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日本の気象シミュレーション技術の過去、現在、そして将来 (その3)  日本は世界一を目指せるのか

1 はじめに

 (その1)で米国、(その2)で欧州について、気象シミュレーションモデル開発の世界の最先端の状況を述べました。ここからは日本について述べることになりますが、自分も当事者の1人であり、どこまで客観的に記述できるかは保証の限りではないことをあらかじめお断りしておきます。なお、その1とその2では、ここで述べることの背景等に触れていますので、そちらを読まれていない方は一読されることをお勧めします。

2 私から見た日本の状況(前世紀を中心に)

 

20世紀後半から平成までの気象庁の歴史を刻んだ庁舎


 1980年代に私は気象庁の数値天気予報の開発グループに加わり、当時の素朴な疑問として、日本の自動車製造は世界の最高レベルになっているのに、なぜ数値天気予報は欧米に負けているのだろうか、というのがありました。自動車も数値天気予報も地道に成果を積み上げる技術者の組織力、総合力が問われる分野ですので、日本人の特性としてこれらに向いているのではないかと。実際、米国に渡った日本人気象学者がモデルシミュレーションで世界をリードしていましたので、日本人はこの分野が得意であるのは間違いではありません。当時の私の結論として、トヨタと気象庁では予算が違うからなあ、というがありました。
 1990年代から、気象庁の数値天気予報技術者の育成に向けて、ECMWFや英国気象局、米国の気象局への職員派遣というのが始まりました。派遣された職員から、必ず出てくるのは、開発スタッフの質と量が段違い、という感想でした。しかし、国家公務員は5年で1割の職員数削減のノルマがある中で、気象庁の管理部門のもっとも重要な仕事はそのノルマをどこからどう出すかであり、大幅な定員増はなかなか望めるような状況ではありませんでした。
 そうした中、1990年代の後半あたりから、地球温暖化問題がにわかに賑やかになってきました。1996年には気象庁の組織改革で、それまでの海洋気象部に気候や環境の部門が加わり、地球環境を所掌する部ができました。それまで、予報部にあった長期予報課も気候情報課と名前を変えてそちらの部に移っていきました。それまで、数値予報課で長期予報モデルや大気海洋結合モデルを開発していて、一元的にモデル開発する体制が取れていたのが、別の部で開発することになり、特に私に任されていた地球全体を予測するモデルの開発グループは4人体制という心細い体制となりました。まだ血の気の多かった私は、気象庁のトップである長官の部屋に一人で飛び込んで、こんな組織改革やめてくれと、直訴までしました。
 同じ頃でしょうか、当時の科学技術庁が原子力発電研究から地球環境研究へのパワーシフトがあったようで、地球フロンティアという組織を立ち上げ、地球シミュレータ建造計画まで始まりました。そうした背景のもとで真鍋先生も日本に呼ばれたということになります。気象庁のモデル関係者も一緒に研究開発をするような雰囲気もあり、芝浦にあった地球フロンティアのオフィスには私もしばしば足を運び、地球シミュレータの生みの親である三好甫先生ともモデルの計算について、何回もディスカッションしたことがあります。気象庁の開発体制に失望感を感じた私は、こちらに移って真鍋先生のもとで自由に研究開発するのもいいかなとも思うこともありました。
 この動きは、気象庁としても黒船的な存在だったようで、当時のY予報部長から、こうした外の動きも意識しつつ、まず気象庁のモデル開発戦略を考えてみなさい、との命があり、モデル開発戦略会議が立ち上がりその事務局員としていろいろと叩かられながらも戦略を策定、1999年11月に本部組織を立ち上げました。本庁の中でモデル開発が2つの部に分かれたことに加え、気象研究所と本庁のモデル技術開発の連携が不十分という課題があり、それを含めて庁内横断的な体制を構築したという形にはなりました。しかし、その後まもなく、私はモデル開発部局を離れて予報部の管理部門に異動となり、しばらくこの分野に直接関わることはありませんでした。
 一方、真鍋先生も結局アメリカに帰国されてしまいましたし、地球シミュレータの完成を前に三好先生は急逝されてしまいました。真鍋先生が米国に帰国された背景として、真鍋先生のグループと東大や気象庁のグループとの連携が日本の縦割りでうまくいかなかったことがあるのでは、という憶測もあるようですが、確かに、その後、気象庁が深く関わるようなことはなかったように見えます。
 さて21世紀に入り、地球シミュレータを利用したモデル開発は、その運用機関であるJAMSTECと東大の気候システム研究センター(のちに海洋研究所と統合して大気海洋研究所)との連携を軸に、地球温暖化予測モデル(MIROC)や全球非静力学モデル(NICAM)の開発が進められ、研究としては世界にもかなりの発信ができるようになりました。一方、気象庁では、気象研究所で地球温暖化予測モデル(MRI-GCM)が開発されて、上記のMIROCとともにIPCCの地球温暖化評価報告書に貢献し続けています。MIROCもMRI-GCMもその骨格部分は、気象庁の数値天気予報で開発された全球スペクトルモデルがもとになっています。

地球シミュレータ(初代、2号機)

3 数値予報モデルと気候モデル

 天気予報のためのモデルと気候予測のためのモデルとの違いを論じ始めるとそれだけで一冊の本が書けてしまうくらいの分量になりそうですが、ここでは、その概略を述べます。天気予報のための数値予測を数値予報、あるいは数値天気予報と呼びます。これに対して、気候予測のためのモデルは気候モデルと呼ばれることが多いので、以下ではそれぞれ数値予報モデル、気候モデルと称することにします。
 どちらも、気温、風、水蒸気等の大気中の物理量を流体力学や熱力学といった物理法則に基づいて数値計算で予測していくことが基本となります。予測についての概念的な説明は別の記事に書きました。これに加え、気候モデルでは、100年先などの長い時間スケールの予測を行うことから、海洋の循環や極域の雪氷圏、森林等の植生、大気中の微量物質等のプロセス等についてもそれぞれ数値計算していくことが特徴となります。もっとも大きな違いは、数値予報では大気が初期の状態から物理法則に基づきどう変化していくのか、という初期値問題と呼ばれる形で使うのに対して、特に温暖化予測といった気候モデルでは、温室効果ガスの排出シナリオに応じて大気の状態がどう変わっていくのか、という形で使うことが根本的な違いとなります。
 数値予報では、初期の状態を正しく把握できるかがきわめて重要で、そのため、観測データとシミュレーションモデルから最適な初期条件を求めるデータ同化と呼ばれる手法が開発されました。天気予報の必要性から始まったデータ同化ですが、観測値と自然法則からメッシュ情報を得る、さらにそれを初期条件にして将来の予測をする、というニーズはさまざまな分野であり、応用範囲は広がっています。
 気象分野においても、データ同化は単に天気予報のための初期条件を求めるだけでなく、観測データに基づき地球上の気象を把握、監視するという目的に広く使われるようになっています。その大きな流れを作ったのが、noteでも解説した「再解析」と呼ばれる、過去の気象状況を最新の数値予報システムで再現する仕組みです。欧州、米国、日本の3極で地球全体の気象再解析が定期的に実施されていて、日本からの新たな全球長期再解析JRA-3Qもまもなくリリースされる予定です。最近では、digital earth/ digital twinといった用語で、地球上のさまざまな要素の分布をコンピューター上に再現して、それをさまざまな社会応用アプリに活用していくという動きも本格化してきています。
 長期再解析は、地球上の気象要素を長期間、メッシュ単位で定量化できるので、気候変動の基盤的なデータとしても広く活用されています。地球温暖化予測では、温室効果ガスの排出シナリオに応じて将来の気候変動を予測するのですが、まず、これまでの気候変動をどの程度正確に表現できているか、という検証が信頼性を得るためには非常に重要となります。その意味で、過去の気候変動をできる限り観測データに基づいて把握した再解析データが重要となってきます。
 なお、気候変動は、地球温暖化だけではありません。もともと、気候システムには自然由来の変動があります。実際に私たちが体験する気候変動、異常気象というのは、地球温暖化変動に自然変動が重なったものを見ていることになります。2021年の年末から2022年の年初にかけて寒い日が続き、記録的な大雪となった地域もありました。地球温暖化はどこに行ったのか、と感じることもあるかもしれませんが、熱帯の海洋変動であるラニーニャや北極振動といった自然変動により、ある年のある地域の冬が寒くなることはあります。気候変動を総合的に捉えるためには、こうした自然変動をきちんと表現できるシミュレーションモデルが重要で、日々の天気予報で検証され鍛えられた数値予報モデルの役割が大きいとも言えます。
 欧州のECMWFや英国気象局の戦略の基本として、数値予報モデルを基盤に地球温暖化予測研究や長期再解析を実施してきている背景がまさにここにあります。なお、数値予報モデルでは、放射過程、雲、積雲対流、乱流、重力波、陸面、海洋などの素過程や力学、計算科学等についての専門家の知見を反映しつつ各部品を高度化し、それらを組み合わせて総合的性能を高めて精度の高いモデルにしていく、さらに観測データの品質管理を確実に行って、それらを高度なデータ同化手法で初期値解析に反映する、膨大な出力結果をきちんとアーカイブして利用可能な形にする、これらの処理を系統的かつ確実に実施できるようなジョブフローを維持管理する、といった製造工場さながらの組織的な取り組みが重要です。巨大なスパコンがあればそれでよい、というものではなく、専門家の質・量、信頼性の高い仕事、研究コミュニティとの深い連携、さまざまなコーディネーションが必要となります。

4 日本の持つポテンシャル

 まず、日本人の適性なのですが、なぜ自動車産業では日本は世界のトップなのに、数値予報ではそうなっていないのか、という私がこの世界に入ってまず感じた素朴な疑問に戻ります。その答えですが、たぶん、日本人は数値予報のような仕事に本来高い適性を持っていると思います。日本の自動車で評価されている高い信頼性は、品質管理のような地味な仕事を組織的に実施する能力からくるものと思います。日本についてはモノマネ文化とも揶揄された時代もあり、数値予報についてもECMWF等の成果から学んで何とかここまで来ている面もありますが、(その1)で述べた通り、終戦後米国に渡った日本の気象研究者が真鍋先生をはじめモデリング研究で世界をリードするようになったことからも、世界の先頭を切り開く力も本来持っているはずだと思います。自動車の世界もEV化はともかくとして、日本の車がその先進性においても世界から評価されるようになってきました。
 それでは、なぜ、日本の数値予報が今まで世界一になれなかったのか、というと、2で述べたとおり、ECMWFや英国気象局と比較した人的資源の違いが第一義的にあったものと考えています。もちろん、私のような過去に気象庁の数値予報技術を支えた人材の力不足を否定するわけではありませんが。この人的資源の不足も関係しているのですが、気象庁数値予報課という閉じられた集団での技術開発、という体制も世界一になれなかったもう一つの要因です。数値予報課という組織が研究職では行政職であり、研究コミュニティとの連携が気象庁の中も含めて難しいところがありました。たとえば、学会への参加もままならず、私自身、内外の学会への発表を私費で有給休暇をとって参加したことが数多くあります。大学との連携という観点では、欧米の気象局の多くが研究費を大学等に配る仕組みやスパコンを共有して開発をする、といったスタイルがあるのに対して、日本では気象庁の予算の制約でそれができていなかった、というのも大きいです。(その2)でドイツも過去にはそうだったのを、政府予算の組み替えで気象局から大学への予算配分ができるようにして、その後ドイツ気象局の数値予報精度が向上している、という例を紹介しています。
 自動車産業を例示してきていますが、ドイツの自動車が高速走行での安定性が世界一である背景には速度無制限のアウトバーンの存在があると言われています。多くのドイツ車がアウトバーンでの走行することからその走行環境を開発のテスト環境とし、さらにユーザーからのフィードバックへの対応も含めて鍛えられた結果だと思います。そこで、気象モデリングという立場での日本の置かれた地理的・気候的環境を述べてみます。
 日本を含む東アジアは、明確な季節変化に加え、豪雨、豪雪、台風など多様な気象を経験する地域です。この背景として、小倉義光先生が「日本の天気(東京大学出版会)」の中で、下記の4点を指摘されています。
1 中緯度に位置していること
2 大陸の東岸に位置していること
3 水蒸気が豊富なこと
4 アジアモンスーンがあること
 まず、中緯度にあることで、季節変化がはっきりすること、高気圧低気圧の活動域であることというのがあります。そして、世界最大のユーラシア大陸、しかもヒマラヤやチベットという大きな最大の山岳域がある大陸の東岸で、海を見れば、顕著な暖流である黒潮があること、これらも偏西風の蛇行から熱や水蒸気の供給といった面も含めて特徴的な地域となっています。そして、豊富な水蒸気の存在により、豪雨、豪雪から台風といった顕著な現象の発生頻度の高い地域となっています。さらに、アジアモンスーン地帯に位置することで、5月に東南アジアで始まる雨季が南西風とともに北上し、6月にはインドのモンスーンによる雨季、中国ではメイユ、日本では梅雨がそれぞれ開始します。夏に雨季となるアジアモンスーン地域の特徴から、稲作の盛んな地域とも重なっています。
 時には災害をもたらすことも少なくない多様な気象環境にある東アジアでの気象モデリング開発は、まさにドイツのアウトバーン環境での自動車開発に近い環境にあると言えます。こうした環境下で開発・検証されたモデリング技術は、東南アジアや中米等の水蒸気の豊富な環境下の地域にも通用するでしょう。また、地球温暖化が進むことで、少なくとも上記3の水蒸気の豊富さは欧州や北米などでも、アジアモンスーン地域に近づくことになります。昨年の欧州の洪水についての私のnoteでも述べた通り、東アジアで鍛えられた知見は、世界で役に立つことにもなります。
 以上、日本には気象モデリングで世界一になるポテンシャルは十分にあり、そうなることで世界全体への貢献も期待できるというまとめとします。

5 日本は世界一になれるのか?

 前章では、気象庁数値予報課の人的資源の拡大と大学等の研究機関との連携が世界一に向けたキーとなるとしました。このあたりの最近の動向を私の取り組みを含めてレビューしながら展望してみます。
 2001年に数値予報課の開発担当を卒業してから、しばらくは、気象庁の管理部門や管区気象台の管理職等を歴任して技術開発から完全に足を洗ったのち、2009年に数値予報課長に就任しました。8年間のブランクがあり、玉手箱状態でもあったのですが、21世紀に入ろうという頃に立ち上げたモデル技術開発推進本部が本来の目的ではあまり機能していないことにすぐに気づきました。本庁の数値予報課と気象研究所との関係もギクシャクするところが多く、さらに本庁の気候モデル開発部門がある気候情報課との関係も信頼関係が築けていない状況という認識でした。課長としての最大の権力は人事権なので、それを使ってこれらの関係組織との人事異動を大胆に進めました。それとともに、数値予報課のデータ同化システムを気象研究所計算機に移植して、気象研究所でデータ同化にかかる研究開発の強化を図りました。本題から少し離れますが、この本庁と気象研究所との人事交流の副産物として、線状降水帯の命名者でもある気象研究所のKさんを本庁に迎えて、そこで診断的予測グループというのを立ち上げ、これが気象庁全体での今の線状降水帯への取り組みにも原点になっていると思います。
 また、自分もそうだったのですが、モデル開発で活躍するのは40歳前後まで、それ以降は気象庁の管理職として地方も含めて様々なポストを1−2年で回る、というのが典型的なキャリアパスでした。上記のKさんの問題提起をもとに、40代、50代でも高い知見を生かして開発現場の指導者になっている欧米の気象局を見習って、キャリアパスを見直すべき、それを進めるにあたっては気象研究所のポストも利用すべきと様々な機会に意見を述べていました。2年間の数値予報課長時代に、英国気象局の科学諮問委員として年1回の会合に英国気象局を訪問して、そこで英国気象局の主席科学官だったJulia Slingo先生、科学諮問委員会の座長のBrian Hoskins先生らとモデル開発戦略について議論できたことも大変勉強になりました。

図1 シームレスな体制に向けて当時描いた概念図


 数値予報課長として将来の発展に向けてさまざまな手を打って、次のポストに異動しようという時期に、あの日がやってきました。その様子はこちら
に書きましたが、気象庁全体の雰囲気がガラリと変わり、自分自身も次のポストの関係もあり防災に気持ちを入れ換えて仕事をするようになりましたが、一方ではそれまで2年間に努力してきたことが水の泡になってしまうのか、と心の底がぽっかり空いたような気持ちにもなっていました。その年は送別会もできず、私は課内の全員にメールを出して、しばらく辛抱の時期となるが頑張ってくれという趣旨を伝えたように記憶しています。
 その後、またほぼ1年毎の人事異動で地方も含めた管理職を歴任して、最後に辿り着いたのが気象研究所長のポストでした。平成の終盤になると、毎年のように大きな気象災害が発生していましたが、2017年には九州北部豪雨、2018年には記録的な規模となった西日本豪雨と第2室戸台風以来の勢力で近畿を直撃した台風第21号と相次ぐ気象災害があり、地球温暖化への意識がぐっと上がるとともに、線状降水帯と台風の精度向上への社会への期待が高まりました。これに応えるべく気象庁で2030年に向けた数値予報改善計画が打ち出され、大学とも連携してオールジャパンで取り組むような形になりました。その中で、気象研究所としてしっかり役割を果たすべく、気象研究所の歴史でもなかったような大幅な組織改革の旗を振りました。この組織改革で私なりに貫いたのは、天気予報のモデル研究と気候のモデル研究とをシームレスにすることでした。

気象研究所 2018年4月

 平成の実質的な最終年度である30年度が私の最後の気象庁現役生活でしたが、気象研究所の大きな組織改革が認められ、それと並行して本庁の組織改革と数値予報の開発部門のつくば移転の検討が本庁主導で始まり、そこでもモデル開発部門の一体的な組織化と数値予報課と気象研究所がつくばで連携して開発ができる体制を私は強く推し続けました。その結果は、退職後の令和元年の12月の予算内示で形になり、令和2年の気象庁虎ノ門移転とともに、新しい体制に移行しました。
 そして令和3年12月の予算内示では、線状降水帯に関する技術開発推進体制の強化として83名の定員要求が認められています。かつては、一桁の定員要求を必死に確保するのが精一杯だったのが隔世の感があります。また、大学等との連携についても、数値予報モデル開発懇談会で数値予報技術開発についてしっかり議論されるようになりましたし、線状降水帯予測精度向上ワーキンググループでは、観測からデータ同化、モデリングまで技術を議論する枠組みもできています。まだまだこれからなのかもしれませんが、東アジアの特徴的な気象に対するオールジャパンとしての取り組みについて、質・量ともに一段大きくなってきたこと、これで世界一に向けて一歩踏み出したのではないかと期待しています。
 器が整ってきたので、あとは人材育成をいかに効果的に進めるかが課題かなと思います。大きな組織で巨大なシステム工学を開発、維持管理すると、どうしても一人一人の役割はほんの一部になります。昔は1人でモデル全体をみていたような時代もあり、確かに人手が足りなかった一方で、全体を見通す力は育成されたと思います。自分の担当するところに責任を全うするのは重要なのですが、全体を俯瞰せずに細かいところだけを見ていくとあまりいい結果にならないように思います。また、縦糸と横糸をつないでいく人材もいないと全体最適化がうまくいかない、という課題もあります。
 人材育成システムとしては、大学がやはり餅屋という面があり、大学にある程度の役割を担わせるのが効果的かなと思います。高い見地から全体を見る力も養うという効果もありそうです。気象庁と大学との連携がそんな方向に向かうよう、私自身も努力していきたいと考えています。
 結論としては、気象庁と大学等との連携が人材育成を含めてうまく回っていけば、日本が世界一になる可能性はかなりありますし、水蒸気の豊富な地域での実践を通じて世界に大きく貢献できると確信しています。



 





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