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【留学】 僕がアメリカの大学に進学を決意するまで

こんにちは!株式会社Fullcommissionでインターンシップをしている
齊藤來樂( Saito Kura )です。


今日は僕がアメリカの大学に進学した経緯を紹介していこうと思います!

バックグラウンド

僕は日本で生まれて3ヶ月後にアメリカ・オレゴン州のポートランドに移り、7年間の月日を過ごしました。平日は現地の学校へ通い、
土曜日は日本人学校に日本語を勉強しに行く生活です。
日本人の両親には英語と日本語を混ぜて会話していました。

そして父の仕事の都合で小学校二年生の時に日本に帰国しました。

僕の詳しい情報は下のリンクから!

大学受験

北海道・札幌にある進学校と呼ばれていた高校に通っていた僕は、
日本にある道外の大学を目指して受験勉強をしていました。

理系であったのにも関わらず目指していたのは日本トップレベルの大学で
英語を使う環境がある場所。
浪人してもいいと考えていたので、滑り止めは一校も受けませんでした。

この時、アメリカ進学をするというオプションが僕の中には無かったです。



そして大学受験本番、結果は...





受験失敗!!!

今思い返すと勉強の仕方を知らなかったなーって思います(笑)
「実力不足だったな、もう一年頑張るか〜」僕が当時考えていたことです。


気持ちの変化

大学受験が終わる時期の3月上旬
結果発表が早く進路が決まっている文系、結果発表が遅く進路が
まだ決まったいない理系がいる中、卒業式を迎えた。

進路がもう決まっている人がいる中、

「自分はもう1年勉強して満足のいく結果になるだろうか?」
「1年も遅れたら人生どうなるんだろう?
自分の中で不安な気持ちが現れ始めました。

そんな中、自分の過去を振り返ると『アメリカ』というキーワードを
思い出しました。

幼い時にアメリカに住んでいたので、「アメリカに戻りたい」
という気持ちは日本に帰国してからずっとあったものの、
アメリカの学校に「進学」することは諦めていました。

「もう1年勉強するなら、アメリカ進学するのもありだなー」
と思い始めました。


相談

「アメリカの大学に行くのはどう思う?」
普段滅多に両親に相談をしませんが母親に軽い気持ちで言ってみました。

「良いんじゃない」

え....................
今までアメリカに戻ること(旅行など)を断り続けられたのにあっさり許可を得ました。

アメリカ進学に気持ちが傾き始めた3月中旬


困難

アメリカの大学に行きたい気持ちが少しあったものの、何から始めれば
良いかわからなかった僕は、札幌にある留学サポートをする会社を
いくつか訪問した。

全ての会社が語学留学を専門にしていたので良い情報を集めることが
出来ませんでした。

次は、ネットで情報収集。
オレゴンに戻ることに執着していたので、なかなか良い情報が集まらない。

しかも金銭的な理由で行けるとこをが全くない...

困った...


出会い

その約1週間後、高校に用事があり職員室に向かっていた。

僕は高校生の頃、全く職員室に行ったことがなかったので周りを
キョロキョロしていました。

そんな時に職員室前にある掲示板のあるものが僕の目に付きました...




画像1

『アメリカ大学<返済不要>奨学金留学・説明会』と書かれたポスター

これだ!!!!!!

僕はすぐに携帯で写真を撮って両親に送りました。
上にあるのは、その時撮った写真です。
4年前の写真見つかって良かった〜

この時の、ドキドキした気持ちは今でも忘れられません。


説明会参加

3月下旬、説明会が行われる留学エージェントの説明会に参加した。

実際にアメリカの大学を卒業した方々の話を聞いて自分のアメリカ生活の
想像がどんどん膨らんでいきました。

説明会の内容は、
日本とアメリカの大学の違い、アメリカの大学に行くメリットなどでした。
一番驚いたのは、札幌から東京の大学に行くよりもアメリカの大学に
行く方が安くなる例があるということだった。

説明会後には自分の中でアメリカの大学に進学することを決意していました。


まとめ

今考えると運良く大学受験を失敗し、たまたまポスターを見つけることが
出来たから、アメリカの大学に進学することが出来たのだと思います。

ただ、そのたまたまを手に入れることが出来たのは
アンテナを貼って、一歩を踏み出す勇気があったからかもしれませんね




ここまで読んで頂きありがとうございます。
ストーリーテリングって難しいですね(笑)
もし伝わらない内容があれば詳しく説明するのでコメントお願いします。

次回は海外の大学に行くメリットを紹介していきたいと思います。

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