死んではいけない理由、生き続けなければならない理由。

noteに仏教の記事を書き始めて3回目。

仏教の話を言葉にして伝えるってすごく難しい。

でも、もし心優しい読者の方がいらっしゃったならお付き合いください☆

私が自殺を考えていたとき(希死念慮というのかしら?)、毎日死にたい死にたいと思っていて、早い話がうつ病だったのだけど

自殺をとどめるためのどんな美談も私には効果がなかった。

生きるのは素晴らしい、とかね。

経験上うつ病のときは、早く精神科に行って薬をもらった方がいい笑

でも、うつ病が治って冷静になってもう一度「生きる意味」を考えたとき

やっぱり、自分の中で、自分が生きている根拠が知りたいと思った。

友だちの中には、練炭自殺した子がいるのだけど

なんか自分はとめてあげることはできなかったのかなーって。

でも、自分にはなんて声をかければいいか分からなかった。

だって今が苦しくてつらいのに「がんばって生きて!」という言葉はかけられないもの。

その子がそれまで一生懸命がんばってきたことは私がよく知っていたから。

がんばってきた子に、もっとがんばれというのは酷すぎる。

つらいときはゆっくり休んでいいんだよ、とは言ってあげられても

死んでいいんだよ

とは言ってあげられない。

正直死んでほしくなかったし、でもそのときに自分の心の中で「死んではいけない理由」をもってないことにも気づいた。

死んではいけない理由が分からなかったの。

そしてそれは裏を返すと、生き続ける理由。

なんで生き続けなければいけないの?

つらいなら死んでもいいでしょ?

そんなセリフが頭の中でぐるぐるまわっていたときに出合ったのが仏教だった。

だから仏教は私にとっての救い。

『華厳経』というお経には

「人身受け難し 今已に受く」

「この身今生に向かって度せずんばさらにいずれの生に向かってかこの身を度せん」

というお言葉があります。

「生まれ難い人間に生まれることができて良かった」

「人間として生きている間に達成しなければならない目的がある」

というお釈迦様の喜び、現代に生きる私たちへの温かいメッセージ。

人間に生まれることはどれだけ難しいのか、人間だけの生きる目的は何なのか、次回に続きます。