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日本の気象シミュレーション技術の過去、現在、そして将来 (その1) 導入およびアメリカの状況

はじめに

真鍋先生のノーベル物理学賞の受賞をきっかけにスーパーコンピュータによる気象シミュレーションという存在が身近になったのではないでしょうか。一方、日本からの頭脳流出という切り口でも報道されています。以前にも述べたとおり、真鍋先生以外にも昭和30年代前後に日本から米国に渡った気象学者は少なくなく、世界の気象研究をリードしていた時代がありました。では、現在、アメリカが気象シミュレーション技術で世界一であるかというと、少なくとも数値天気予報の世界では欧州中期予報センター(ECMWF)が世界一ということになっています。世界で気象研究にもっとも予算を出している米国がなぜ世界一ではないのか、これは米国でも結構問題になっています。

真鍋先生が米国に向かった時代には、コンピュータ資源がもっとも豊富な米国でしたが、今や、地球シミュレータ、京、富岳と日本の国策として世界一のスーパーコンピュータを生み出している日本ですが、やはりまだ気象シミュレーションでは世界一になれないのでしょうか。真鍋先生も地球シミュレータを自由に使う研究グループのトップとして日本に招聘されたのですが、やはりアメリカがいいと帰国されてしまったという事実もあります。

世界の気象シミュレーション技術のお国柄をその背景も含めて分析し、その中で日本の現状と課題を踏まえた将来展望を示していきます。まず、今回は米国の分析です。

ここでいう気象シミュレーション技術の範囲

まず、言葉の定義をしておきます。気象、気候、シミュレーションモデル、データ同化といろいろな言葉があるのですが、ここでは広い意味で定義しておきます。すなわち、天気予報のもととなる数値天気予報(そこには、気象モデルシミュレーションとデータ同化が入ります)に加え、地球温暖化シミュレーションのような気候シミュレーション、数年スケールの気候変動予測、さらには過去数10年間の長期再解析といった技術を含めて、気象シミュレーション技術とここでは呼ぶことにします。いろいろと専門用語が入りましたが、私のnoteでの説明があるものについては、リンクをつけましたのでそちらを参照ください。

このように広い概念で定義した理由として、これらの技術、それぞれ専門分野として発展しているのですが、根っこは一つというところがあるからです。基本には、大気の流れを支配する基本的な方程式系、それに太陽放射などの物理のプロセス、さらには大気と密接な相互作用のある陸面や海洋のプロセス、こうしたものを表現するコンピュータモデルが基本となります。

ここに予測という行為をするためには初期条件が必要で、観測データからいかに最適な初期条件を与えるかがデータ同化技術となります。この初期値問題としての予測は、ボールを初期にどの方向にどの速度で投げると、どこに落下するのかを予測するのと同じ考え方となります。

ボール投げ

一方、地球温暖化予測の場合には、シミュレーションモデルは使いますが、初期値問題ではなく、温室効果ガスを過去から将来に向けて、過去は実績値に基づいて、将来は今後の人間活動のさまざまなシナリオに基づいて変化させて、それに気候変動がどう追従するのか、という切り口で分析していきます。

深層海洋や植生、さらには海氷の変化など、地球温暖化モデルでは長期の変動に重要なプロセスを忠実に再現することが求められるので、シミュレーションモデルがより複雑なものになり、一方、短期予報では計算を早く終わらせてリアルタイムの予報に間に合わせることが実用上求められますので、シミュレーションの拡張パックをどれくらいつけるのか、という違いはあります。しかし、気象力学の方程式に沿って大気の運動を記述したり、積乱雲で水蒸気の凝結熱を出して、それが台風を発生させたり、熱帯域での大気の循環を維持・変動させたり、偏西風を蛇行させたり、そんな基本的な気象シミュレーションがいかにうまくいくかが、シミュレーション技術のキモになっているのは変わりません。

米国における気象サービスの官民の役割

アメリカの気象業務を語る上で、トランプ政権時代のNOAA(海洋大気庁)長官人事の一連の動きは象徴的でした。アメリカでは、古くから民間での気象サービス事業が発達していて、各テレビ局は古くからmeteorologistを雇って報道番組で活躍させたり、自ら気象レーダーを整備・運用したりしていました。特に共和党政権での小さな政府方針のもと、国の気象局の仕事を限定的にして、民間の気象事業の発展を促してきたとも言えると思います。

このNOAA長官指名の件ですが、トランプ政権では気象会社のトップであるビジネス系の方を指名しました。民間の力で欧州に負けないNOAAのアウトプットを出せないか、という発想があったのでしょう。しかし、上院で科学者としての専門性の欠如や民間気象会社との利害関係の問題を指摘され、最後は例の如く(?)会社内での不祥事等が報道されて、この人事は消えました。バイデン政権になって、NOAAの中で科学者として活躍してきた方が長官に指名されて、議会の承認も得て、長期間に及んだNOAA長官不在問題が解決されています。

米国で官民の役割分担が明確化されている背景として、もちろん、米国の伝統として共和党の方針に象徴されるように、民間でできることは民間に、という考えが基本にあると思います。であれば、気象サービス自体を民間の手に委ねるという選択肢もあるのでしょうが、米国には、ハリケーン、トルネードといった多くの人命を奪う気象災害が多く発生する、という宿命があります。国の防災、危機管理は政府の基本的な仕事であることは、誰もが疑わないので、気象監視・予測も政府の仕事として位置付けることになります。

米国における気象研究

真鍋先生の例からもわかるように、米国の科学研究予算、体制は潤沢です。気象研究への投資は昔から盛んに行われていて、NSF(国立科学財団)、NASA(航空宇宙局)、DOE(エネルギー省)、NAVY(海軍)、そしてNOAAなどから、大学等に豊富な研究資金が流れています。民間から大学への資金流入も盛んで、私がフロリダにいた30年ちょっと前の段階で、すでに保険会社がハリケーンのシミュレーション実験を大学と共同で実施するなどの研究がすでに行われていました。

真鍋先生が活躍されたプリンストン大学は古くからの気象研究の拠点で、戦後まもなく「コンピュータの父」とも言われるフォン・ノイマン先生が推進した電子計算機の社会応用研究として、数値天気予報(NWP)研究が開始されました。そこでは、気象学者のチャーニー先生が中心となって20世紀初めからの夢であった数値天気予報の幕開けが実現しました。日本の数値天気予報の父である、岸保先生もプリンストンの高等研究所に留学して、その成果を持ち帰って日本の数値天気予報を立ち上げました。

こうした取り組みが背景にあったからだと思いますが、1955年にプリンストン大学にGFDL(地球流体力学研究所)が誕生しています。この研究所はプリンストン大学とNOAAの共同組織としても知られます。ここでの真鍋先生の地球温暖化研究が脚光を浴びているわけですが、ここには他にも日本を脱出した気象学者として、栗原先生(台風モデル)、都田先生(力学的長期予報)といったやはり世界をリードする気象学者がいました。

米国の気象研究の拠点としては、コロラド州ボルダーにあるNCAR(大気科学研究センター)があります。ここは、全米の気象研究の大学連合拠点という位置付けでもあり、米国一流の研究者を集めて研究をリードするだけでなく、観測データベースの構築や気象データの研究向け公開などの地味な役割も果たしてきています。また、気象局と共同でNCAR/NCEP再解析データを作成して、世界の気象研究者等がお世話になってきました。このNCARにも日本を脱出した気象学者として笠原先生というやはりモデリングで世界をリードされていた方がいました。

こうした中核的気象研究機関以外にも、州立大学等で大きな気象学部を持つ大学は少なくなく、NOAAとの共同組織としての研究所を持つ大学もあります。日本脱出組研究者の流れで紹介しておくと、UCLAには荒川先生、柳井先生、オクラホマ大学には佐々木先生、イリノイ大学には小倉先生、シカゴ大学の藤田先生、マイアミにはNOAAの台風研究所の大山先生、と本当に素晴らしい気象学者が割拠されていました。(以上、お名前をあげた先生は、戦後の早い段階で渡米されて、かつ私が実際にお会いしたことがある先生方に限定しています)

このような素晴らしい研究環境から米国では先進的な気象研究の成果が真鍋先生のノーベル賞に象徴されるように多数出ています。

ところが、全球を対象とする数値天気予報としては、ECMWFや英国気象局とくらべると、その次の3位グループを日本と競い合っているというレベルになります。領域限定の高解像度モデルについては、国際比較が難しいのですが、気象局で運用されているWRFと呼ばれるモデルは、世界のコミュニティにドキュメントや利用法も含めて公開されて、モデルの利用者数としては世界一かもしれません。日本の大学、民間企業でもこのモデルの系列が多く使われています。これは評価すべきだと思いますが、やはり全球モデルは国際比較ができますし、特にハリケーンなどは一般国民でもその差が見えてしまうので、かなり深刻な課題だと米国でも捉えているようです。(もちろん、この課題の解決に向けて様々な努力、計画が進められているようです)

ちなみに数値天気予報の仕事の中軸は気象局が担っていますが、海軍でも独立して同様の業務を実施していますし、NASAも衛星データを活用したデータ同化、再解析といった仕事をしています。大学でもたとえばオクラホマ大学では、NOAAとも連携しつつトルネードや巨大雷雲などのデータ同化・予測研究の拠点となっています。

なぜ、欧州に負けているか、いろいろと分析があるとは思いますが、数値天気予報は優秀な人材を一つのモデルに集約して、観測データの使い方からデータ同化、モデル力学過程、物理過程とそれぞれ分業しながら、最終的には総合性能を評価しつつ、より高精度のシミュレーション精度を達成していくという地道なプロセスが必要です。群雄割拠して、それぞれが独自の研究スタイルで開発していくという米国型は、開発グループが小規模だった初期には大きな成果を挙げましたが、技術の成熟化に伴い地道な努力の積み重ね、という部分で欧州に負け始めた、という側面があると思います。これは数値天気予報に限らず、真鍋先生の地球温暖化モデルも例外ではなく、ノーベル賞は、世界の地球温暖化モデルの土台、基盤を先進的に構築したことに与えられたわけで、いまの地球温暖化モデルの最先端は、たとえば、組織的に取り組んでいるイギリス気象局のモデルあたりではないでしょうか。巨大なシステム科学となったシミュレーション技術の世界では、協調性高く組織で仕事をする必要があるのです。

まとめ

新たな発想で豊富な資源で研究を進めていくアメリカは素晴らしいです。そして、戦後の貧しい時期に日本を脱出し、米国の恵まれた研究環境のもとで、世界をリードする研究を進められた日本人気象研究者の先輩方は本当に素晴らしいです。もう、故人となられた先輩方も多いのですが、今回の真鍋先生の受賞は皆さん、喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。

一方では、組織的なシミュレーション技術の実情は、欧州に先を越されてしまったのも事実です。国がさまざまな意味で大きくて、一つの機関に集約できず、群雄割拠している状況であること、民間との関係で気象局の仕事にさまざまな制約があること、そして、大学等の活力があまりに大きくて、組織力を発揮すべき気象局に人材を集めるのが難しいという事情もあるのかもしれません。

このあと、この米国の状況と対比させつつ、欧州の状況を分析して、さらに日本の分析、という順で展開していきますのでよろしくお願いします。

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