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一つの会社で末永く…昭和の亡霊が見せる幻想は危ない

終身雇用、年功序列、昭和の生んだ亡霊

最近の若い世代は、一つの安定した会社で末永く、できれば定年まで働きたいという人が多いと聞きました。

しかし、戦後の昭和から培われてきた、

年功序列
終身雇用
安定収入
各種保険

といった、神話は既に崩壊しています。

一つの会社に一生懸命隷属することで、一生その会社が面倒をみてくれるという、ある意味で、”資産的な価値”は、現在の企業のほとんどは提供することができなくなっています。

戦後大きくなった、名だたる大手企業の状況を見ればそれは明らかだと思います。
上に掲げた昭和の神話は、

戦後の復興
高度経済成長

といった国民全体の勢いと意思、共同体によって支えられてきました。
それらがバブルによって崩壊、その後、昭和の遺産の残りも使い果たし、現在では、日本はアジアの中でもかなりの遅れを取っています。

もはや、日本は、世界の中の先進国としての立ち位置が危うくなっています。

そんな状況下で、社員の一生を面倒みられる企業がいったいいくつあるでしょうか?
そして、そんな企業の中で生き抜いていくということは、状況から考えても相当な競争率となり、厳しい戦いを強いられることは必然です。

転属、降格、給与引き下げ、それでも「一社でがんばりなさい」という妄言

実は私も昭和育ち、昭和の洗脳を受けてきた世代です。
親からは

「石の上にも3年。良い会社に入って末永く勤めることが重要」

と言われ続けてきました。
そんな父も、40代後半で入社から続けてきた技術職から外され全く違う職種に回されます。バブル崩壊後、どこの会社も生き残りに必死だった時期です。技術者としてもマネジメント職としても、あぶらがのってこれからという時期でした。私から見ても相当に優秀な技術者でした。
その後、技術とは関係の無い色々な部署を転々とさせられ、給与も大幅に下げられ、最終的にはうつ病になってしまいました。父はそれでもなんとかその会社を定年まで勤め上げました。
正直、私は、そんな父を見ていて、会社に隷属することの危うさを感じていました。
しかし、そんな父でも今だに、
「一つの会社にしがみついてでも、長く勤めなさい」
と言います。

戦後昭和の洗脳は恐ろしいと感じた瞬間でした。

そして、私にも同じような運命が巡ってきます。
某大手教育出版社で事業の責任者として中途入社した時です。
小学生の頃から大好きな会社だったので、これを最後の転職にして骨を埋めようと思った会社でした。
入社直後に、あるプロジェクトを任されます。社内に人脈もなく、すべてをゼロから立ち上げ、企画し、運用を考え、苦労に苦労を重ねた上で、プロジェクトも組織も運用もようやく軌道に乗ってきたときです。
突然、責任者から外され、給与を下げられました。
新たな責任者は勤続30年の経験のないプロパーでした。
担当役員に理由を聞いても、「ジョブローテションなので従うように」

としか言われません。
プロジェクトメンバーから勧められ、社内の内部統制委員会…コンプライアンスにも何度も相談しましたが、

「人事は役員にまかせているので、直接交渉してください」

の一点張り。
コンプラのサイトには秘密厳守と何度も書かれていましたが、1回目の面談後に当事者の役員に既に私の名前を伝えてあるからと言っていました。
プロジェクトメンバーも驚き、次にあきれかえっていました。
色々話を聞いてみると、私の上長であった担当役員が、社外から来てどんどんプロジェクトを推進していく私のことを脅威に感じていたということでした。自分の立場が危ういと思ったようです。
もう一つは、転職者に対する偏見と差別だったようです。
転職者は長く続かない、会社に長く貢献してきた新卒から勤続している社員を責任者にすべきとのことでした。

とても、悔しいですし、残念でしたが、骨を埋めるならとここと思っていた会社なのでそれでもがんばってしまいました。
閑職に回された後、誰でも参加出来るグループ全体の企画コンペに参加して、社員からの投票で選ばれ、計三回の予選を勝ち抜いて決勝まで一人でいったことで、経営戦略室の別の役員から誘われ、そのグループの経営戦略室に所属することになりました。
しかし、その後、やはり、転職者全員を違う職位と条件にするので経営戦略室から外れるように言われます。それでもまたがんばって、今度は書籍の販売数が一番の編集部で仕事ができるように動き、その部署で売上を前年比の3倍にしました。しかし、その成果はまったく評価されませんでした。
どうも話を聞いていくと、転職組と新卒からいるプロパー組をわけて、格差をつくることでなんとか、プロパーの給与や退職金を確保するといった思惑があったようです。
そのうち、同じ時期に転職してきた数十名のメンバーが一気に退職しだしたころ、私も意を決して退社しました。

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