見出し画像

「夢」とは「欲」のこと

3年くらい前から妻とよく散歩に出かけるようになった。今では家からのルートが20通り程にもなった。玄関に立って右に行くか左に行くか、右に行ったとして今日の天候や気分を考えてどの目的地を目指すルートが心地良いか、数メートル歩き出して決まる。何度歩いた道だとしても、散歩には不思議とマンネリはない。

ある日「今日職場から歩いて帰ってきた」「えっ!マジで?」妻が職場の田町から横浜まで歩いて帰ってきたという。アクティブなイメージなどまるで無い彼女の、一体どんな心境の変化なのだろうと伺い知ろうとしたのだが、こんな店あんな店があった、やら、多摩川越えたら「ほっ」とした、やら、歩きの楽しさしか語らない。「今度二子玉まで歩かない?」という一言に、出不精の私だが「よし、じゃぁ今度の休みね!」と答えてしまった。それ以来二人で散歩が楽しみになった。

妻は数年前から頭痛持ちになった。機嫌よく鼻歌なんか歌ってると思ってたら数秒後には顔をしかめていたりする。TPOをわきまえないまことに厄介な持病だ。暑い季節は散歩には行かない。歩いて血流が良くなるとたちまち頭痛も活気づくからだ。涼しい季節でも油断はならない、ある程度行くと急に歩が進まなくなり、振り返ると顔をしかめていたりするのでまことに不憫である。

歩いていると陽光の色合いや、民家から漂う匂いやらで、懐かしい気持ちに襲われることが多々ある。自分年表のいつの時代が蘇るかは予測不能だ。幼少の頃の記憶が沸き上がると、その瞬間つい最近の記憶がカットインしてきたりして、なかなかに脳内は忙しい。時には妻と同時に二人共通の思い出が沸き起こって「あ~はいはい」と笑いあう事もある。しかし育児や仕事でうまくいかないイライラでお互い背を向けていた悲しい時代も思い出したりして黙って歩く時もある。そんな時は蒸し返すまでに至らないように吹き来る風が優しく気をそらせてくれる。

二つ年上の妻とは私が二十歳の頃に出会ってもう30年以上になる。二十歳の頃の私はミュージシャンになる夢を抱え、転がる石のように世間から逸脱していった。周りにいるバンドが一夜にして全国区になっていく様を見ては、我が事のように陶酔した。親の忠言には耳も貸さず、付き合い始めた会社員の妻の常識にも生返事で答えていた。身勝手にも何度か別れを提案したが、気付けばまた二人でとぼとぼと暗闇を歩き始めた。二人所帯を持ち、一人息子を得た。だけど甘い考えの私はしゃかりきに生きる事に身を投ずる事もできず、夢をぶら下げてあいまいに生き続けた。結局は音楽で食う事など叶わず、なんとか息子は就職するに至ったけれど、そこまでに至るすれ違いや苦労は妻によって語られるべきであり、私には語る権利は微塵も無い。

夢とは欲のことである、と40代から思い始めた。

いつか渋谷公会堂でライブやりたい、次は武道館で、アリーナで・・・そんな夢を一応叶えてきたのだが、それは自力ではなく全て他力によるバーターで叶えてきた夢であった。自分で発した物が誰かを喜ばすという充実感が欠けており、大きなツアーなどが千秋楽を迎えると決まって大きな虚無感が襲ってきた。そこでふと、自分が声高に語ってきた夢は、欲でしかなかったんだと気付いた。

夢を持て!とは素晴らしい響きであり、誰もが陶酔する魔法の言葉だ。しかし私はその魔法が早く解ければ解けるほどいいと思っている。立派な家に住んでいい車に乗り、いい給料をもらいいい暮らし・・・それは夢ではなく欲だ。ミュージシャンになり全国ツアーを周り、いいギャラ貰ってスタジオを建てる・・・私の描いた夢も単なる私欲であった。誰かを喜ばせない限り、立派な夢も、単なる欲なのだ。

逆に「私は何も夢がなく、味気ない人生だ」と嘆く人がいるが、私はそれでもいいと思う。そういう人は欲がないだけだ。誰かを喜ばせて、自分も嬉しくなった時に初めて、自分にも夢があったのだと気付くだろう。

40代から私は誰が聞いてくれるとも分からない歌を、せっせと書くようになった。いつ呼ばれるかわからない音楽の仕事を待つよりは、自分の愚かさを歌い、せっせと飲食店で働いているほうが身の丈にあっていて少し心地良くも感じた。

妻の頭痛はずいぶん以前からあったのかもしれない。それに最近自分が気付くようになっただけかもしれないと思うようになった。「あいたたた」と妻が呻く度に私の胸が締め付けられる。散歩中に発症すると喫茶店に入ったり、とにかくノロノロ歩いたりして目的地へと向かう。行きつけなきゃそれはそれであっさり電車やバスで帰ってくる。

しかしつい先日、妻の調子がめちゃめちゃ良かった様で、散歩なのに振り切られそうになり、必死に付いていった。調子のいい自分が嬉しいみたいで嬉々として歩を進める彼女の後姿を見ていたら私の目に涙があふれてきた。その瞬間アスファルトの盛り上がってる所に妻がつまづいてトップダッシュしたので大声で笑って涙を出し切った・・・

これから50代の人生、相変わらず夢を描くが、何事も夢だと語ることはやめた。まず私の欲だと宣言して妻に喜んでもらえたら、夢だったんだと後付けで言おう。

一句

夕焼けに 柿の実ふたつ 妻の頬


この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?