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記事一覧

6/13 「多くの人に賞賛される人生というものは、数ある人生のグラデーションのひとつに過ぎない。」

6/13 「多くの人に賞賛される人生というものは、数ある人生のグラデーションのひとつに過ぎない。」

「じぶんの価値を高めたいんです。」

多くのひとが、その明瞭さはさておき、こうした願望、それに基づく思想を抱えたまま生きている。説明不要だ。どんな価値であるか、その目的はなんなのか。それは多様であるにしても。

どうしてひとは、じぶんの価値を求めるのだろう。それは、無価値は耐え難いからだ。ひとの役に立ちたいのは、その方が居心地がよいからだ。

「なんの役にも立たないのに、ここに居てもいいのだろうか

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6/21 「おもしろさと魅力について。」

6/21 「おもしろさと魅力について。」

古い知人の堀元さんが「レンタルなんもしない人」についてツイートしていたので、感想をかいてみる。

たしかに、レンタルなんもしない人は「レンタルされた後おもしろいこと言う人」だ。それを言うなら、きっと「おこめたべお」は「レンタルおもしろいこと言う人」なんだろう。じゃあ、一体わたしは何をしてるんだろう。

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7/5  「説明できないものに、大切なことは宿っている」

7/5 「説明できないものに、大切なことは宿っている」

おれとお前が、どんな関係かって?俺とお前だよ。俺とお前で、いいじゃないの。おれとお前は、おれとお前さ。それ以上に、なにも呼びようがないんだ。だって、おれとお前は、他の何にも変えられない、ほんとうに特別な関係なんだから。

なんでもかんでも、「どこかで聞いたことのある名前」をあてはめないと、安心できないひとがいるよね。これはテレビで見た、そう、これは友情で、あれは恋愛で、それは嫌悪感で。ここからは浮

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7/4 「すでに起きたことを大切にしよう。いまいる地獄で笑おう。」

7/4 「すでに起きたことを大切にしよう。いまいる地獄で笑おう。」

インスタで投稿した文章のつづき、みたいな記事です。

「いま暮らしている地獄から逃げたい」と思ったらね。逃げたらいいのよ。でもね、逃げた先だって、べつの地獄なのよ。

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7/10 「他人を幸せにできると考えているひとは、他人への『リスペクト』が足りないとおもう。」

7/10 「他人を幸せにできると考えているひとは、他人への『リスペクト』が足りないとおもう。」

これの続きを書く。本気で「他人を幸せにできる」と考えるために必要な、リスペクトの不在について。

他人へのリスペクトが欠けていなければ、他人を幸せにできるなんて考えられるはずがない。

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7/13 「ひとを楽しませる会話のコツについて。」

7/13 「ひとを楽しませる会話のコツについて。」

5000人に奢られて生きてきたわたしは、ひとよりも多く「ひとを楽しませる会話のコツ」について聞かれてきた。こんなに奢られているということは、きっとなにか「ひとを楽しませる秘訣」があるにちがいない。そう思われるのだろう。

ただ、魔法のようなものは何もない。有料noteに2万字をまとめて1万円で売るほどのことは何もない。大袈裟にいえば、以下のツイートにすべてまとまっている。

さて、では「勝手に楽し

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7/26 「頭の散らかりをととのう。」

生きる醍醐味は散らかすことだと思う。

そして、散らかすには整えなくてはならない。

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8/14 「孤独な世界へようこそ」

8/14 「孤独な世界へようこそ」

ひとに説明できない、そんなことが増えていくたびに、私たちは孤独に好かれる。孤独がこちらを覗きこんで、目を離さなくなるのだ。

わたしは何を考えていて、何をしているのか。説明できない。それは、わたしが説明を怠っているからではなく、他者の想定を超えてしまっているからだ。説明しても、決して分からないことが人の心の奥底には眠っている。それはすべての人に。奥底にある隠された絶対的存在に。気付くと孤独はやって

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9/30 「たったひとつの美しい別れのために、その人生における多くの犠牲を愛する。」

たったひとつでもいい。どんな犠牲を払っても愛することができると、そう思える、美しい別れがそこにあるならば。

11/15 「ひとはなぜ『だれにとっても万能な解決策』を求めてしまうのか。」

口を開けば再現性、あなたが上手くやれただけ、わたしは到底、そんなこと。ひとはなぜ、だれにとっても万能で、だれにとっても最終的な解決策を、見知らぬ他者に求めてしまうのか。

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10/31 「自己理解を深めたひとに、モチベーションはいらない。」

自己理解とは、絶望の一種の形態である。ひとは自分が何者であり、そして何者でないかについての把握を広げたとき、ひとつの絶望的観測に到達することができる。ひとが絶望したときにのみ発するエネルギーというものがあり、わたしはその瞬間を捉えることを生き甲斐としている。

10/13 「その『しょうがなさ』を楽しむしかないよね。結局のところは。」

なんてったって、しょうがない。見渡すかぎりの景色が全部、しょうがない事だらけだよな。どこまで行ってもおんなじで、だれと何をしたっておんなじだ。しょうがない。しょうがないところにブチ当たる。これはもうさ、しょうがなさを楽しむしかないよな。結局のところは、だよ。

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10/9  「ただ『多くの大人』と関わってきた恩恵について。」

10/9 「ただ『多くの大人』と関わってきた恩恵について。」

なんでもかんでも、やたらに「質がたいせつだ」と言いたがるひとは多いのだが、そういうひとほど全体的に質が低くて、質を判断できるほどの質がない、という(服を買いにいく服がない、といった種類の)問題がある。

さて、わたしが質を判断できる質があるのかについての判断は、ウォッチャーのひとびとに任せるとして(仮説がどこまでも宙に浮いてしまう)。きょうは「人間関係の、純粋な量の恩恵」ついて語ってみることにする

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意味のない世界

意味のない世界

「意味のない世界」と聞いてみなさんは何を思い浮かべるだろうか?

僕の大好きな星野道夫さんはアラスカの自然を度々「意味のない自然」と書いた。

通常、僕たちが生きるという言葉を用いるとき、それは社会的や経済的な活動を指していることが多い。

自分達の行動を振り返ってみると、どっぷりとその世界に浸かっていることがわかる。

このnoteも言わば社会と繋がるために書いている側面もあるわけで、社会的活動

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