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過去の自然災害から学ぶ(その2)伊勢湾台風以降


はじめに

個人的な話で恐縮ですが、私は伊勢湾台風の年に生まれました。ということで、この期間については私が直接関わった仕事もありますし、そうでなくとも当事者から話を聞いた災害など、何らかの関わりのある災害が少なくありません。相次ぐ災害を受けて、気象庁が情報の改善にどう取り組んでいたのか、私自身の仕事、経験も含めてお伝えできればと考えています。その意味でやや個人的な偏りのある内容でもありますので、その点はあらかじめご承知おきください。

伊勢湾台風以降、東日本大震災まで

伊勢湾台風以降、東日本大震災までの表を示します。この期間で被害の大きさから突出しているのは、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)と東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)となります。風水害で見ていくと、それまであった1000人以上の犠牲者を出す災害はなくなりましたし、100人以上の犠牲者を出す風水害も長崎豪雨で知られる昭和57年7月豪雨以降はほとんどありません。

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その背景には、河川改修、ダム整備等土木事業の進展があるのは間違いありません。ただ、昭和の後半から平成の前半まで顕著な大雨も台風もそれほどなかったという事実もありそうです。台風について言えば、昭和の3大台風(室戸台風、枕崎台風、伊勢湾台風)に匹敵する台風が第二室戸台風以降来襲していません。その第二室戸台風で、それほど大きな被害となっていないのは、伊勢湾台風の2年後でもあり、高潮災害への高い意識がある中で、大阪管区気象台からの情報に基づき高潮への事前避難が円滑に行われたということも背景にはあります。いずれにしても、第二室戸台風以降の60年近く、台風については日本は比較的幸運な時期だったと言えると考えています。

なお、この表中の、1991年の19号台風1999年の18号台風2000年の東海豪雨2005年の台風第14号による東京の大雨については、すでにnoteで紹介していますので、どんな気象状況のもとで起きた災害なのかはそちらを参照してください。

豪雨についても、長崎豪雨以降の顕著な豪雨災害は、1993年の鹿児島の8.6水害などいくつかありますが、ハード対策の進展に伴い風水害の被害は時代とともに小さくなっていくという実感がありました。私自身、2002年から気象庁予報部の防災、国会、広報担当のポストを担当していましたが、気象防災への社会の関心は今と比べるとはるかに弱かった時期でした、台風なども気象庁が騒ぐわりに大したことないではないか、という社会の眼を感じることが少なくありませんでした。2001年に運輸省と建設省が国土交通省として統合されその効果を出すべく、様々な取り組みが進められましたが、故廣井先生の指導のもとで気象庁と国土交通省砂防部との連携で土砂災害警戒情報に関する検討委員会が立ち上がり、その事務局を担当しました。https://www.jma.go.jp/jma/kishou/chousa/030529houkoku.pdf
上記が2002年度に取りまとめた委員会の報告書となります。気象庁と国土交通省砂防部のノウハウを組み合わせた警戒情報を立案し、神奈川県、兵庫県、長崎県、鹿児島県をモデル県として試行を実施し、方向性を示して全国運用への展開を目指していました。鹿児島県のような土砂災害への社会の意識の高い地域ではすぐに運用に向けた準備に入りましたが、その他の府県では地域の理解を得ることが難しいところも少なくなく、全国運用はいつのことになることやら、という状況でした。
また、土砂災害も含め市町村の防災を支援する地方気象台の構想に向けて、地方気象台の人材育成、意識改革に集中的に投資するという予報課程特別研修を2003年度から2年計画で進めようとこれも2002年度にその計画策定と準備に追われていました。さらに現場の予報官の作業をIT化するものとして、YSS(予報作業支援システム)というシステムの導入に向けても準備を進めていた時期でした。これらが大いに役立つ日々が目の前に迫っていることを知る由もなく、特に災害の少ない地域の防災意識の課題に思い悩む日々もありました。

その雰囲気が一変したのが2004年でした。新潟・福島豪雨に福井豪雨、さらには台風が10個も上陸し、特に最後の23号台風は100名近い犠牲者を出してこの20年にはなかったような甚大な台風被害となりました。豊岡や舞鶴など日本海側の大雨災害から高知県室戸での(高潮)高波災害まで教訓として語り継ぐべき台風であり、昨年の「令和元年東日本台風」のように命名しようと相談をし始めた矢先に新潟県中越地震が起こりました。台風で地盤が緩んでいる中での内陸型の大地震で土砂災害が多発し、上越新幹線も危機一髪で難を逃れることも含め大きな災害となりました。相続く余震や河川閉塞への対応など長期間の危機管理対応の中で、台風の命名は立ち消えになってしまいました。それにしても台風が10個も上陸するのは本当に気象庁もびっくりで、最初の頃は南海上で台風が発生すると、ああ、これも来るかもしれないな、と互いに呟いていたのですが、最後の方では、心の中でそう思っても言霊を気にしてそれを口に出すな、との暗黙の了解がありました。

関係省庁との会議、国会質問対応、報道対応、私の気象庁生活の中で最も忙しい1年となりましたが、政府の高いレベルでの判断により懸案の土砂災害警戒情報の全国運用が決まり、さらには市町村単位の警報発表への道筋を作ることができました。それまで気象台は県を相手に情報を出して市町村へは県庁が情報を出せばいい、という災害対策基本法の条文通りの運用へのこだわりが強かったのですが、これからは市町村も相手に情報を出していくべき、という大きな方針転換となりました。土砂災害警戒情報は当初から避難勧告を出す市町村長の活用を念頭に市町村単位で情報を発表する設計にしていました。上記の検討会で市町村長が委員となっていることからもわかります。

一方、この表にはありませんが、2005年12月に羽越線脱線事故、2006年には延岡、佐呂間と相次いで人命に関わる突風災害が発生しました。竜巻災害はそれまでも起きていたのですが、アメリカのように竜巻に関する情報を出すことは竜巻のスケールの違いから技術的に難しいという背景もあり、竜巻への情報の開始には保守的だったのですが、これらの災害により一変しました。竜巻を伴う可能性のあるメソサイクロンを把握できるよう、これも政府の高いレベルの判断により風を観測できるドップラーレーダーの全国的展開を進められました。

2004年の災害から方針を打ち出したあと、私個人はしばらく地方勤務などがあり担当を離れ、実際の準備は担当部局がしっかり進めていただき、2008年には竜巻注意情報の開始、2009年には土砂災害警戒情報の全国運用開始、2010年に気象警報の市町村単位での発表が開始されました。そして2011年を迎えます。東日本大震災については、様々な報告等がありますし、原発事故対応など別の機会に紹介できればという内容もありますが、今回のテーマに関係して、低頻度巨大災害への社会的な認識が大きく変わったという点を強調しておきます。東北地方では貞観地震という平安時代の地震以来の規模の地震・津波になりました。それまで、千年に一度の災害と言われても思考停止してしまうことが少なかったのかもしれませんが、それを考慮しながら対策をすることの重要性が市民権を得たということだと思います。もちろん、千年に一度の現象から人を完璧に守る社会インフラを整備すると、天文学的な予算が必要となります。そこで、ハードで全てを守ることは不可能であり、ソフト防災との組み合わせで、災害の可能な限りの軽減を図るという方針が打ち出されたことが大きな転換となります。この考え方は国土交通省から、新たなステージに対応した防災・減災のあり方、として公表されています。
https://www.mlit.go.jp/saigai/newstage.html

東日本大震災以降

最後に東日本大震災以降、今に至るまでの自然災害を示します。

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東日本大震災への対応がまだまだ続く中、2011年の9月に台風第12号が四国から日本海に抜けて行きました。紀伊半島が記録的な豪雨で大水害となり、同様の台風経路だった明治の十津川水害の再来とも言われる大災害となりました。この台風への対応を教訓として生まれたのが特別警報です。50年に一度相当の大雨や伊勢湾台風クラスの台風について危機感を社会と共有するための手段として2013年に特別警報が開始されました。

実は、東日本大震災で生まれたもう一つの気象庁の情報は、高温注意情報です。これは震災による発電所被害と原発停止に起因する電力危機があり、節電が広く呼びかけられました。そのような中、猛暑になるとエアコンを使わず熱中症で亡くなる方が増えるのではないか、そんな危機感からそれまで熱中症対策は、環境省と民間気象会社の役割だと考えていた気象庁のスタンスを変えました。

特別警報ですが、その後の2013年の26号台風に伴う伊豆大島で大雨土砂災害、2014年の8月豪雨での広島の土砂災害、いずれも大雨の地域の広がりが足りないことから、大雨特別警報の発表はできませんでした。これについては、noteでも取り上げた通りこのような狭い範囲での大雨について、今年の7月30日から大雨特別警報の改善が実施されて、今後は同様の事例で特別警報が発表できることになりました。

地震火山関係では、2016年の熊本地震、2度の震度7の揺れにより甚大な被害となり、あの堅牢な熊本城も大きな被害を受けて復旧作業がまだ進行中です。また、この地震の特徴は、本震、余震という順の地震ではなく、4月14日夜の地震のマグニチュードが6.5、16日未明の地震では7.3とさらに大きな地震になったことで、前震、本震という順の経過となりました。この地震以降、気象庁も地震発生時の記者会見で今後の地震活動の見通しとして余震という用語を使わないようになりました。私も2014年度に熊本県を管轄する福岡管区気象台長であり、熊本県の樺島知事と防災について意見交換をしたこともありました。その時、台風と大雨と火山の話は取り上げたのですが、地震の話をしなかったことが今でも悔やまれます。

私が福岡にいた2014年には、広島で大雨による土砂災害で多くの犠牲者があり、そして9月には御嶽山で火山噴火災害でやはり多くの犠牲者がありました。どちらも管轄範囲外でしたが、大雨も火山共に九州は高いリスクのある地域であり、これらの災害への備えには身の引き締まる思いでした。御嶽山の火山災害のようなことは伊勢湾台風以前の記録に入っていますが、1947年に浅間山で起きています。お盆休みでしょうか、8月14日のお昼過ぎの噴火で犠牲者が出ています。実は2014年は鹿児島県の離島、口永良部火山でも突然の噴火が発生しています。この時は、台風の接近により登山者が入山しなかったことが幸いしています。自然現象と人間の活動との微妙な関係でたまたま災害になることもあり、そうでないこともあるのが実情です。

福岡管区気象台から東京管区気象台に異動となり、新たな管轄地での災害はあの鬼怒川の水害であり、政府視察団の一員として自衛隊のヘリで浸水の状況を確認したこともありました。その年、人的被害はほとんどなかったのですが、箱根の大涌谷での噴火という現象も管轄内でもあり現地の対応支援等にもかかわり、色々と考えさせられました。御嶽山噴火の翌年ということもあり、安全第一という基本方針であり、噴火警戒レベルの運用により観光客を近づけないのが安心であるのは確かです。しかし、国内有数の観光地でもある箱根です。火山防災の大きな課題である防災と観光との両立の難しさは改めて当事者として実感しました。もちろん、噴火を完璧に予測できれば、課題は解決できるのですが、それは本質的に難しいという実情もあります。

私が九州に赴任する直前ですが、2014年2月の関東甲信地方での大雪もありました。甲府市で114cm、熊谷市で62cmなど今までの記録を大幅に超える積雪を記録しました。南岸低気圧で太平洋側にここまで積雪が記録されたことに、私自身も大変驚きました。ですが、調べてみると昭和26年2月14日(たまたまですが同じ日付けです)に、南岸低気圧により今の千葉市若葉区で正式な記録ではありませんが、133cmの積雪が記録されています。自分の人生で経験するくらいの期間だけで判断してはダメだな、と悟りました。それと、平成18年豪雪や2018年の福井県での里雪型の大雪など、温暖化時代と言えども大雪は北極振動などの要因で降ることがあり、豪雪地帯が少子高齢化や除雪体制の弱体化などの背景から大雪に脆弱になっているということも忘れてはなりません。

最近の5年間では、地球温暖化の影響が出てきたのかもしれないと、社会に認識されるような現象が増えてきているように思います。2016年、東北や北海道に相次いで台風が上陸しました。2018年7月豪雨は平成で初めて豪雨災害での犠牲者が200名を越える大きな災害となりました。近年は局地化激甚化と言われてきた豪雨でしたが、この災害は広範囲で大雨となり近年の豪雨の傾向とも変わっていました。さらにこの豪雨のあとの猛暑、熱中症で豪雨の犠牲者数よりはるかに多い犠牲者を出しました。そして第二室戸台風以来の暴風、高潮を大阪湾周辺にもたらした台風第21号もありました。さらに、2019年には、房総半島台風に東日本台風、どちらも東日本では10年に一度もないような台風が2つも来てしまいました。そして今年の令和2年7月豪雨、本当にこの30年にあまりなかったような風水害が毎年やってくるこの3年間です。

下図の通り、気象庁のアメダスの観測でも1時間降水量が50ミリ以上となる頻度が増え、もっと長い気象官署の観測では日雨量200ミリ以上の頻度が増えています。あの大変だった2004年の突出した記録も見えています。変動を繰り返しながら増えている背景としては、海水温の上昇に伴い積乱雲発達のエネルギー源となる大気中の水蒸気量が増えていることはあるのでしょう。

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どちらも気象庁気候変動監視レポート2019より

台風については、昭和の3大台風はここ数年の台風より一段上の勢力であり、この60年近く、そのような台風が来ていないのは事実なのですが、少し風向きが変わってきている印象はあります。それと、昭和の3大台風クラスの台風が今来たとすると、日本周辺の海水温が当時よりかなり高いことから、昨年の房総半島台風のように衰弱せずに上陸したら、大変なことになるかもしれないな、というのはあります。

平成30年の西日本豪雨では、昭和中期以前にしばしば発生したタイプの豪雨だなというのは認識していました。一方で、大河川を中心にハード整備が進んだ今、このような豪雨で昭和中期以前のような被害は発生するのだろうか、という疑念がどこかに正直ありました。それが200名を越える犠牲者を出す大災害となったことは、強い衝撃を受けるとともに、昭和終盤から平成前半はやはり自然が優しかったという面があったのかなと再認識し、今でも昭和中期以前に甚大な被害をもたらしたような豪雨が来るとかなりの災害になるのだな、と思い直しました。過去の自然の外力を再確認した上で、過去の災害の分析を見直していく必要も感じた次第です。

過去を識り将来にどう備えるか

この10年でしょうか、猛暑日が増えて熱中症で亡くなる方が多くなり、北日本に台風被害や大雨被害がしばしば発生するようになり、さらに大きな風水害がこの3年間毎年発生しています。平成の前半とは風水害や地球温暖化への危機感が社会では大きく変わりました。コロナ対策と一緒で、単に危機感を煽るのではなく、新たな日常に向けて、どう生活を変えていくのか、都市計画をどう見直すのか、ビジネスをどう変えていくのか、そんな取り組みが求められているのではないでしょうか。気候変動や異常気象と共存する社会の構築、これを目指していくことが重要だと思います。もちろん、温室効果ガス排出削減も経済発展と共存しつつ取り組みを進めていくことも忘れてはなりません。


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