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天竜材の運搬 榑木と筏
元亀三年(1572)二俣城を武田信玄に奪われた徳川家康が天竜川を渡って浜松城へ退く際に、竹で組んだ筏を作り窮地を救ったとされる北鹿島村大角孫之丞は、天正六年(1578)に材木を筏に組んで馬籠川(当時は天竜川から枝分かれしていた)を下っている時に家康の目に止まり褒美を賜わりました。この頃から天竜川流域に筏による材木の運搬が発達していったようです。
慶長五年(1600)、徳川家康は信州伊那谷
元亀三年(1572)二俣城を武田信玄に奪われた徳川家康が天竜川を渡って浜松城へ退く際に、竹で組んだ筏を作り窮地を救ったとされる北鹿島村大角孫之丞は、天正六年(1578)に材木を筏に組んで馬籠川(当時は天竜川から枝分かれしていた)を下っている時に家康の目に止まり褒美を賜わりました。この頃から天竜川流域に筏による材木の運搬が発達していったようです。
慶長五年(1600)、徳川家康は信州伊那谷