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「みんな違っていい、みんな正しい」は本当か?【これからの時代を牽引する最強の共存力】
「みんな違って、みんないい」
あなたもこれまでの人生の中で、少なくとも一度はこのような言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
特に近年、日本でも急速にグローバル化が進行すると同時に「共存する」という言葉もよく耳にするようになりました。
このような言葉の背景には、
「この世の中に絶対的な正解などはない」
「自らの価値観を相手に押し付けることはいけない」
「みんながお互いに意見を尊重しあって、共存していくべきだ」
といったような意味合いが込められていることが多いように感じます。
しかし、この言葉。
なんだか違和感を覚えることはありませんか?
まるで私たちはお互いに分かり合えない、また分かりあおうとしない理由を、文化の違い、価値観の違いだと一括りにしてしまっている。
なんでも「価値観の違いだ」と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、一歩間違えるとこれは相当危ないことではないでしょうか?
完全に周りの意見を受け入れることをやめ、個性というものを履き違え、おかしな方向に向かっていってしまう人々。
そのような人々が、今後日本において急激に増えていくのではないかと懸念しています。
近年、Youtuberの登場とともに、
「好きなことで生きていく」
という考え方が流行しましたよね。
これも少し考えてみると、結構危ない考え方じゃないですか?
この言葉を少し間違って解釈してしまうと、あたかも
「自分は自分の好きなように、やりたいことだけやって生きていけばいいんだ」
と捉えることもできます。
もしこのような考え方が幼い子ども達に入ってしまったのならば、かなり心配なことになりそうです。
話を戻します。
「みんな違って、みんな良い」
この言葉も同様に、その解釈次第では、
「自らの個性を履き違えて人生を歩んでしまう」
そのような事態になりかねません。
私の好きな編集者の一人である、NewsPicksの佐々木紀彦さんも、これからの時代を牽引するリーダーに必要なこととして、まず自分を知ること、そして天命を知る(生まれながらの才能、個性)を知ることが大切だとおっしゃっていました。
そして、私が今回の記事で一番伝えたいのは自らの個性を知る大切さではなく、
「みんな違って、みんな正しいんだ」
といって自らの正義を貫き続けることを諦めてはいけない、ということです。
ここで一旦内容に入る前に、一度簡単に自己紹介をさせてください。
teppei (テッペイ)
石川県金沢市出身。
現在は東京都内の大学に通う21歳。
小学生の頃から日本の教育システムに疑問を感じ、中学校に進学後、高校受験を前に単身留学を決意。中高時代をアメリカハワイ州のプライベートスクールで過ごし、卒業後、帰国。
その後、日本における大学受験のシステムにも違和感を感じ、教育、学問、人、人生の価値について考えはじめ、哲学という学問に出会う。
そして、人生に思い悩んでいた時に、ある一人の牧師先生と出会う。その出会いが自らの人生を一変させ、"考えることの重要性"を実感する。
現在は学生コミュニティの運営などを通して、多くの学生に"考えることの大切さ"を周知するための活動を行なっている。
また、今回の記事と合わせて是非以下の記事もお読みいただけると嬉しいです。
それでは、今回の内容に入っていきます。
そもそも自分の価値観を相手に押し付けてはいけないのか
よく、
「個人の価値観を相手に押し付けてはいけない」
といったフレーズを、特に日本ではよく聞くことも多いのではないでしょうか。
私も、ひと昔前は自分が良いと思った情報はすぐに周囲に言ってまわり、よくこのようなフレーズで切り捨てられたものです。
その頃から確かに、価値観の押し付けは良くないな、と徐々に実感させられるようになりました。
しかし、あなたにも相手に自信を持って勧めたくなるような考え方や人生哲学の一つや二つ、ありませんか?
私にもあったんです。
この考え方や価値観を多くの人が持てば、絶対に幸せな人が増えると確信できるようなモノが。
それからというもの、価値観の押し付けにはならないように、でも、
「相手に自らの持つ価値観を伝染させられるようにはどうすれば良いんだ」
と考えるようになったわけです。
日常の様々な場面で行われている議論だって、結局は自分の価値観、意見に対して、相手を説得させるためのものです。
口論はただの口喧嘩。議論は相手を自分の意見へと説得すること。
おそらく、
「みんな違って、みんな良い」
というセリフはよく口喧嘩の末に用いられることが多いのではないでしょうか。
一つ、私たちが決して勘違いしてはいけないこと。
それは、
「みんな違って、みんな良い」という言葉は「議論しても意味がない」ということではないこと。
あなたも、お互いがよりよく生きるための議論は、今後も続けていくべきだとは思いませんか?
たとえグローバル化が進展することによって様々な人種、文化、価値観を持った人々が共存する世界になったとしても。
私はむしろ、
様々な価値観を持った人々が共存する世界でこそ、「何が正しいのか」をより一層追求していく必要がある
と考えています。
真の共存がなされる世界への糸口
では、
「みんな違って、みんな正しい」
という言葉は間違いなのか。
決してそんなことはありません。
ただ、人々には、
「違っても良い部分」と「そうでない部分」
があるということを私は主張したいのです。
「違っても良い部分」というのは、その人の外見や性格、得意なことや不得意なことにみられる多様性です。
一方で、「違ってはいけない部分」とは、私たちは同じ人間である、ということです。
すなわち、どういうことか。一つ例を挙げて説明してみます。
たとえば、世界的にも
「人を殺してはいけない」
というルールは不思議とどこの国においても共通認識として持たれていますよね。
では、なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。
それは、法律で禁止されているから?
いや、法律も全て人によって作られたものです。
では、このような感覚は世界中で、人として生まれた時から全員が共通して持ち合わせている感覚だと言えます。
私の恩師である牧師先生はよくこの共通認識を「常識」と呼んでます。
誰かを傷つけてはいけない、強盗をしてはいけない、笑顔は良いこと、ハートマークは愛の象徴、ハグやキスは愛情表現、などなど。
世界中のほとんどの国で共通する認識も、結構あったりしますよね。
「ここにこそ、真の共存を成すための糸口がある」
と私は考えています。
大切にするべき共通の価値観
ここまで、
・人に価値観を押し付けるのではなく説得すること
・他者との間には「違っても良い部分」と「そうでない部分」があるということ
大きく分けて二つの話をしてきました。
これらを踏まえて、私の主張を先に述べるのであれば、
「他者との共存においては、"違っても良い部分"はお互いに多様性として認めた上で、より良い生活を成すために活用し合い、"違ってはいけない部分"はお互いの議論や対話を通じて人間としてあるべき姿を探求し続けるべき」
という感じになります。
多くの人々は、みんな違ってみんな良いんだと聞くと、あたかも
「議論してはいけないんだ」
「自分の価値観を相手に伝えてはいけないんだ」
「異文化の人同士が完全に共存することは無理なんだ」
と解釈してしまいがちです。
そうではなくて、むしろあなたがより良い生き方を知っているのであれば、それは相手にしっかりと伝えてあげるべきです。
それは決して、お金の稼ぎ方、異性にモテる方法などの浅いものではありません。
もっと、私たち人間としてあるべき姿を説くのです。
極端な例かもしれませんが、誰かをセクハラしたり、騙したり、万引きしたり、殺したりする人々を、いくら個性や文化が違うからといって許せないでしょう。
それはなぜか、人間としての倫理に反するからです。
人間は全員、そのような感覚、常識を生まれながらにして持ち合わせています。
たとえこの人生において、どのような人と出会って、どのような問題にぶつかったとしても、意外にも常にそれらの問題の答えというのは自分の内にあったりするんです。
日々、悪事を繰り返して働いているような人は、そのような感覚にとても鈍くなっています。
でも、人間誰しもが持ち合わせている感覚は、確かに存在します。
生まれた瞬間から悪事を働く赤ん坊がいないように、
たとえ悪事を働いている人が多くいたとしても、その人の行ないが間違っているだけであって、その人が根本から間違えているわけではありません。
おそらく、あなたの周りにも自分とは「ウマが合わないな」と感じる人がいるのではないでしょうか。
でも、今後の社会ではそのようなウマの合わないと感じるような人とも共存しなければならない、そのような環境が必ず訪れます。
そんな中で「みんな違って、みんな良い」などと口ではいうけれども、実際には「ウマの合う人」とのみコミュニティを形成している人。
そのような人々が結果として争いを生み出すことになります。
世界を平和にしたいなどと口ではいうけれども、そういう人に限って自ら争いのタネを蒔いていたりする。
これからの時代を牽引する、真の共存力とは、
「ウマの合わない人」とも「人間」という「永遠の共通点」でつながり、ともに成功を為せる
そのようなスキルです。
まずは自分を知り、天命を知り、人間を知る。
それが他者を理解する一番の近道です。
たとえどれほど自分とは合わないと感じる人とでも、共存することを諦めてはいけません。
私の普段投稿している記事においても、よく人間や人生についてを取り上げることが多いので、ぜひそちらもご参照いただけますと幸いです。
長くはなりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コメントや質問、疑問などもお気軽にください^^
毎回一つ一つしっかり読ませていただいています。
それでは、また次回の記事で!
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