見出し画像

よい公教育のためには、教師という職へのリスペクトが第一。

2022年4月、教員不足や学校の労働環境の話題がメディアでよく取り上げられたと感じています。
それでもまだ教育以外のニュース全体と比べると、そもそも教育が話題になりにくいため、全体としてはまだまだ教育の話そのものが少なく、本件もご存じない方もまだまだ多いと思いますが。
※ニュース内容に偏りがあるものもあると感じているため、あえてニュースリンクははりません。お手数ですが「教員不足」などで検索していただければと思います。

一方、報道されて認知は広まっても、そこから文科省なんとかしろ、教育委員会なんとかしろ、だけではほとんど先に進まないと思います。
公教育に仕事等で関わる人だけではなく、社会全体の中で「自分もなんかできることないかな」と思う人が一人でも増え、そのような人たちの総体が作る、公教育を取り巻く社会の空気自体が変わっていかない限り、教員不足問題は解決が困難だと思います。
そして、育まなければいけないと私が考える、社会的な空気の第一は、教師へのリスペクト、です。

そんな私の想いを代弁してくれるかのようなnoteを見つけました。

観察し、仮説を立て、接し方を工夫すること

心に留まった部分を引用して紹介します。

教師としての優秀さと、学歴(正確には学校歴か)は本当に無関係だと思う。大学の偏差値は関係ない。子どもをよく観察し、仮説を立て、どう接するかを工夫する人かどうかで決まる。教師の知識の量もなんなら関係がない。
ちょうどこのころ、学級崩壊も同時に問題になり出した。多くは教師の指導力不足で片付けられていた。しかし、背景には、親の教師への侮蔑があったように私は感じていた。親が子どもの前で平気で「お前の担任は偏差値が低い」と言う状況で、子どもが教師に敬意を持てるはずがない。
学びには、敬意が重要。90年代後半の親はどうしたわけか、教師への敬意を欠き、むしろ傲慢にも見下す人が多かった。この時代に教師の社会的地位は低下し、マスコミも便乗して叩くようになり、行政から教師への口出しも増えていき、教師が肩身の狭い思いをする環境が強まっていった。
しかし私は、教師への敬意を取り戻すべきだと思う。もっといえば、人間への敬意を取り戻すべきだと思う。どんな人も、自分より優れた何かがある。そこから学ばせていただくという姿勢が重要。敬意は観察眼を磨き、気づきを増やし、深い理解を呼び覚ます触媒。

※コンテクストも含めて、全文ご覧いただくことをお勧めします。

自分に敬意を払え!と主張(?)するような方はごめんです(笑)
ただ、だからといって、敬意が払われず、ときには見下されるような発言を受けてしまうことのある職につきたいと思う人が増えるとも思えません。

学校という空間は、多くの子どもたちに相互関係的な作用が働くことで、子どもたちが日々成長していく空間です。
成長の過程では、トラブルももちろんあるでしょう。

そのような時々に起きていることに日々対処してくださっていることを想うだけで、文字通り「有難い」と私は思います。

あえて加えて申すなら、5教科的な学力形成ばかり過剰に見つめるばかりで、子どもたちの日々の命を長時間預かり、守ってくださっている「学校」という存在に、あまりにも社会はケアレスではないでしょうか。

2022年5月5日。こどもの日。
2年前は全国の学校が3月から一斉に休校しており、日本中の人が「学校」という存在の大きさを感じた時期だったと思います。

そんな「学校」で職務を果たしてくださっている教師の皆さんへのレスペクトの念が社会全体で濃くなれば、教員不足などの課題解決と公教育を良くすることにつながっていくと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?