるわけもないのに。

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