ザ・違和感①
こんばんは。藤井です。
やることが積もりに積もってドラケンスバーグ山脈になっているので、以前書き留めていたことをちょこっと書き換えて投稿。
タイトルは「ザ・違和感①」です。
藤井はそんなこと考えよるんか。変わっとるやっちゃなーって思ってください。では、行きます。
まずは、藤井色全開の生物学的観点からのお話。
日常生活をしていると、違和感を感じることがたくさんあると思います。
人は大人になるにつれて些細な違和感を無視するようになります。
それは、無駄なエネルギーを消費しないという意味では理にかなっています。
また、生物学的に多数派(強い方)の行動に合わせることは理にかなっているので、他の多数派の人たちが気にしないようなことを自分も気にしないというのは理にかなっています。
しかし、多数派の生物が急に滅びることがあります。それは、個体数が増えたせいであまりにも自分にとって住みやすい世界になりすぎて、変化を取り入れなくなるからです。
本当に強い生物というのは、変化をうまく取り入れて急な環境変化や天敵の出現にも対応できる生物です。
だから、日頃の生活において感じた違和感というのは無視しすぎずに、適度に取り入れた方が良いです。それをできた人間が生き残るのだと思います。
ということで、日常生活において感じた違和感などを時々Noteにメモっていこうと思います。
第一回は電車でふと思ったことです。
電車の中吊り広告の右下ら辺によく、この検索マークってついてますよね。これってめちゃめちゃよく見かけるけど、別にいらなくないですか?(ひろゆき風)
こういったものを見かけた際は、じゃあそもそもなんでこのマークはこんなにもたくさん使われているんだ?っていう風に考えてみます。
本来なら、実際に検索マークありの広告と、なしの広告で広告効果に違いが出るのかを比較実験しないといけないのですが、流石にできないので想像で書き連ねます。全部私の想像になります。
このマークはおそらく、今の時代のように検索という行為が当たり前でなかった頃に、「よかったらネットで検索してみてくださいー」って感じで検索行為を促すために付けられていたものだと思います。
検索という発想がそもそも頭になかったがために、このマークをつけていることは有効だったのでしょう。
しかし、国民総スマホ中毒の現代においてこのマークを見たところで何も思いません。その広告を見て気になったら検索をするし、気にならなければ無視をします。検索マークのあるなしは検索するかどうかに関係ありません。
ということは、最も優先されるのはより印象的な広告にすることなので、検索マークを書くスペースがあれば、その分の余白を生み出してイラストや写真、テキストを目立たせた方が効果的だと思われます。
というか、この検索マークがあることにより、むしろ検索意欲削がれている気すらします。
今から宿題やろうとしてたのに、お母さんに宿題やれって言われてやる気なくすのと同じ感じで、せっかく今から検索しようと思ってたのに、なんかマーク見たせいで検索意欲そがれたわ的な。
「でも、やっぱり右下に広告ついてる方が自然な気もするし、絶対にそっちの方が良い気がする」
という意見の人もいるかもしれませんが、それは絶対じゃなくて、あなたの感想ですよね?(ひろゆき風)
この検索マークを見て、よし検索しよう!って思ったことがありますか?”はい”か”いいえ”で答えてください。(ひろゆき風)
答えます。この検索マークを見て検索しようと思ったことがあるかどうかは”いいえ”。でも、この検索マークがついている広告を見て検索をしようと思ったことがあるかどうかは、”はい”です。(勝間和代風)
(唐突なひろゆき&勝間和代のやりとりを書きましたが、この元ネタがわからない方は「ひろゆき 勝間和代」でYoutubeで検索してみてください。)
だったら、代替案を提示してやろう。余白を増やして、目立つべきものを目立たせるというのはデザインのキホンのキだが、それを学んだことがなければ、その良さがわかりにくいのも仕方がない。
検索マークの代わりに、こいつを入れたらどうだ。
そう、QRコードである。言われなくても、最近はものすごく増えてきているが、電車の中吊り広告も全部これにしてほしい。
当然、離れた席から遠くのQRコードをスキャンするのは至難の技だし、盗撮と疑われるリスクも考えるとなかなかスキャンなんてできない。
だが、そのもどかしさこそが検索意欲につながるのではなかろうかと思っている。極論すぎるとも思ってはいる。
ただ、QRコードの持つパワーは半端ない。こいつを見ると、スキャンしたくて仕方がない。
検索窓に検索ワードを入れたら、検索ページが出てくるというのは現代人の感覚で言うと、あまりにも当たり前すぎる。
おそらく、インターネットもAI、すなわち知能の一つであるということを感覚的に理解しているからだろう。
どういうことかというと、検索窓に検索ワードを入力したらそのページが出てくると言うのは、「リンゴ」という文字を見たら(脳内にリンゴという文字を入力したら)、頭の中に今リンゴが思い浮かんだのと同じぐらい当然のことに感じているのではないかと言うことだ。
一方でQRコードはどうだ。あまりにもワクワクする。一体こいつを読み取ったら何が出てくるんだ。そもそも何でこの意味のわからないマークをスキャンしたらホームページとかに飛ぶんだ?ていうかスキャンてそもそも何だ?
それに、普通に検索しても検索ページが出るだけだが、QRコードの場合は一気にホームページまで飛べるじゃないか。
これは、人類が待ち望んでいたどこでもドアの誕生を予感させる画期的発明だと言っても過言ではないだろう。いや、それは言いすぎた。
話が飛躍しすぎたが、電車の中吊り広告の右下に検索窓を入れるぐらいなら、QRコードの方が良いという藤井からの提案である。
今後の人生で自分が広告を作る機会があればそうしたいと思うし、YCAのイベントにも通ずる話なので、参考にしてみて欲しいところである。
以上が、藤井の電車で感じた違和感でした。
今後とも日常で感じた違和感とかは無視せずに残して、自分自身の仕事や生活に何かしら活用してゆきたい。
さあ、今からはドラケンスバーグ山脈を崩しに行くぞ!
( 数ある山脈の中からドラケンスバーグ山脈をチョイスした理由は何もない。 )
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