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治療法ができたのは野村監督と金成万先生のお蔭ですー手のひら先生の本の解説



2019年に「手のひら先生の高麗手指鍼療法」を上梓しました。

いつか出版したいと考えていましたが、治した治し方解説本にはしたくありませんでした。

秋に出版する予定なら5月中に出稿しなければならないと言われ、1か月の期間で書ける内容に絞り書き上げました。

高麗手指鍼そのものが知られていないうえ、それを進化させた「手のひら先生の高麗手指鍼療法」と言うものは、ほとんど理解されない療法だろうと考えました。

経緯を分かり易く書いたつもりでしたが、鍼灸治療と進化論の融合というところは難しかったようでした。

そこに注目された方は異業種の方であったのは驚きでした。

理解されお褒めいただいたのはうれしかったのですが、一般の方たちには難しかったようです。

書籍では書き切れなかった諸事情を書いてみることに決めました。

ただし関節リウマチのツボはここで、鍼をそこに刺せば治りますの類は嘘を教えることになるので書きません。

鍼灸治療はそのような簡単なものではありません。

どのような経過でこの理論が出来上がったのかを理解いただければ、鍼治療だけれど今までの鍼治療とは違うのだと考えられると思います。

あらゆる方法を試したけれど良くならない病気に出会った時、少しこの治療法を思い出していただければそれでも良いでしょう。

身体は悪くなることもありますが、正しい刺激を与えることで治るスイッチが入るのです。

不摂生や無理をすれば病気になりますが、治るスイッチを正しく入れると治すメカニズムが動き出すのです。

そのスイッチを入れるのが「手のひら先生の高麗手指鍼療法」です。

1 高麗手指鍼との出会い

当時は来年から開業予定でしたが2足の草鞋を履いて学校に通い始めて、高血圧と不整脈がなかなか治りません。

習った鍼では血圧も不整脈も治せません。

その時同級生で武蔵小山で開業されている小茂田先生に、金先生の高麗手指鍼講座を勧められました。

結論から言えば高麗手指鍼講座で習った方法でも全く効果はありませんでした。

開業して約10年後脳溢血を発症してしまいました。

発症後に研究したところ、私の高血圧はNHKの造語「キラーストレス」が原因で起こるものでした。

原因が分かればたった3本の鍼を刺すだけで血圧は下がってしまいました。しかしその方法は高麗手指鍼治療には今でもないものでした。

日本で金先生から日本語で高麗手指鍼を習えることは幸運でした。

鍼なんて簡単だろうと「和訳 高麗手指鍼講座」を購入された方が来院されましたが「やはり自分で鍼を刺すのは無理でした」と感想を述べられていました。

鍼講座は本で学べないことを個別に習い、習えなかったことはさらに勉強しなくてはならないのです。

どの様な仕事も同じでしょうが。

2 金成万先生がなぜ日本に招かれたのか

ヤクルト球団や楽天球団などで監督をされた、野村克也さんが金成万先生を招聘されたのです。

先日1周忌の法要がされました。

生前の姿を見ましたが、マンションの階段をやっと降りてこられました。

心臓が弱って足腰が動かなくなっていた動きでした。

がっしりした身体でしたがプロの世界で酷使した身体は、現役を終えると心臓が悲鳴を上げていたようです。

心臓の治療はなかなか難しいので様々なネットワークを駆使した末に、たどり着いたのが釜山にいい先生がいるという情報でした。

隣の国それもフェリーでも行けるとはいえ、東京から行くのに1日翌日治療を受けて帰国しても、最短2日はかかります。

2日は重い負担だったようです。

3 韓国の鍼灸事情

韓国で鍼灸を正式に行うには、資格取得が大変です。

大学の医学部で漢方医にならねばなりません。漢方医と言うのは漢方薬剤師と鍼灸師を、同時にできる医師になることです。

6年間学ばねばなりません。

高麗手指鍼が発明された時、大戦後に資格を持った人は数人だったと聞きました。

そこで普及させるため自分で自分を治すための講座を開いたり指導者を増やしたそうです。

驚くスピードで広まったのですが、民間療法としての扱いでした。

その中で講座受講後学習と経験を積んだ方たちが増えて、いわゆる「無資格者のもぐり営業」が増えてきました。

野村さんが渡韓されたころは、取り締まりが厳しくなってきた時期と重なります。

4 韓国での金先生の立ち位置

先生がこの世界に入った経緯は次回に書きます。

技術が上がると患者が増えて、まだ寝ているうちから患者が押し寄せたそうです。

評判が評判を呼び取り締まられそうに感じた時、野村さんが治療に来られ治療効果を実感されて「先生日本に来ませんか?」申し出があったようです。

高麗手指鍼学会で先生はどのぐらい評価されていたのか聞いたことがありました。

日本では末期の肺がんを治した鍼灸師の名声がありましたが、手指鍼学学術大会で聞こえる評価に違和感があったからでした。

今でも分からないことなのですが、先生は来日されてからどこかで気の修行をしがんも治せる技を得たようなのです。

韓国内で学んだわけではないようでした。

5 先生の成功の素は野村克也監督のお蔭

野村監督の努力で資格を取得し、晴れて鍼灸師になってからは破竹の勢いでした。

どれでも名前を聞けば知っている政治家を始め、テレビ出演後は全国から患者が押し寄せていました。

先生の惜しかったのは、プライドが高かったことと日本人と韓国人のメンタリティが違うことを知らなかったことでした。

日本で成功する下地を野村さんが整えてくれたのですが、テレビ出演後の成功が未来永遠に続くと勘違いしてしまったことでした。

韓国ならそうなっていたでしょうが、同じような顔似たような生活ではありますが、似ているのはアジア人と言うことだけでした。

テレビ出演で得た評価を持続させる、雑誌に載ったり出版したり広告を出したり、先生のプライドが邪魔して取りませんでした。


まとめ

1 高麗手指鍼との出会い
2 先生が日本に来た事情
3 韓国で鍼灸師になるのは大変
4 金先生の韓国と日本での評価の差
5 先生の成功は野村さんのお蔭です

サポート頂いたら最先端の医学雑誌と、最先端の進化論本を購入し難病治療研究に役立てる予定です。