身内に売っても広がらない。
僕はプライペートでZINE(『CoiCoi』というカープ女子をテーマにした自費出版雑誌)を2冊作った。クオリティの高い雑誌にすることはもちろんだけれど、それ以上に、流通させること、そして、いかに知らない人に買ってもらうかに意識を置いた。
だから、文学フリマやデザインフェスタ、コミケなどのイベントにもたくさん出展したし、本屋への営業もかなりした。おかげで、全国にあるインディペンデント系の本屋についてはほとんど網羅したし、この県は本屋が多いけど、この県は全然いい感じの本屋ねーなとかがわかってきた。
2冊目のZINEに関しては、目測を誤り、1000部近く刷ってしまったために(アホ)、いまだに600冊近くが箪笥の肥やしになっているんだけど、僕は、身内(友達、ちょっとした知人)には無理にお願いして買ってもらうことはしない。それは別にお高く止まってるわけではく、僕のことを知ってくれている人に対して、僕がお願いして買ってもらった時点で、相手に「同情心」が少なからず湧いてしまう。この「同情心」というのがたちが悪いのだ。「面白いね」とか「すごいね」とか言ってくれても、心のどこか、数パーセントでも「仕方ねえな〜」「買ってやるよ」というお情けが交る。その感情を湧かせてしまった時点で、その商品というのは、そこから先への広がりを見せることはない。断言できる。
むしろ、僕のことをまったく知らなくても、本屋でCoiCoiが置いてあるのを見かけて850円もの大金を払ってくれる人がたくさんいるわけで、さらには、イベントに出展した時なんかは、「Vol.1を買ってVol.2待ってました!」とか「今回は水野しずさん出てるですね」とか。本屋の店員さんが「2冊目はかなりレベルアップしましたね」とかとか。純粋にCoiCoiの感想をくれるのだ。これは、僕のファンではなく、CoiCoiのファンになってくれたということ。商品のファンになってくれるというのはとても強くて、僕がとくにお願いしたわけでもないのに、勝手にSNSにアップしてくれたり、友達にプレゼントしてくれたりと、広がる強さが半端ない。
だって、そうですよね。美味しいお店や、面白い映画って、それが確かに素晴らしいものなんだと自分自身を納得させたいし、その裏付けとして、誰かに勧めたくなるから。
なんか、身近なクリエイターさんがプロダクトを作っていて、それをSNSにアップして「全然売れないから、同情するつもりで買ってください」って投げかけていて、それは違うよなーと。シャレ半分で言っているんだろうけどね。友達100人いれば、100人は買ってくれるかもしれないけれど、そこから10000とか100000とか大化けすることはないんだよね。友達に売っているうちは。
新たなコンテンツの制作のために大切に使わせていただきます。何に使ったかは、noteにてご報告させて頂きます。