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《前編》世界にインパクトを与える事業で勝負するテラモーターズ。EVバイクでの起業からEVインフラ事業参画までの軌跡。

テラモーターズ会長 徳重氏×同社社長 上田氏×TEP顧問 村井氏

《前編》テラモーターズが世界で戦える強みとは

TEP Deep Tech Journalでは、これまでTEPとゆかりのある様々な起業家からお話を伺ってきました。今回は、グローバルで事業を展開し、インドで電動リキシャ(EV三輪)販売シェアトップを誇るテラモーターズ株式会社の、創業者であり現取締役会長の徳重徹氏と代表取締役社長の上田晃裕氏に、同社のエンジェル投資家でもあり、TEP顧問の村井勝氏がお話を伺う特別企画をお届けします。

テラモーターズは次世代モビリティであるEV産業を日本の技術力でリードしていく企業として創業し、EV先進国であるインドを本拠地として成長を遂げてきました。直近では日本でのEV充電インフラ事業が驚異的なスピードでシェアを伸ばし、大きな注目を集めています。 

TEP顧問の村井氏はテラモーターズへの出資者のひとりで、徳重氏がシリコンバレーに渡った時からの支援者でもあります。今年は、以前共著で出版した書籍『世界で勝て!日本人よ「スーパーベンチャー起業」で本物の復活を目指せ』の出版からちょうど10年の節目でもあり、本企画が実現しました。

前半は、テラモーターズ起業からEVインフラ事業、そして起業家としての想い、後半はグローバルで成功するためのマネジメントについてお届けいたします。



世界で勝負するため、ベンチャーの聖地シリコンバレーへ。決死の想いがつないだ出会いと「テラモーターズ」起業への軌跡。

世界で勝つためにシリコンバレーへ。日本のプレゼンスを上げることを自分の使命として。

ーーまずは徳重さんがシリコンバレーにおいて、EVバイクで起業された経緯を教えてください。

テラモーターズ株式会社 取締役会長の徳重徹氏

シリコンバレーにいたときから日本の大企業がどんどん駄目になってきていて、プレゼンスがなくなってきていました。僕はソニーとかホンダが好きだったんですが、製造業、特に当時は電機メーカーがほぼ全て海外企業に追い抜かれていっていたのです。原因は2つあって、1つ目はテクノロジーがアナログからデジタルになったというところ、2つ目は経営者の問題です。

そんな中で僕もビッグビジネスを目指し色々と勉強していたのですが、車がガソリンから電気になったときに、非常に大きな変革があるのではと考えました。日本にとって自動車産業は非常に重要で中心的な産業ですが、その産業すらもしかしたら大変なことになるんじゃないかと。だからこそ、そこに「可能性があるのでは」と目をつけて、始めたというのが経緯です。

目の前で次々と潰れていったEVベンチャー。テラモーターズは最後まで残ったからこそ、EVの波にいち早く乗れた。

ーーEVであれば世界で勝てる勝算や自信があったのでしょうか? 

徳重氏:実は、ここまで世の中がEVにシフトするとは全く思ってなかったというのが正直なところです。本当にここまで大きくなるのか、というくらいEV市場が大きくなっていますよね。

テラモーターズを立ち上げたときは、想いだけの方が強かったという感じがあります。戦略よりもとにかく世界で勝つという想いの方が強かったですね。色々試して挫折しながら、勝つための戦術を身につけてきました。想いが先行して、後から実力というかスキルを身につけたというか……。

ただひとつ言えることは、ここまで会社を潰さずにきた、ということです。EVのベンチャーは当時たくさんありましたが、それらのほとんど全てが潰れてしまいました。でも会社を潰さずにここまで生き残っていたからこそ、最後の最後にEVのマーケットの波が来たときに、ベストなタイミングでその波に乗れたというのはあるかなと思います。それがまさに今のテラモーターズの状況です。

道を切り開いた村井氏だから分かる、日本の他のベンチャーには見られない徳重氏の「ビジョナリー思考

ーー徳重さんのやり方は日本の他のベンチャーでは例を見ない、と村井さんは常々おっしゃられていますが、村井さんが感じている徳重さんが唯一無二である点は何でしょうか?

TEP顧問 村井勝氏

最近の私が知っているベンチャー企業の中で徳重さんだけがやったことというのは、まず市場の選択です。ベンチャーであるにも関わらず日本で始めるのではなく、最初から経済も国全体も成長しているアジア市場にフォーカスしました。マーケットはアジア、したがって、売る製品もそれぞれの国に合うようなものでなければなりません。今にして思えば、当時は、徳重さんが目をつけたEV市場そのものが、まだ日本になかったということなんですよね。

売り込む商品は全部海外で設計から製造まで行い、当然のことながらメンテナンスも海外でやられています。私の知る限りにおいては少なくともここ十数年、日本ではなくて海外でそのような形で事業化に至った企業は、徳重さんのところ以外にはないと思います。このあたりが徳重さん独特のスコープの大きさというか、ビジョナリーな感覚なのではないでしょうか。

徳重氏が勇気づけられ背中を追い続ける先人・村井氏がぶち当たった、海外での最初の壁と挑戦者のスピリット

徳重氏:村井さん、ありがとうございます。僕は村井さんの話で勇気づけられたことをすごくよく覚えています。村井さんが若いときにIBMで挑戦されて、船でサンフランシスコまで行ったときのエピソードです。村井さんがIBM本国へ事業部長で行かれることが事前に現地に伝えられていたにも関わらず、村井さんが現地に入ったときには部下がみんな辞めていたという…。しかもその後、村井さんが逆に、自分の部下になった人間はみんな偉くすると決意されたと。そんな話を聞いて、村井さんはものすごいファイターだなと強く印象に残りました。昔の方々は、起業家ではないかもしれませんが、そういう凄さがあるんですよね。それがかつての日本の強さだと思っています。

村井氏:私にとっては大きなチャレンジでしたから、そのことはよく覚えています。事業部の前任者が香港の支店長に昇進したので、私が本社へ行くことになりました。まず家探しに行った時に私の部下になる人たち全員と時間をかけて、一生懸命インタビューしたんです。皆さんの特徴、良いところ悪いところを全部判断して、実際に着任したときには、どの人をどこにつけるかみたいなものを飛行機の中で決めていたわけです。ところが行ってみたら、誰ひとりとして残っていないんですよね。

IBMという会社は非常に厳しくて、そんなことがあっても私の年間目標をひとつも変えてくれませんでした。それからもうひとつ、人種差別という問題ですね。結局それまでトップになる人はすべてアメリカ人で、アジア系では私が初めてでしたから。そういう東洋人種のトップの下で働いても偉くならないだろうと皆思い、辞めていったんです。

IBM時代の村井氏

しかしながら逆に私の上司は、人種差別でないということを私に説明するためにそれぞれ離れていった理由の口実を考えていました。例えば、彼のお父さんはロサンゼルスで大病にかかり、彼が面倒見なくてはいけなくて地元に帰ったとか…。IBMでは彼ら自身が非常に気にしていたことなのですが、個人の差別ではないということを証明するために、上司が一人ひとりについてストーリーを作っているんですよね、見え見えなんですが。当時はまだそういう状態でした。

徳重氏:海外では、本当に大変なことが起こりまくるんですよ。だからもうメンタルタフネスが全てなんですね、何よりも。だから村井さんのそのスピリットは僕も学ばせてもらっています。この村井さんのスピリットのすごさというのは新聞の記事にもなったことがあって、僕はずっとその新聞の記事を持っていたんですよ。

村井氏:私は別のミッションも持っていました。ディレクターですからアサインされたら、現場の仕事を達成しなきゃいけないというミッションと、もうひとつ、当時は南米のIBMが赤字続きだったので、それを黒字にするという2つの使命を持っていました。これは私だけじゃなくてアメリカのディレクタークラス以上は皆そういう複数の全く違うミッションを持って仕事をします。ですから週の半分は実はオフィスにおらず、南米へ行っていました。このように色々な局面で、非常にチャレンジングでしたが、私にとっては良い経験になったと今となっては思っています。

挫折や苦労を語るだけで本を出せるほど。徳重氏、上田氏が経験した今だから笑って語れる、当時の過酷な試練。

ーー日本の他のベンチャーには無いやり方で海外市場を開拓していかれた徳重さんならではの苦労や試練などを教えてください。

徳重氏:本当に失敗とか挫折を言えばもうきりがないので。それだけで本になってしまうぐらいです(笑)。

よく覚えているのは、バングラデシュでずっと売り上げが2億円だったのですが、初めて10億いくというのが見えてきた時でした。そのとき僕は10億作れる仕組みやビジネスプランを組み立てており、そこから先、実際の事業は現場におまかせしていたんですね。ところが、日本で言えばパナソニックのような最大手メーカーの電池を入れたにもかかわらず、電池の品質問題が勃発したんです。僕らは完成車メーカーですから、ディーラーをはじめ何から何まで関係者が会社に来て、もう、殴り込みのような勢いでした。

半年くらい経ち、その件が落ち着いてやっと終わったかなと思っていたら、今度はダッカでテロが起きるんですよ。ダッカで外国人がよく訪れるレストランは3つしか無いのですが、そのうちの1つでテロが起きたのです。当時の担当者には、奥さんとお子様もいたのでもう会社に残ることはできませんと言われてしまいました。当時はインドがうまくいってなかったということもあったので、僕の方でいろいろ考えて現地の人間をドローン事業で日本に戻し、上田にインドへ行ってもらい、結果、うまくいったのが今ということになります。まるで綱渡りのような感じでした。

その前には中国の材料を7千万円分くらい仕入れ、韓国籍の日本郵船のような会社に輸送を依頼していたところ、その会社が倒産してしまい、7千万円ぐらいぶっ飛んでしまいました。しかもそのままになってるんですよね…。とにかく大変なことだらけなのが、新興国です。

テラモーターズ株式会社 代表取締役社長の上田晃裕氏

上田氏:改めて振り返ると、かなり厳しいことが起こっていたんだと思いますね(笑)。私が今でも覚えているのは、2年目にやっと利益が出て会長が本当に良かったと、涙を流されて喜んでおられた直後に、私たちのコンテナを載せていた世界3位の船会社の船がシンガポールで止まってしまい、違約金や延滞料を支払わなければならないということもありました。なぜか保険も効かず、幸い利益が出たので全部払いましたが…。そしてその後テロが起こるという、確かに今振り返ると改めて当時はキツかったとは思います(笑)。

新興国はそういうこともあるよね、というふうに言えるところが会社の経験値ということもありますし、懐の深さというか、何が起こっても動じないなというふうになれましたね。

ーー様々なハプニングやトラブルを経験されてメンタルタフネスが鍛えられて、何が起きても動じない、逆に楽しんでしまうくらいの気持ちでしょうか。

上田氏:そのときはもう「やるしかない」という感じなので、生きた心地がしないですけどね(笑)。ただ大概のことでは、もう驚かないです。

村井氏:まさしくこれですね。日本の国内だけだったらルールもありますし、もっと楽だったと思うのですよ。しかし全てが日本の外で起こっていることですから。それをこの2人がマネージしてこられたというところがすごいことだと思っているんです。

 

失敗を許容して、それを乗り越える力を育てる。それがテラモーターズのカルチャーであり、強さである。

ーー上田さんの、何が起きても乗り越えられるメンタルタフネスとマネージしていく手腕が、徳重さんを大きくサポートしているのではないでしょうか。

上田氏:いえいえ、まだまだだと思います。徳重が経験してきた失敗や挫折に比べると全然私なんか大したことはないです。しかしやはり徳重もずっと今のポジションでやるわけにはいかないので、その支えになりたいという思いはずっと僕の中にあります。

ーー失敗を許容したり、失敗をバネにして成長することを大切にすることが会社のカルチャーとして根付いていて、若手が色々なことに積極的にチャレンジできる後押しになっているのでしょうか?

徳重氏:そもそも新規事業はうまくいかないものなんですよ。失敗することが当たり前で、そこのロスや時間をいかに最小にすることができるかどうかなので。

そういう感覚がない中でうまくいくわけがありません。失敗する前提でやるのとやらないのでは全然違うわけです。そこの経験値がある人がほとんどいないというのが、今の日本の問題なんですよね。村井さんの時代にはたくさんいたんですけど、今ではもう本当に絶滅危機みたいになっていると思うんです。バブル崩壊の30年で、すごい人たちもどんどんいなくなっています。

  

EV市場の変遷とテラモーターズが築いたインド市場開拓の鍵とは

インド市場で成功した鍵となった「支払いシステム」

ーーインドで高額なEV三輪を販売するのはかなり難しそうですが、一気に市場を拡大した鍵は、画期的なローンシステムの構築だったのでしょうか?

 

上田氏:そうですね。徳重が常に言っていることなのですが、顧客にとっての価値が何かということを考えてみることが本当に大事なんです。例えばインドの場合、収入がない方がタクシーの運転手になるので、買いたいと思ってもらっても当然ながら原資がないよね、となります。そこに価値があるんじゃないかというところが答えとして出てくるのです。そういうことを常に考え続ける。しかも現場を自分の目で見てというところから、アイディアが出たという感じですね。

村井氏:しかも、支払いをしない人が非常に少ないですよね。

上田氏:やりながらわかったのですが、お金を持っている人よりも、ローンを必要とする人たちの方がしっかり真面目に返済することが多いということが分かりました。ですのでそこにフォーカスを当てて、きっちり仕組み化することとなりました。日本人が得意な領域なのですが、インドでやれる人がいなかったのです。そういうチームがなかったというところが相まって、テラモーターズとしては非常にうまく回っています。

ーーローンの仕組みだけでなく、ローンの支払が滞らないために、例えば支払いが滞った人のEV三輪は動かないように遠隔で止めてしまう、というような仕組みも考えられたそうですね?

上田氏:支払いをきちんと行っている大多数の人に対して、支払いしない人を看過することは会社としても失礼に当たりますしね。リスクが高い領域はしっかり打破していきたいと思いましたので、支払わない人に対してはをしっかりと締める。そのような仕組みで回しています。 

アジアのどんな国よりも厳しい市場であるインドで利益を出してきたテラモーターズの強さ

 

徳重氏:全体感で言うと、今日本では、中国の次はインドではないかと言われています。しかし、僕たちもずっとインドで事業をやってきて、東南アジアでの経験もありますが、色々な意味でインドの方が大変です。例えば、価格にセンシティブで要求度合いも厳しいですし、何と言っても競争が激しすぎます。かつインドではたとえばタタやマヒンドラ、ジャージのような大企業でもアグレッシブで、全然手に負えません。そんな中できちんと利益を出すというのは本当に大変です。ですから、人のマネジメントも含めて、僕たちはすごくよくやっていると思いますし、単純にローンシステムなどのテクノロジーだけで勝っているわけではありません。

なおかつ、私たちは後発でした。ファースト・ムーブ・アドバンテージ、つまり最初に始めた方が有利みたいなことがよく言われます。しかしテラモーターズは逆にちょっと遅れて市場に入ったので、既に行われている成功事例と失敗事例をどちらも見られたというのは大きいです。成功事例は真似すればいいし、失敗事例は改善して自分たちの価値にすればいい、そういうことを会社としてできる文化が根底にあるところが、テラモーターズの一番の強みなのかなと思っています。

日本ブランドへの絶大な信頼は諸先輩方が築いてくれた歴史のおかげ

ーーインド市場で日本発のブランドの信頼の高さはどうでしょうか?

上田氏:インドに来て改めて日本のブランド力を強く実感しています。ここは声を大にして日本人の方全員に伝えたいのですけれど、それこそ村井さんの世代の方々が築いてきた日本ブランドというのが、まだまだ使えるんです。ですから、正直私はすごくラッキーだと思っています。今、充電インフラの事業をインドでも始めていますが、確固たる日本のブランド力と信頼感があるので、政府の高官も日本人というだけですぐに会ってくれます。

でも私たちが今本当にこの価値をしっかり次の世代に繋げていかないと、この先50年、100年でなくなってしまうということも同時に感じています。後世にしっかり繋いでいくという使命と重い責任を持っていると思っています。

村井氏:私としても、きちんと、後の人たちが引き継いでいってくれていると思っていますよ。

 

日本で何かやらなければという想いが形になったリベンジ戦「EVチャージ事業」

テラモーターズが先行してきたEVに、やっと時代が追いついてきた

ーー2024年から企業名を「テラモーターズ」から「テラチャージ」に変更されるということですが、新規事業であるEVインフラについて聞かせてください。

徳重氏:僕たちは元々日本で上場することにしていたので、やはり日本で何かやらなきゃいけないという思いがあり、色々考えたなかでEVチャージをやってみたのですが、これが大きく当たりました。僕は日本人の中ではクレイジーと言われますけれど、イーロン・マスクになれなかったのは四輪事業をやっていなかったからだと思っています。僕は四輪ではなくより現実的な二輪、三輪を選んだのです。しかし台湾のGogoroという電池サブスク型の電動スクーターの企業は、ナスダックに上場して現在2000億ぐらいの時価総額になっています。テラモーターズは元々あのようなコンセプトのバイクを作っていたんですよね。ですから僕的には、自分に対して、何をやっているんだ、本当に情けない、という思いがあります。ただ、やっと時代が追いついて来たわけですよね。

1年でEV充電市場トップへ。それを実現したテラモーターズが培ってきたカルチャーとは

徳重氏:たまたま日本とアジアでEVが遅れてしまっていたおかげで、最後のインフラ事業が残っていたんです。僕たちはEV充電でいうと、後発なんですが、テラモーターズとしての強みが活かされたなと思います。競合が色々いますし、今もまだまだ戦っており大変ではあるのですが、必要なのはやはりビジネスモデルとテクノロジー、そして現場力、それから圧倒的なスピードと資金調達能力、これらはまさに我々の培ってきたカルチャーなんですよね。

それらが、後発ではあったんですけど1年少しでトップになれた理由です。たった3人で始めた事業が1年で100人になるなんていうことは、23年間スタートアップやっていますけど、僕の中でも初めてのスピード感です。

これが200人、300人、500人になると、まさにシリコンバレーで本当にイケているスタートアップのレベルになるんですよね。ですからやはりマーケット選定がすごく重要ということで、それが当たったというのがあります。今後、インドをはじめ東南アジアでもEVインフラ事業をやっていく予定です。

EVインフラは、世界にインパクトを与える事業としての「リベンジ戦」

徳重氏:僕としてはもうこれはリベンジ戦なんですよね。もちろんEV三輪ではうまくいっているのですが、上場できるという意味でのうまくいったということであり、本当に世界や世の中にインパクトを与えるという意味での、もっとスケール感のある事業という意味での可能性が、ここにきてやっと目が芽が出た、そんな感じです。

会社名を「テラチャージ」に変えるというのは、そういう意味も込められています。大きなお金を集めないと大きな事業はできないわけでして、投資家が評価しますから投資家目線ということがすごく重要です。この事業は最初赤字になるのですが、投資家から非常に評価されやすいものとなっています。つまり自動車産業の中でも二輪三輪ではなくて、本丸の四輪自動車市場であり、この先僕が死ぬまでずっとEVになっていくわけですから。しかもプラットフォームの事業でありリカーリングビジネスでもある、かつなかなか大企業ができない領域なんです。こんなに筋が良いビジネスはなかなかありません。取ってしまえば後からひっくり返すのが大変なんです。大変というか、もう無理ですね。

ーー後発とおっしゃいましたけれども、ギリギリ市場に入り込める余地があった瞬間に滑り込んだという感じでしょうか。 

徳重氏:もうギリギリ間に合ったという感じです。去年だったらもうアウトでした。

村井氏:結局そういうことを続けてらっしゃるから、成功に繋がるんでしょうね。何度も何度もチャレンジしているからこそ、チャンスが有る時に時流が掴めるのだと思います。

唯一無二の起業家、徳重氏が改めて語る、世界に影響を与える起業家に必要な資質とは

大事なのは「歴史観と世界観」。かつてのクレイジーな偉人たちに学ぶ。

ーーこれまで何度も聞かれている質問かとは思いますが、徳重さんが思われる世界に影響を与える起業家に必要な資質というのは、どのようなことでしょうか。 

徳重氏:世界を見るというところですね。今のシリコンバレーではイーロン・マスク、中国でいえばのシャオミーのレイ・ジュンもそうですし、もう桁違いの起業家がたくさんいるわけですよね。そういう彼らを基準にすると、まだまだ僕もひよこレベルだと思っているんです。

もう一つは、「歴史観と世界観」だと今は思っています。大学の時からやる気だけはあったので、色々な経営の本を読んでいたのですが、そこには歴史を勉強しろとよく書かれていたんですよね。

当時は意味がよくわからなかったのですが、今となっては本当によくわかります。僕は司馬遼太郎の「坂の上の雲」がとても好きなんですが、何もなかった国が、突然海軍や陸軍を持とうだなんて、クレイジーじゃないですか。

他にも浅野総一郎※1なんて、京浜の何もないところに埋立地を作り、大鉄工所を作るわけですよ。浅野総一郎と安田善次郎※2がタッグになってね、いやすごいですよ。僕はそれはイーロン・マスク以上だと思っているんです。

だから歴史観と世界観というのはやっぱりすごく重要で、その中でどうあるべきかみたいなところは必要かなと思いますね。僕は明治をベンチマークにしているんです。

 

※1)浅野総一郎は浅野造船所など多数の会社を設立し一代で浅野財閥を築いた明治、大正時代の代表的な実業家。京浜業地帯を創った男、日本のセメント王とも呼ばれている。

※2)安田財閥の祖である安田善次郎は日本の実業家で銀行、損保会社、生保会社などを設立した日本を代表する金融業者。浅野総一郎の良き理解者であり事業を支援した。


「《後編》グローバルで成功するためのマネジメントとは」では、徳重会長の想いを実現し組織を作り上げてきた上田社長にお話を伺っています。
インドを任されている上田氏の海外での想像を絶する困難やチャレンジ、テラモーターズのカルチャー、徳重氏と上田氏の二人三脚の絶妙のバランスなどについて、お話いただきました。


テラモーターズからのお知らせ

▼超急速充電器を東京都で1,000基無料設置のプランを開始

6分充電で100kmほど走行可能になる超急速充電器(150kW)の申し込み受付を2023年9月から開始しました。第一弾として、東京都で1,000基無料設置のプランを開始しました。

プレスリリースはこちら: 


▼インド市場でもEV充電インフラ事業へ参入

2023年10月からEV充電インフラ「Terra Charge」のサービスをインドでも開始しました。インド市場において、EV充電インフラ事業(電池交換式を除く)を展開するのは日系企業で初めてです。

プレスリリースはこちら:



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