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『スター』 コンテンツの過去と現在と未来での彷徨い

まさに今日、『スター』著朝井リョウを読了した。

自分の中で特別な一冊になった確信がある。
そのひと読みした今の気持ちをここに書き記しておきたい。
(この記事ではネタバレは含まれていません、未読の方も最後までどうぞ。)


そもそも、朝井リョウ作品を読むのは初めて。
映画『何者』を観たとき、必ずこの著者の作品は読もうと思っていた。
いつもそこにあるけれど、分厚い布で覆いかぶされて見ることも考えることもしないようなものを、この人は見せつけてくると『何者』のときも思った。

私はこのジャンルが大好物なので、期待のハードルがかなり高い状態で読み始めた。


そのハードルなんて悠々と超えられた。
今作『スター』は、自分の一番好きな小説の欄に書くと思う。
それくらい気に入った。

自分が愛してやまないカルチャーコンテンツとの付き合い方と、それ自体の時間の変化を描いている。
ここまで美しく、著者の主張が含まれているが、説教臭くもなくすらすらと読めるのはものすごいことだと思う。

作中で扱われる、映画・映像や料理だけでなく、音楽や写真、服、絵、文章など人を楽しませるカルチャーコンテンツ全般に起きている革命。

YouTubeを筆頭に、誰でもが発信・投稿できる世の中では、カルチャーコンテンツはあふれかえる。
そこでは、もはや質は求められないのかもしれない。
こだわりは理解されないものだろうか。

質とこだわりを求め続ける立原尚吾と、イマドキのYouTubeに足を踏み出す大土井鉱を中心に展開される物語は、きっとほかのカルチャーコンテンツにも通じることが多いと思う。

摂取だけの私でさえも、この革命に考えることはあまりにも多く、作り手ならば、苦しみ葛藤するに違いないと思った。
この小説ではフィクションとはいえ、作り手の葛藤を垣間見えた気がする。

それを踏まえると、受けても考えなくてはならないと思った。

ただ時代に流されるようにコンテンツの波にのまれ、大量のコンテンツを浴びているのではないか、と自分に問いたくなる。

それの波に対して完全に吞まれないということは不可能だとしても、その受け取り方に考えを持つこと、それ自体が大切だと思う。

作り手のこだわりと、手間と、質についていつもより少し心を伸ばしてあげる。

そのうえで、好きかどうか。自分に問えばいい。

コンテンツに捧げてきた時間と心だけは、間違いないもので、この先どんな価値観になろうと揺るぎない。

私もそう信じる。


私は音楽が一番好きだ。
だから、BGMの聴き方だけでなくて、それに集中して音だけ心から聴く。
このような受け取りかたができると、コンテンツの楽しみ方も、豊かになるのだと思う。

最近、大学の先生からの言葉で「作品ノート」をつけるようになった。
映画や本などを鑑賞した日、監督、主演、著者名などを記し、たった1行でも感想を書くというもの。

まだ始めて2週間くらいだが、これが1冊完成する時が少し楽しみだ。

どのような心の変化があるのか。
これらの作品の捉え方は変わっているのか。

今作『スター』も記さなくては。


これからのカルチャーコンテンツの未来と、その出会いが楽しみだ。

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