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日本の気象シミュレーション技術の過去、現在、そして将来 (その2)  なぜ欧州は気象シミュレーションで世界一となったのか?

はじめに

その1では、真鍋先生のノーベル賞が生まれた背景に加えて、それでも米国の気象シミュレーション技術が必ずしも世界一ではないことの背景を説明してみました。前回の説明には、欧州と比較してという部分も少なからずあり、今回は欧州がなぜ世界一となっているのか、という分析をすることで、さらに考察を深めることにします。

気象条件の違いと官民の関係

米国と欧州と気象状況が異なることから、気象への向き合い方が違うというのがまずあります。米国には、ハリケーンがあり、トルネードがあり、猛吹雪をもたらす強力な冬のストームもあります。西海岸方面は大陸西岸ということで欧州に近い気候になりますが、中西部から南部、北東部はいずれも気象災害と向き合う地域です。こうした背景から防災をキーワードに、国と民間の気象サービスを切り分けるという仕組みとなっていて、それをやはり防災大国である日本は学んできています。なお、日本では、気象庁が地震火山業務を持っていることで、防災への意識はさらに強いものとなっています。

一方、欧州には、冬の嵐がそれに伴う高潮も含めて人の命に関わる気象災害としてありますが、それ以外の気象災害は顕著ではありません。ただし、地球温暖化の進行とともに今年のドイツ・ベルギーでの洪水など変わりつつあることは指摘しておきます。

欧州の気象予測のニーズとしては、ワイン用のぶどうの生育条件とか北海油田の気象情報、冬の路面凍結情報、欧州航空交通向け情報とか、近年では、太陽光、風力発電向けの気象情報と、日米では民間気象会社の役割が強いとされている部分にニーズの軸足があります。そうした背景からでしょうか、あるいは政治的な背景があるのかもしれませんが、欧州では気象局が商業活動を兼ねて実施しているところが少なくありません。日本で言えば、気象庁とウェザーニューズが一体化しているのが、欧州の気象局です。気象のニーズすべてに応えるための技術開発への投資を一元的に進めることができる、これが欧州の強みです。

欧州共同機関の強み

第2の特徴として、欧州連合に代表される国家連携の仕組みです。ECMWFは欧州各国の気象局が共同出資して、中期予報というジャンルで数値天気予報を実施する機関です。各国の気象局より給料が高く、かつ国際機関ということで税金の優遇もあります。この結果、各国の気象局の優秀層を抜擢する仕組みを通じて人材が集まります。各国の出資により予算も潤沢ですから、コンピュータ資源も世界一です。実は、加盟国である英国もフランスもドイツもそれぞれ全球を対象とするモデルは持っています。ECMWFは、その立場上、これらのモデルに負けるわけにはいきません。世界一の精度の数値天気予報を提供する、という宿命的な目標のもとで、予算、人、コンピュータを注ぎ込んで、いまのECMWFはあります。アメリカを含めて世界の気象学者との連携も意欲的に進めて一歩先の技術を常に導入しています。研究者にとっても、世界一の計算資源と数値天気予報のシステムを使って世界最先端の研究ができますので、魅力的な研究機関でもあります。英国のReadingに本拠地を持つため、英国のEU脱退の影響がどうなるのかというリスクもあるのですが、イタリアのボローニャやドイツのボンに拠点を拡大して、そのリスク低減も進めています。

欧州内の気象関係の共同取り組みはECMWFだけではありません。気象衛星も同様にEUMETSAT(欧州気象衛星開発機構)という欧州共同の衛星機関をドイツのダルムシュタットに置いて、各国の協力により衛星を打ち上げ、運用しています。日本が一国の予算、それもあまり予算が潤沢にあるとは言えない気象庁の予算で、静止気象衛星「ひまわり」を打ち上げから運用まで対応しているのとは大きな違いがあります。宇宙関係では、NASA(米国航空宇宙局)やJAXA(宇宙航空研究開発機構)に対応してESA(欧州宇宙機関)というのもあり、これも欧州諸国の共同出資の機関です。ちなみに米国では、NOAAの下にあるNESDIS(環境衛星データ情報局)が気象衛星の打ち上げ、運用を担当しています。

EUMETSATとNESDISが気象庁より規模が大きいことで、両機関ともに静止気象衛星だけでなく極軌道気象衛星を運用していること、これが日本との違いです。静止衛星が赤道上(36000km)から常に地球の同じ面を観測しているのに対して、極軌道衛星は北極、南極を通る軌道ですが、時間とともに軌道がずれていくことで、地球全体を観測できることと軌道が比較的低い(1000km以下)ためにさまざまな高品質の観測が可能という利点があります。これら欧米の極軌道気象衛星のデータは日本も利用していて、天気予報の精度向上に大いに役に立っています。

下図が気象観測を行なっている主な静止衛星と極軌道衛星です。静止衛星については、整然と等間隔に観測している欧米と、日本、中国、インド、ロシア、韓国が所狭しと密集しているアジア地域の違いがよくわかります。

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気象衛星センターホームページよりhttps://www.data.jma.go.jp/mscweb/ja/general/www.html

地球環境政策やデジタル化政策の一環としての欧州の取り組み

第3の特徴は、欧州の先進的な環境マインドを背景にした気象サービスの展開です。風力発電、太陽光発電を支える気象サービスがその代表ですが、地球温暖化緩和策、適応策に戦略的に取り組む欧州の政策を支える役割を拡大しています。さらに最近では気象データがデジタル時代を牽引する役割も担うべく、EUのビッグプロジェクトにも深く関わり、それでまた大きな予算を得るようになっています。Copernicus計画というのがその一例で、気象衛星など地球観測衛星のデータを活用して社会応用研究を実施する巨大なEUの研究計画で、ECMWFがこの計画の中の気候変動サービス部分を統括する機関となっています。ECMWFの全球気象再解析ERA5や欧州内各国の連携により欧州領域をさらに細かく再解析するプロジェクトもこのCopernicus計画のもとで実施されています。気象再解析については、こちらの記事も参考にしてください。

デジタル化時代への対応もさらに進行中で、もともと生産工程の効率化技術であるデジタルツインを地球を対象にしたデジタルアース、といった計画が大きなプロジェクトとして進められています。社会応用の拡大を目標とする大きな予算規模のプロジェクトが、上記のECMWFやEUMETSAT、ESAといった衛星観測やスーパーコンピュータによるシミュレーション、データ同化技術を駆使してメッシュデータを作成する組織に予算が配分されて、基盤的なデータの作成を支援する形となっています。英語のサイトしか見当たらずすみませんが、こうしたサイトを参照いただければと思います。https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/library/destination-earth

欧州の取り組みはまもなく英国で始まるCOP26でも、今年の欧州での大きな洪水災害なども踏まえながら華々しく紹介されることと思います。欧州の地球環境への取り組みについては、エネルギー問題等の観点から先進性ゆえのさまざまな批判も出てくるのかもしれませんが。

日本の国力は、英国、フランス、ドイツのそれぞれ1国と比べるとまさっているのでしょうが、欧州が束にかかってくると、強敵であるのは間違いありません。欧州のように中国、韓国、日本でタグを組むことができれば、互角に戦えそうで、若い頃、血気盛んな私はそれを学会誌で呼びかけようと投稿を試みて、上司に止められたことがありました。いや、上司の判断は正しいですね、今の東アジア情勢では、可能性はさらに0に近くなっています。それにしても、さきほどの静止気象衛星の乱立を見ると、なんとかならんものかとは個人的には思います。

イギリスとドイツの戦略

欧州各国は、それぞれの国の中でも戦略的に気象に取り組んでいます。その例として、英国、ドイツの取り組みを紹介します。

英国には、モデルシミュレーション戦略として、統一モデル(Unified Model)があります。数値天気予報のモデルとして全球を対象とするモデルと自国を中心とする領域を細かくシミュレーションするモデルがありますが、それを統合的にモデルを構築するというのが一番狭い意味での「統一」です。さらに、天気予報だけでなく、長期予報、さらには地球温暖化予測まで統合したモデルを構築するという意味もあります。さらには、英国気象局だけでなく、英国内の大学でもみな同じモデルを使って共同で開発や研究をしよう、という統一の意味もあります。この統一モデルを支えるため、英国内の地方気象台を無人化して、本庁に職員を集約して大きなモデル開発部局を作り、そこで数値天気予報や地球温暖化予測に向けたモデル開発、モデル研究を実施するという体制も構築しました。品質を上げた数値天気予報技術をもとに本庁から全国各地域の予報を出す、というサービス体系に切り替えました。

私も英国気象局の科学諮問委員会に呼ばれて会議に出席するなどを通じて、まあ、必ずしも全てがうまく行っているわけではありませんが、それでも、地球温暖化予測シミュレーションでは世界をリードし、数値天気予報でもECMWFの脅かす存在であるのは確かです。さらに英国気象局は、欧州を飛び出し、旧大英帝国の関係国である、インドやオーストラリアなどとこの統一モデルを共同開発、共同運用するといった国際的な展開も戦略的に進めています。

数値天気予報から地球温暖化までを可能な限り統合的に開発する、という姿勢は、ECMWFにも共通するところがあります。これは私がモデル開発の第一線にいた20年以上前から、ECMWFや英国気象局の方の講演を聞いたり、意見交換するたびに、普段の低気圧や高気圧、ブロッキングなどをしっかり予測できる天気予報で検証され鍛えられたシミュレーション技術で気候変動予測、温暖化予測を行うべき、という考え方が示されました。国際会合の招聘時には神田のガード下の居酒屋でこんな議論を交わし、それを日本でも進めようと試みた私の経験は次回に回します。

一方、ドイツ気象局のシミュレーション技術は、かつては、英国からもフランスからも離されて低迷していました。ドイツ気象局の職員だけでできることには限界があり、英国やECMWFのように研究コミュニティとの連携を深めることが重要と判断しました。そこで彼らの進めた手段は、なんと国の研究予算の仕組みを変えることでした。ドイツの各大学に配られる研究予算、これを気象局から配る仕組みに組み替えたのです。これにより、各大学でそれぞれ分担して、ドイツ気象局の基礎的な研究開発の一部を担う仕組みができました。ドイツの流体力学、気象学の偉大な学者であったHans Ertelの名前をつけた研究所名がついていますが、研究所としてはバーチャルな組織で、ボン大学、フランクフルト大学など各大学に研究主体があります。この仕組みを作られた方と話す機会があったのですが、長年に渡る粘り強い取り組み、財務当局との交渉の結果やっと勝ち取った仕組みだということでした。こうした努力の結果でしょうか、ドイツ気象局のシミュレーション技術、フランス、日本、米国といった国々と並ぶ状況にまできています。

世界の数値天気予報をリードする欧州

米国、欧州、日本のシミュレーション技術の状況を気象庁の資料から見てみましょう。地球全体を対象とする全球モデルというのが、世界戦略としても重要ですし、また国際比較が容易である、というプラットフォームでもあります。全球モデルの格子間隔でみると、ECMWFの9kmをはじめ、英国、ドイツもそれぞれ10km、13kmと細かな格子間隔のモデルを運用していることがわかります。米国やカナダもそれぞれ13km、15kmと細かなモデルになってきました。日本も現在は20kmですが、米国モデル程度の細かさに上げていくべく、開発は進めています。

欧州の優位性は、格子間隔というスペックでみるよりも、予測精度でさらに明確になります。500hPa面の高度場の誤差は、地球を取り巻く循環場の表現精度のベンチマークとして比較される代表的な要素です。2000年代には、ECMWFがトップで、2位グループを日米英で競い合うという構図だったのですが、近年では、そこから英国が一歩抜け出して、2位の座を確保して、3位グループを日米に加えて、この図にはありませんが、ドイツ、フランス、カナダなどが競い合う構図となっています。また、英国の国際戦略により英国モデルを基盤とする予測システムを導入した韓国やオーストラリアもいい勝負をするようになってきています。

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いずれも、令和2年度数値予報解説資料集(気象庁)よりhttps://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/nwpkaisetu/53/1_7_2.pdf

このような世界情勢の中で、日本が今までどう戦ってきたのか、そして今後世界一は全く夢物語なのか、そのあたりを次回述べることとします。

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